共につくる米、田んぼ。重ねた関係を希望につなぐ
2024年7月24日から山形県庄内地方に降り続いた強い雨は、観測史上最大となる雨量を記録、現地に多くの被害をもたらした。生活クラブ連合会とは50年以上の提携を重ねてきた産地だ。その関係は町ぐるみ、地域ぐるみに及ぶ。長年、食材を生産し続けてくれた産地の思いもよらぬ災害に多くの組合員は言葉を失った。「生活クラブにできることはないか」。そうした思いのもと、組合員と役職員、120人以上が、遊佐町、酒田市の災害支援に駆け付けた。支援は、生産者だけにとどまらず庄内地域で幅広く行われ、復旧支援のカンパ活動には多くの組合員が参加している。
「山が水を蓄えきれず、木が土ごと崩れて川に流れ込み、集落内には土砂や流木があふれました」。JA庄内みどり遊佐町共同開発米部会の会長、今野修さんは発災当日をこう振り返る。道は通行さえ危険な状態だったため地元消防団の活動を優先、消防ポンプ小屋に戻れば自車は水没し流され、田んぼには泥水、流木が大量に流れ込んでいた。「ちょうど穂が出始める時期。出産直前の妊婦さんのようなデリケートな時期に大量の漂着物で田が埋まってしまいました」と今野さん。
雨がやんだ後も農道には石がたまり、重機を使って車が通行できるようにするのに1週間かかった。エゴマは跡形もなく流され、平野部のパプリカのハウスも冠水した。冠水は約四日間に及んだが、水が引いた後も苦難は続く。稲の花が咲く時期には、きれいな水を入れなくてはならないが、川から水を取り入れる設備「頭首工」が土砂に埋まっていた。土地改良区の懸命な作業でなんとか間に合わせ、稲の多くは無事に育ったが、田んぼの流木、土砂はそのままだ。この状態で刈り取り機械(コンバイン)を入れれば壊れて大損害が出る。とても収穫はできない。収量低下も明らかで、今年の収穫はあきらめようという声も聞かれるようになっていた。
JA庄内みどり遊佐町共同開発米部会・会長 今野修さん
産地の苦境を前に
発災当日の遊佐町、杉沢地区。田んぼがほぼ川のようになっている(写真提供:遊佐町共同開発米部会)
ちょうどその頃、首都圏ではスーパーの棚から米がなくなるという「令和の米騒動」が問題になっていた。長年生活クラブとの交流を重ねてきた開発米部会のメンバーからは「実っている稲を少しでも刈り取り、生活クラブの組合員に届けなければならないのではないか」という声が出るようになった。今野さん自身、無農薬栽培の「とことん共生米」や気候変動対策のための実験ほ場も手掛ける。豪雨の二日前には、庄内交流会で組合員を迎えたばかりだ。組合員と共に話し合いながら作った米を届けたいという思いは人一倍強かった。だが当面の復旧はできてもその先の作業もある。やるなら全員でと、各地域で方向性を模索する真剣な話し合いが始まった。
一方、生活クラブ連合会は発災直後、情報収集を進めつつ対応方針を検討していた。第一陣として連合会長付職員、鵜澤義宏さんが遊佐町に派遣されたのは、そんな話し合いが始まった時期だった。「何かできることはないか」と問う鵜澤さんに、今野さんは自分のほ場を見せた。機械で刈るには土砂や流木を撤去しなければならないが、稲に隠れ一見してどこにあるかがわからない。人が一列に並び田に入って見つけるローラー作戦ではどうか。人員を大量に投入すれば可能だ。「被災を機に離農を考え始めた高齢の生産者や、『もうだめだ』と落ち込む若手生産者を目の当たりにし、なんとか産地を支えなければと必死でした」と鵜澤さん。報告を受けた連合会では詳細を詰め8月の連合理事会に人的支援の実行計画を提案した。「『目の前にある生産者の苦境をこのままにはできない』と意見が一致しました」と専務理事の柳下信宏さんは振り返る。
生活クラブ連合会は、地域農業と日本の食料を守り、持続可能な社会と地域を発展させる、として、JA庄内みどり、遊佐町とは13年に「共同宣言」を、同JA、酒田市、生活クラブ庄内とは21年に「包括的連携協定」を締結している。復興に向け多忙な中、JAも行政も生活クラブの受け入れには全面的な協力態勢を整えた。支援は9月1日から10月15日までの1カ月半、遊佐町、酒田市を拠点に行われ累計256人分に及んだ。
ちょうどその頃、首都圏ではスーパーの棚から米がなくなるという「令和の米騒動」が問題になっていた。長年生活クラブとの交流を重ねてきた開発米部会のメンバーからは「実っている稲を少しでも刈り取り、生活クラブの組合員に届けなければならないのではないか」という声が出るようになった。今野さん自身、無農薬栽培の「とことん共生米」や気候変動対策のための実験ほ場も手掛ける。豪雨の二日前には、庄内交流会で組合員を迎えたばかりだ。組合員と共に話し合いながら作った米を届けたいという思いは人一倍強かった。だが当面の復旧はできてもその先の作業もある。やるなら全員でと、各地域で方向性を模索する真剣な話し合いが始まった。
