「推し活」の手法を政治に使っていいのかと問う声に
寄稿 アイドル評論家 中森明夫
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2025年春から中森ゼミを開講予定です。
拙著『推す力』(集英社新書)を読んでくださった生活クラブ連合会の山田衛さんを幹事(進行係)として出発です。
「推す力」とは何か? 「推す」とは、アイドルや芸能人を応援すること。それが自分個人の「利己」主義を超えて、自分以外のもの「利他」を大切にする……この世界を肯定して豊かにする力に繋がってゆくはずだ、と思いました。
私はアイドル評論家として、まさにアイドルを「推す」ことを仕事に40年余りを生きてきた。そうして、今、私が得た知見をより広く世に問いたいと考えています。それはアイドルや芸能、文化に限らず、この社会全体に対する考察と提言になるでしょう。
昨年、2024年は政治的な激動の年でした。
まず、アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが勝利した。これには驚きました。
他方、わが国でも石破茂が新しい総理大臣となる。が、衆議院選挙で惨敗、自公政権は過半数割れで少数与党に。こちらも先行きが不透明です。
私が注目したいのは、この国の政治、ことに選挙のあり方が大きく変容しつつあること。
東京都知事選挙では、安芸高田前市長の石丸伸二氏が蓮舫候補を破って2位に着け、大きな注目を集めました。この動きは、失職した斎藤元彦兵庫県知事が出直し選挙に臨んで、大方の予想を覆して圧勝したことにも繋がります。
テレビやマスコミ的には知名度が低かった石丸氏。連日、ワイドショーでパワハラおねだり知事としてバッシングされていた斎藤氏。
その構図をひっくり返したのは、SNS……そう、YouTubeやTikTok、LINE、Instagramといったソーシャルメディアだと言われています。
斎藤知事の予想外の圧勝については「テレビがSNSに負けた」とも報じられました。
さらには玉木雄一郎代表の率いる国民民主党は、SNS戦略を展開して若い層に大きな支持を得て、議席を4倍増させた。
どうやら何か大きな地殻変動が起こっているようです。
石丸伸二氏や斎藤元彦氏の選挙戦での支持者らの熱い応援は、さながらアイドルのファンの熱狂のようにも見える。
そんな折、X(旧ツイッター)で以下のようなポスト(投稿)を見かけました。
<中森明夫さんが推し活のススメみたいなこと言ってたけど、それを政治でやったらマズいんじゃないか>
なるほど、先に記したように私は「推す力」の提唱者です。これは考えなければなりません。
★
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石丸、斎藤、国民民主の選挙での大躍進は、実のところ、私にとって意外なものではありません。「いつか見た風景」のようです。
既にそれはアイドルの世界で15年も前に起こったことに似ていました。
日本のアイドル文化は1970年代初頭に始まった。それが80年代末に行き詰まる。アイドルとはかつて「テレビで輝く若い芸能人」のことでした。しかし、昭和末から平成になると『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』といった番組が次々と終わる。テレビから姿を消して、アイドルは長い冬の時代を迎えるんですね。
突如、それが復活を遂げるのは、2010年代に入ってからでした。AKB48の大ブレークです。AKBは2005年末に発足、秋葉原の劇場をメインステージとした(その一番最初のライブを私は見ています)。テレビでは、ほとんど見かけなかった。
ところが、気がつくと巨大スタジアムに何万人もの観客を集め熱狂させる一大ブームとなっていました。その光景を目にして、私は仰天しました(最初のライブの観客は、たった7人だったんです⁉ )。
いったい何が起こったのか? そう、2010年頃にスマートフォンが急速に普及した。SNSによってファンがものすごいスピードで拡大していったんですね。テレビだけを見ている人には決して気づかなかった。
今回、石丸伸二氏や斎藤元彦氏の突然の大躍進に驚いた方も多いと思います。それはテレビや新聞といった「オールドメディア」とは違う場所……SNSで密かに急拡大したかつてのAKB48らアイドルの大ブレークとまったく同じ光景なのです。
「テレビがSNSに負けた」のは既に15年も前にアイドルの世界で起こったことなのでした。
さて、問題は先のXでのポスト、アイドルに対する「推し活」の手法を政治に転用していいのか、ということです。
一般的にアイドルや芸能は、政治と比較してどこか低いものに見られがちです。しかし、人類の歴史を振り返れば、前者は後者よりはるかに古い。アイドル(idol)の語源は「偶像」です。人間を偶像とする芸能は、政治よりも学問よりも国家よりも歴史がある。それは始原の人類が、雨乞いや災厄祓いのため舞い歌ったことを起源とし、そこから宗教が誕生しました。
政治のことを「まつりごと」とも言います。まつり=祭り、つまり政治の起源は祭儀であり、さらにその根源は芸能なんですね。
こう考えると、先のアイドルで行われた手法が15年も遅れて、今、政治の世界で広がっている理由がよくわかる。常に芸能は政治に先行し、政治は芸能に追随するんです。
ことに選挙は祭儀であり、政治のもっとも芸能的な側面があらわになる。候補者がアイドルで、有権者がファン、選挙演説がライブステージになるのは、これは歴史的な必然なんですね。
さて、私の考え方はこうです。政治で安易に「推し活」するのではなく、アイドルや芸能で「推し活」して推すことの功罪を学ぶべきだ、と。
人は誰もが一人では生きていけません。誰かに支えられ、誰かを支えて、日々生きている。「推す」ことの根源には、この人間の本来的な属性があるんですね。芸能やアイドルは、それをあらわにするエンターテインメントなんだ、と。
しかし、推すことには危うさもある。いわゆるオレオレ詐欺、さらには<頂き女子>事件で問題となったパパ活詐欺など、人が人を助けたい、いわば人間の「推す本能」を悪用した犯罪だとも言えるでしょう。
これを予防するには推すことに免疫をつけ、自覚的になる、それを学ぶために芸能やアイドルの「推し活」が有効だと思います。
ましてや政治は、私たちの社会基盤を作る、生存条件に関わる極めて重要なファクターです。そこに芸能やアイドルの「推し活」の手法があからさまに導入されている今、私の提言とさせていただきました。
撮影/魚本勝之
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なかもり・あきお
作家・アイドル評論家。三重県生まれ。さまざまなメディアに執筆、出演。「おたく」という語の生みの親。『東京トンガリキッズ』『アイドルにっぽん』『午前32時の能年玲奈』『寂しさの力』『青い秋』など著書多数。小説『アナーキー・イン・ザ・JP』で三島由紀夫賞候補となる。