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地域を支える農業を、みんなで【梅、梅ぼし、富有柿、他】

提携先 王隠堂(おういんどう)農園【梅、梅ぼし、富有柿、他】地域を支える農業を、みんなで
4月初旬の、三重県御浜町にある御浜天地農場
 
奈良県五條市西吉野町にある王隠堂農園は、梅や柿、その加工品を生活クラブに提供する提携生産者だ。提携の歴史は48年にわたる。気候の変化や過疎化など、農業を取り巻く情勢が厳しさを増すなか、早くから産地の複数化、時間や労力を抑えた農法の模索などに取り組み、過疎化が進む農村で未来の農業を描きながら、さまざまな挑戦を続けている。

ひと粒ひと粒が天の恵み


三重県御浜町にある御浜天地農場
 
農業生産法人有限会社王隠堂農園(以下・王隠堂農園)の梅を生産する農地は、奈良県、三重県、和歌山県の3カ所にある。その一つ、三重県の御浜天地(みはまてんち)農場の農場長、野瀬昌輝(まさき)さんが、「今年の梅は、昨年夏の干害と、花が咲く時期の悪天候のため、実のつき方が少ないようです」と、4月初めの若葉が出始めた梅畑を見渡す。御浜天地農場は、熊野灘に面した三重県南端の御浜町にあり、海岸より車で20分ほど内陸に入ったところだ。

「自分たちは、有機栽培、または特別栽培で梅を育てています。いずれも有機質肥料を使い、除草剤は使いません。有機栽培では農薬、化学肥料は使わず、特別栽培では、農薬使用を三重県の慣行栽培の半分以下の必要最低限に抑えています」と野瀬さん。除草剤を使わないので、収穫までに3回、収穫後から秋口までに5~6回の草刈りをする。熊野の山々に囲まれているため、シカやイノシシによる獣害もある。柵を作りシートを張るなどして侵入を防ぎ、見回りも欠かせない。
こうして1年間コツコツと収穫へ向けての努力を積み上げるが、気候の変化や数日の天候不良が収穫量に大きく影響を及ぼすことがある。

梅は、7月から8月にかけて次の年の花芽を作り、数が決まる。「昨年、その時期に約1カ月以上、全く雨が降りませんでした。本来ならば、梅は11月末ぐらいまで光合成をしてたくさん栄養をたくわえます。それから落葉するのですが、夏に葉が落ちてしまったのです。木が枯れてしまったと思いましたが、急いで液肥をまいて栄養を補給し、最悪の状況は避けることができました」と、野瀬さんが昨年の梅の木の状態を振り返る。

弱っていた木は生育が遅れ、今年の開花は、過去10年間で一番遅かった。それでも花芽はしっかりと充実していたので収穫が期待されたが、満開を迎えた今年の2月下旬は、早春の長雨の時期に重なった。梅は、他の梅の花粉を受粉すると結実しやすいが、花粉を運ぶミツバチは曇りや雨の日は飛ばない。そのため、多くの花が受粉できずに落ちてしまった。

一作年の冬は暖冬だった。冬に気温が高いと梅は花芽が未熟なうちに開花してしまい、受粉しても実にならない場合が多い。さらに、標高が高い地域では花が咲く時期に霜が降り、昨年は多くの梅の生産地が不作だった。ただ、御浜天地農場の梅は霜害にはあわずにすみ、その分、周りに比べれば収穫量は多かった。
 
傾斜が緩く、ほぼ平坦な土地なので、草刈りや肥料散布などは、機械を使い作業ができる
「自然相手の仕事です。収穫が終わるまでは結果がわからないので、できることをやるしかありません。こうして実がなってくれているだけでもありがたいと思いたいです。毎年、天の恵みというものを、身をもって思い知らされています」。野瀬さんは5年後10年後を見据え、古い梅の木の植え替えを進めている。

 
御浜天地農場の農場長、野瀬昌輝さん。就農して10年目、農場長に就いて5年目を迎える
昨年植えた苗木に新芽が出た。実を収穫できるまでに4~5年がかかる
 
小梅は受粉して、たくさんの実がついた

1軒の農家から共同する農業へ

右から、王隠堂農園加工事業部の辻田親一さん、御浜天地農場の今井利治さん、王隠堂農園の代表取締役の王隠堂誠海さん、御浜天地農場の農場長の野瀬昌輝さん、山下隼司さん
 
王隠堂農園と生活クラブの提携は1977年より続く。奈良県西吉野村(現・五條市西吉野町)で、梅と柿を生産していた農家の王隠堂誠海(まさみ)さんとの出会いが始まりだった。王隠堂さんは、現在、王隠堂農園の代表取締役を務める。

