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信州上田を「脱炭素で持続可能な町」にしたい(前編) ――地域の知恵袋が再エネ普及――

慶応大学名誉教授 金子勝さん                                  

「何としても脱炭素の力で持続可能な町づくりがしたい」と長野県上田市の藤川まゆみさん。そのためには何でもやる。奮闘するうちに、同じ想(おも)いを共有できる人たちのつながりができてきたという。今回、そのつながりの一部に触れてみた。そしてわかったのは、実に個性的で優れた人たちの知恵袋が集まっているということだ。

「ラプソディーそのもの」の人生送って

上田市民エネルギー理事長の藤川まゆみさん。

藤川さんはいま、脱炭素の運動を広げるのに全精力を注いでいる。しかし、そこにたどり着くのに時間がかかった。これまで歩んできた彼女の人生は自由奔放で「ラプソディー(狂詩曲)」そのものであったからだ。

広島県福山市の寺院に生まれ、大阪の大学に進学してインド・イスラム文化を学んだ。在学中はロックバンドのボーカルだったが、バンドの解散とともに、地元に帰って受験勉強を主目的としない自由な学習塾「寺子屋」を開いた。そうしたなか、千葉県立千葉盲学校の粘土作品の展示会を福山市で開いたことをきっかけに、実際にその盲学校に行ってみた。すると生徒たちが驚くほど伸び伸びと生きているのを発見。どうしたら人は自分らしく力を発揮できるのか、その条件について考えるようになった。後に学習塾を閉めてからはマッサージの仕事をする傍ら、インドやタイを旅して歩いた。32歳で結婚。大阪に移り住み、息子が生まれた。そして2005年秋、パン職人を目指していた夫とともに長野県上田市に移り住んだ。

そんな人生を1本の映画が変えた。鎌仲ひとみ監督の「六ヶ所村ラプソディー」だ。「六ヶ所村ラプソディー」は、原発反対派の人だけでなくて、原発に賛成している人や再処理施設で仕事をしている人たちの意見も入っていて、原発問題をどのように考えるべきかと問いかけていた。原発反対を声高に叫ぶ運動に抵抗を感じていた藤川さんは、この映画に引き込まれた。2007年には鎌仲ひとみ監督を招いて「六ヶ所村ラプソディー」の上映会を開催。以来、地域の人々と話し合いながら作つくっていく市民運動にのめり込んでいった。その過程で、離婚を経験し回転すしチェーンでパート仕事にも就いた。

東日本大震災の発災で福島第一原発事故が起きたのは2011年3月11日。その年の5月に「自然エネルギー信州ネット」設立準備会が開かれた(設立は7月)。そこに藤川さんは3人の仲間と一緒に参加した。この3人の仲間とともに、全国的に珍しい「相乗りくん」という太陽光発電の仕組みを考えつき、2011年10月、「上田市民エネルギー」を設立(2012年2月、NPO法人化)。翌月、第一回の「相乗りくん」の参加説明会を行った。なんとその場で、「屋根オーナー」が2人、「パネルオーナー」が10人、参加申し込みをしてくれた。

「三方良し」の「相乗りくん」方式を発案

藤川まゆみさん

「相乗りくん」は、第6 回グッドライフアワード環境大臣賞 地域コミュニティ部門を受賞した。

「相乗りくん」には、屋根のスペースを提供する「屋根オーナー」とその屋根に設置するソーラーパネルに出資する「パネルオーナー」がいる。「上田市民エネルギー」が仲介者になって「屋根オーナー」と、「パネルオーナー」を募る。

「相乗りくん」の仕組みは、近江商人の「三方良し」に似ている。「三方良し」とは、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つを指す。「屋根オーナー」は自己負担ゼロでその電力を使うことで電気料金を安く抑えることができる。そして、余った電力を電力会社に売って得た収入は、「上田市民エネルギー」を通して毎月「パネルオーナー」に還元される。「パネルオーナー」の契約期間は、パネルの規模によって10年か13年になる。その後は、「屋根オーナー」のものになる。その結果、「世間」はCO₂削減を進めることができるのである。