一方、生活クラブ連合会は発災直後、情報収集を進めつつ対応方針を検討していた。第一陣として連合会長付職員、鵜澤義宏さんが遊佐町に派遣されたのは、そんな話し合いが始まった時期だった。「何かできることはないか」と問う鵜澤さんに、今野さんは自分のほ場を見せた。機械で刈るには土砂や流木を撤去しなければならないが、稲に隠れ一見してどこにあるかがわからない。人が一列に並び田に入って見つけるローラー作戦ではどうか。人員を大量に投入すれば可能だ。「被災を機に離農を考え始めた高齢の生産者や、『もうだめだ』と落ち込む若手生産者を目の当たりにし、なんとか産地を支えなければと必死でした」と鵜澤さん。報告を受けた連合会では詳細を詰め8月の連合理事会に人的支援の実行計画を提案した。「『目の前にある生産者の苦境をこのままにはできない』と意見が一致しました」と専務理事の柳下信宏さんは振り返る。
生活クラブ連合会は、地域農業と日本の食料を守り、持続可能な社会と地域を発展させる、として、JA庄内みどり、遊佐町とは13年に「共同宣言」を、同JA、酒田市、生活クラブ庄内とは21年に「包括的連携協定」を締結している。復興に向け多忙な中、JAも行政も生活クラブの受け入れには全面的な協力態勢を整えた。支援は9月1日から10月15日までの1カ月半、遊佐町、酒田市を拠点に行われ累計256人分に及んだ。
共に乗り越えてきた歴史
「『ここまで来たんだ』と感極まって泣きそうでした。実際、コンバインの上で涙が出ましたね、うれしくて」と今野さんは稲刈りができた時の感慨を口にする。災害当日から次々に遭遇した困難を振り返れば、いつ刈り取れるのかと確信が持てなかったのは事実だ。だが、最も被害の大きかった杉沢地区でも、全農家が収穫を終えることができた。「一人では立ち上がれなかった」「あきらめかけた際、支援があり、希望が見えた」「組合員がここは自分たちの田んぼと言ってくれ、やらなければと思った」という声が各地で聞かれた。
共同開発米部会では1993年「平成の米騒動」といわれた記録的米不足の際、部会員が自家用の飯米を供出して生活クラブに米を供給した。東日本大震災の際にも同様に自家用米を供出し、その分代わりに福島第一原発事故の影響で消費量が落ちていた栃木県の生産者の米を食べる活動を行った。「一俵供出運動」として今も部会内に語り継がれている。「互いの危機を乗り超えてきた歴史の一方、今回は協定が力を発揮し、関係が庄内地域に広がったことがありがたい」と今野さんは言う。
共同開発米部会では1993年「平成の米騒動」といわれた記録的米不足の際、部会員が自家用の飯米を供出して生活クラブに米を供給した。東日本大震災の際にも同様に自家用米を供出し、その分代わりに福島第一原発事故の影響で消費量が落ちていた栃木県の生産者の米を食べる活動を行った。「一俵供出運動」として今も部会内に語り継がれている。「互いの危機を乗り超えてきた歴史の一方、今回は協定が力を発揮し、関係が庄内地域に広がったことがありがたい」と今野さんは言う。
農業の明日へ
ここ数年、原油も肥料も高騰し生産コストは大幅に上がったが市場価格には反映されず米農家は苦しい経営を強いられてきた。採算は合わずとも高齢農家が年金収入を得ながら生産を続けているのが日本の現状だ、と今野さんは分析する。若手農家の経営は厳しく米不足はいつ起こってもおかしくない事態だ。「実際に物がなくなったことで米の価値に気づく人が増えるといいのですが」と今野さん。それでも生活クラブとは価格協議があり、市場出荷よりは食べる側からの理解を得られている実感はあると言う。農業という仕事がこれほど人に期待され、誇れる職業だと実感したのも、交流会で生活クラブ組合員から教わったことだ。だから開発米部会の若手メンバーも積極的に交流会に連れて行く。「すぐに結果が出る活動ではないけれど、責任をもって食べるという生活クラブ運動は確実に産地をつくり自分みたいな後継者を育てています。農家が嫌で避けていた人間が今、部会長をしているのですから」と今野さん。今回のような危機に、電車で片道5時間もかかる地域にこれだけの人が支援に来る関係は他にはないと断言する。
10月。遊佐町ではようやく稲刈りを終えた。復旧したようにみえても今後また問題が出てくるかもしれない。異常気象に翻弄(ほん.ろう)される農業だが「気象のせいだけにはしたくない」と対策の実験にも励む。実験できるのは、食べる約束があるからだ。「われわれは生産する人にこの関係を語るから食べる人にも伝え広げてほしい」と今野さん。50年に及ぶこの関係が広がることが希望につながると提言する。
10月。遊佐町ではようやく稲刈りを終えた。復旧したようにみえても今後また問題が出てくるかもしれない。異常気象に翻弄(ほん.ろう)される農業だが「気象のせいだけにはしたくない」と対策の実験にも励む。実験できるのは、食べる約束があるからだ。「われわれは生産する人にこの関係を語るから食べる人にも伝え広げてほしい」と今野さん。50年に及ぶこの関係が広がることが希望につながると提言する。
撮影・文/本紙・宮下 睦
★『生活と自治』2024年12月号 「生活クラブ 夢の素描(デッサン)」を転載しました。
【2024年12月30日掲載】