当時は、形のいい多収量の農産物が求められた時代。化学肥料や農薬を多用する農業が一般的だった。王隠堂さんも農協の指導のもとに慣行栽培を行っていた。しかし、農薬を使い体調不良を訴える人が出てきたり、生き物の様子が変わっていく川や畑を見て疑問を持つようになる。

農薬を減らし、有機質の肥料を使う栽培方法に変え、農協を離れ、梅の販路を探していた時に出会ったのが生活クラブだった。梅は生では傷みが早いため、梅干しを作り供給することにした。

最初は王隠堂さんが生産する梅干しだけで足りていたが、利用が増え、近隣の農家に同じような梅の栽培方法をすすめ、梅干しを作る仲間を1軒1軒増やしていった。ところがそれぞれの農家が個々に加工するので、品質にばらつきがあり衛生面でも問題が出てきた。
そこで、自宅のそばに共同作業場をつくり、そこに農家が梅を持ち寄り、共同で梅干し作りを始めた。84年には、「農業生産法人有限会社王隠堂農園」を設立し、王隠堂さんを含めて梅生産農家が共同で梅を生産加工し出荷する体制を整えた。

86年、五條市に新たに建設した梅干し加工センターは、その後、梅だけではなく、柿や野菜などの生産者が共同して運営し、生産と加工を分業化し事務局機能を備えた地域共同センター「パンドラファーム」に発展する。王隠堂さんは、生産者が共同し、平等な立場で事業に取り組んだことに意義があり、その後の地域の農業を支えていると言う。

 
王隠堂農園の代表取締役、王隠堂誠海さん

三つの産地で

90年代後半以降、日本の農家の高齢化や後継者不足は深刻化、農業の存続が危ぶまれるようになり、気候の変化も徐々に梅の生産に影響し始めた。

五條市西吉野町にある王隠堂農園の梅畑は、吉野の山々に囲まれ、標高が高い中山間地にある。急傾斜の厳しい立地で、草刈りなどに手間がかかり生産効率が悪い。また、暖冬の年が多くなり、梅の開花が早まるようになると、遅霜の影響を受けるようになった。王隠堂農園は、これからも梅を安定的に生産し続けるため、温暖な気候で、作業もしやすい平坦な土地を探した。そこでたどり着いたのが、同じ紀伊半島、三重県の御浜町だった。

御浜町は柑橘(かんきつ)類の生産が盛んな地域で、1975年には、生産規模を拡大するために国営の農地開発事業(パイロットファーム事業)も始められた。しかし、その後、柑橘類の需要が減ると、ミカンの木が植えられたままの園地や未利用地が雑木林として放置されていった。


30年前、このような雑木林を整地した

王隠堂さんたち梅の生産者はそういった土地を借りて整地し、梅の木を植え、97年に、共同農場「農業生産法人有限会社御浜天地農場」を設立する。現在、その農地は15ヘクタールに広がっている。南高梅や小梅といった収穫用の木の他、受粉のための木、紅さしなど約4000本が栽培され、毎年100トン前後の梅が生産されている。ひとつひとつ手で収穫された梅は、その日のうちに熊野の山道を、車で3時間ほどをかけて五條市の梅集荷場に運ばれる。
現在、畑を管理するのは農場長の野瀬さん、山下隼司(しゅんじ)さんと今井利治(としはる)さんの3人だ。ほぼ平坦な土地なので、草刈りも肥料散布も機械を使うことができる。野瀬さんは、「平らだからこそ、労力も作業時間も大幅に抑えられています。30年前に整地をしてくれていたので、気候変動が進むなかでも、自分たちはこうして梅を生産することができます」と、先人の仕事に思いをはせる。
 
山下隼司さんは三重県伊賀上野で稲作をしていたが、熊野市に移住し、昨年7月より御浜天地農場で働いている。「風景もよく、とても気に入っています」
王隠堂農園が生産する梅のほとんどは梅干しに加工される。2019年までは、生活クラブに供給する梅干しの原料は西吉野で生産される奈良県産だった。「19年が不作で20年も収量が厳しくなる見通しとなったため、20年より三重県産と和歌山県産を加えることにしました。その後、年によって産地の収穫量は変わりますが、全体として安定した梅の生産ができています」と加工事業部の辻田親一さん。「気候や土地の条件が違う産地が補い合って生産するところに価値があるんやで」と王隠堂さんが続ける。