現在、「相乗りくん」は目に見える形で成果を上げているが、この仕組みへの信頼が向上したという手応えがあったのは、2018年だという。3月の上田市第4中学校の体育館の屋根や、市内の水田のソーラーシェアリングのプロジェクトで、上田信用金庫が融資を引き受けてくれたことだった。こうして、地道な活動の成果が形になり始め、「上田市民エネルギー」は、2018年に開催された「第6回グッドライフアワード」の地域コミュニティ部門で環境大臣賞を受賞するまでになった。現在は77カ所、約330人の出資者がいて、出資額は1億9000万円に達している。「上田市民エネルギー」自体も、2017年から事業を立ち上げ、2023年10月に完成し売電を開始した「野辺山営農ソーラー株式会社」に出資した。ちなみに、野辺山営農ソーラーの共同出資者は、地元農家でほうれん草生産と花き栽培をする「株式会社アグレス」と宮下農場、「NPO法人環境エネルギー政策研究所(ISEP)」、生活クラブ生協である。全量を「生活クラブでんき」に売電している。

野辺山営農ソーラーは、日本で一番標高の高いソーラーシェアリングで、生活クラブでんきに売電している。

藤川さんと野辺山営農ソーラーを訪ねてみた。八ヶ岳をバックにした高原で隣村にはレタスで有名な川上村がある。高原野菜の適地だが、敷地は3万1863平方メートルもあって、約3000枚の両面パネルを農地の上にはる世界一標高の高いソーラーシェアリング=営農ソーラーである。山を削ることなく、耕作放棄地や未利用地の上に建てられている。両面パネルは雪などで地面からの反射光を利用するためだが、太陽光パネル容量は1611kWで約300世帯の1年間の電力を供給できる。とにかく広大な規模だ。

エネルギーの域内生産・域内消費で地域循環経済を

「相乗りくん」の「パネルオーナー」のひとり、岡崎酒造社長の岡崎謙一さんも藤川さんに負けず劣らず波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生を歩んだ人だ。町と町の自然を守るという経営方針にたどり着くのに、いくつもの紆余曲折があったという。農大三校(東京農業大学第三高等学校 第三高等学校附属中学校)から東京農大に進学し、そこで同じ醸造科にいた妻と知り合う。卒業後は4年間、東京都庁の清掃局に勤めるが、結婚を機に都庁を辞め、岡崎酒造に婿入りした。岡崎酒造は寛文5年(1665年)創業で360年続く酒蔵で、妻は12代目に当たる。結婚当時は「日本酒離れ」の真っ最中。経営は非常に苦しかった。そのため、岡崎さんは9年間、酒造りとは無縁の福祉の世界に職を求めざるを得なかった。義父は信州大学繊維学部で教鞭(べん)を執り、事実上、番頭に経営を任せていたが、その人が停年退職したのを契機に岡崎酒造に入社した。酒造りも会社経営も未知の世界で、以来13年間、各地の酒蔵をめぐり勉強を重ねた。

岡崎謙一さん

岡崎さんの酒造りは事業規模の拡大をひたすら目指すのではなく、「小さな酒蔵が希少でおいしい酒を造る」という方針を貫く。妻の美都里さんが杜氏(とうじ)ということもあり、信州では珍しい「女性杜氏の蔵」で名をはせる。同社の酒「信州亀齢(きれい)」が2015年関東信越国税局酒類鑑評会の吟醸部門の最優秀賞に輝き、純米部門でも優秀賞を受賞。最近では、生産量が少ないこともあるが、ネット販売をしていないため上田市まで行かないと購入できない種類の酒もあり、「なかなか手に入らないお酒」と高い評価を得ている。いくつかの酒蔵やワイナリーを訪れた経験から、おいしい酒造りには原料米へのこだわりが必要と岡崎さん。棚田を守る取り組みを始め、酒米のオーナー制度も立ち上げた。オーナー登録すれば田植えや稲刈りに参加しながら、とれた酒米で仕込んだ酒が無償で手に入る仕組みだ。2023年の夏は全国的な猛暑で、収穫されたコメに割れや傷みが発生したが、棚田の水は冷たいことが幸いして良質なコメがとれた。美ヶ原の標高1000メートルの高地で作られた、長野県オリジナルの酒米である山恵錦(さんけいにしき)も作付けが進んでいるという。

岡崎さんが「相乗りくん」に参加したのは、棚田での酒米作りにこだわるなかで地域の農家や自然がいかに大事か、「地域あっての酒蔵である」ということを、酒を作造れば作造るほど実感したからだ。もちろん、かねてから太陽光パネルを使ったクリーンなエネルギーを使った酒作造りがしたいと考えていた。太陽光パネルの設置は、自分たちの会社の資金でやるほうがたやすいが、あえて「相乗りくん」に参加したのは、地域の人たちと脱炭素に向けた取り組みを一緒に行い、市民の活動を支援したかったからだ。岡崎さんは、地域に根っこを張ることで、そして地域の自然を守り地域の経済が回るようにすることで、酒のブランド価値も高めていけるはずだと確信している。

酒蔵の屋根に設置された太陽光パネル

地元企業と脱炭素を「武器」にした連携で

自動車排気ガスの浄化触媒を製造するトップ企業の元役員でエンジニアだった市村光志さんも「相乗りくん」に参加する。退職後に東京を離れ、郷里の上田市に戻った。何とか地元に貢献したいとの思いが強く「みんながやって、みんなで地域を盛り上げる」取り組みに関心を持った。「相乗りくん」の事業主体が非営利目的のNPOと聞き、当初は新手の詐欺ではないかと、藤川さんにいくつも疑問を投げかけたという。技術畑に身を置いていたこともあり、ソーラーシステムについて技術的に安心なのか、太陽光パネルは長期間持つのか、災害で壊れたらどうするのかと疑問が湧いた。そんな質疑応答を重ねた結果、藤川さんたちの取り組みは本物だと得心したという。市村さんが「相乗りくん」に強い関心を持った背景には、福島第一原発事故があったという。

市村光志さん

市村さんは「上田は自動車部品工業の町なので、日本全体の自動車産業の行方が気になる」と心配しているという。そうした企業の経営者に「相乗りくん」で上田市を「脱炭素の町」にしたいと水を向けても、「利益を回収できるのが10年も先では……」という答えが返ってくるケースが少なくない。藤川さんは、上田市の優れた経営者、再エネや省エネを工夫している建設業者、地方銀行の再エネ融資担当者でスクラムを組み、上田市の中小企業が脱炭素を「武器」に利益が出るような取り組みを何とか支援できないものかと思案を重ねている最中だ。

藤川さんは、まだまだやることがいっぱいあるという。上田市の企業で使うエネルギーをすべて再エネに転換して電気代を節約してもらうだけではない。公共施設の屋根はまだまだ太陽光パネルを乗せることができる余地もある。上田の企業の100%、公共施設の100%、特定地域・地区を再エネ100%というように「小さな100%」をひとつひとつ達成することで、上田市を脱炭素で先頭を走る町にしたいと夢見ている。(後編へ)


撮影/魚本勝之


金子勝(かねこ・まさる)
1952年、東京生まれ。東京大学経済学部卒業。法政大学経済学部教授、慶應義塾大学経済学部教授などを経て、現在、淑徳大学大学院客員教授、慶應義塾大学名誉教授。著書多数。近著に『平成経済――衰退の本質』(岩波新書)、『岸田自民で日本が瓦解する日』(徳間書店)、『高校生からわかる日本経済 なぜ日本はどんどん貧しくなるの?』(かもがわ出版)、『裏金国家――日本を覆う「2015年体制」の呪縛』(朝日新書)、元農水官僚で農政アナリストの武本俊彦氏との共著『「食料・農業・農村基本法」見直しは「穴」だらけ!?』(筑波書房ブックレット)がある。

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