西吉野では昨年、有畜複合農業の実験として、急斜面の梅畑に6頭の羊を放した。いつもは手作業で草を刈っていたが、羊が草を食べるので、一度も草刈りをしなくてすんだそうだ。

西吉野の急斜面の園地で、草を食べる羊

過疎化が進む農村で、これからも地域を支える農業への挑戦が続く。

撮影/田嶋雅已
文/伊澤小枝子

残るのは種だけ

五條市にあるパンドラファームの梅干し加工場。右が加工事業部の辻田親一さん。中央が農産事業部の風谷猛仁さん

梅干しを作るには、梅をまず塩漬けにする。しばらくすると梅の成分が溶け出した液体(梅酢)が出てくる。その段階で梅を取り出し天日干ししたものが、白梅干し。これを梅酢ともみしそに漬け、色づけ熟成させたものが梅干しだ。

王隠堂農園では、この工程を一貫して行うが、一般には、梅の生産農家が白梅干しを作り、梅干しメーカーがそれを調味液に漬け、梅干しに仕上げる。「農家がそれぞれに作る白梅干しは、塩の種類や量などがまちまちで品質が同じではありません。製品の味が均一になるように、メーカーは調味液に漬ける前に、農家から仕入れた白梅干しを水にさらし、塩抜きをします」。と、加工事業部の辻田親一さん。水さらしの間にミネラルなども抜けてしまい、味がほとんどなくなってしまうと言う。メーカーはこれを、調味料や着色料などが使われた調味液に漬け、「調味梅干し」として販売する。塩分が低いので、保存料も必要になる。「古くから作られる、梅と塩と赤しそだけを原料とした梅干しの水分量は70%から75%です。自分たちはそれを基準に梅干しを作りますが、調味液に漬けた市販品は、水分を90%ぐらい含みます。そのためぽってりとした食感になるのです」

王隠堂農園では、収穫した梅の種以外は、梅のすべてを加工、利用しつくす。取締役の王隠堂正悟哉(まさや)さんはその理由を、「王隠堂農園は、もともと梅と柿を生産する一農家から始まりました。自分たちが作った農産物を、余すことなく全部食べてもらいたい、という思いがあるからです」と話す。

梅の収穫は、青梅が5月末から6月上旬、主に梅干し用の黄梅が6月中旬以降だ。収穫した梅は、まず見た目がよく大きいものを青果用に取り分ける。「梅は熟する時にエチレンガスを発生し熱を持つので足が早いです」と、農産事業部の風谷猛仁(かぜたにたけひと)さん。そのため、一番おいしく使えるタイミングで梅を組合員に届けるのが難しいと言う。

青果用の梅を取り分けた後、青梅は梅ゼリーの原料や、カリカリ梅、梅エキスなどに、黄梅の大半は梅干しの原料に使われる。完熟して流通中に形が崩れるような梅は、完熟梅ゼリーや梅ジャムの原料となる。

梅干しを作る工程で出てくる副産物もさまざまに加工し、別の消費材を作る。つぶれてしまった梅干しは「つぶれ梅」や「梅びしお」に。色づけに使い残った「もみしそ」はふりかけにする。梅干しを漬けた後に残る赤梅酢は、「カリカリ梅」の漬け酢に使ったり、高知県で栽培されるショウガを漬けて「紅しょうが」を作る。残るのは、種と使いきれなかったもみしそだけだ。

「生産者が丹精込めて作る梅の実や副産物の全部を、無駄にしたくないという思いから、目の前に出てきた材料をどう加工して食べてもらうかということをいつも考えています。そうしてひとつひとつ消費材が誕生しました」と正悟哉さんが話す。

クエン酸を多く含む梅は、さっぱりした味わいで、昔から疲労回復や食欲不振の時に食べられてきた。猛暑が予想される夏に向けて、心強い食品だ。
白梅干し
 
王隠堂農園の取締役、王隠堂正悟哉さん

撮影/田嶋雅已
文/伊澤小枝子
 
『生活と自治』2025年6月号「連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
 
【2025年6月20日掲載】
 

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