黒姫の、土と水と【黒姫山草茶、杜仲茶、黒豆入りダッタンそば茶、他】

長野県信濃町の黒姫山麓に、「黒姫山草茶」の生産者、黒姫和漢薬研究所がある。戦後開拓で入植した創業者が、近辺に自生する山野草を集めて薬草茶を作ったのが始まりだ。独自の製法で作る薬草茶は飲み継がれ、人々の健康維持に役立ってきた。さらに、途絶えかけている甘茶の復活を目指す活動に取り組み始めている。
開拓から始まる

黒姫和漢薬研究所の代表取締役、狩野土(はかる)さん(左)と、
取締役で企画室長の狩野森(しん)さん
「雑草といわれる植物の中には、健康に暮らしていくために役立つ薬草がたくさんあります。ヨモギや、ドクダミなどは薬草として使われる宝物で、身の回りに薬箱があるようなものです。それが、高度経済成長の中で忘れ去られていきました」と、黒姫和漢薬研究所の取締役、企画室長の狩野森(しん)さんは言う。黒姫和漢薬研究所では、そういった植物をさまざまにブレンドして山野草茶を作る。「薬効の成分を取り出して調子の悪い時だけ飲むのではなく、日常茶として毎日飲み健康を保つお茶であることが大事です」と話すのは、代表取締役で、森さんの父、狩野土(はかる)さんだ。
創業者であり、土さんの父でもある狩野誠さんが、戦後開拓のため信濃町の黒姫山麓に入植したのは1946年。信濃町は長野県の北部にあり、新潟県と接する豪雪地帯だ。「入植した当時は用水に乏しく、石がゴロゴロとある土地でした。30戸ぐらいが集まり畑を作り農業を始めましたが、食べ物にも事欠く暮らしだったようです」と土さん。
信濃町には多くの種類の山野草が自生する。誠さんは農業のかたわら、山にある植物を暮らしに役立てられないかと考えた。戦時中に野生の植物を利用する技術を学んでいた経験もあり、山野草を集めてお茶を作り始めた。「戦後の食糧難の時代に、今日を生きて明日を迎えるにはどうするかという状況の中で、なんとか食べて暮らしていくための創業でした」と、土さん。今は故人となった父の、山野草に賭けた心情を思いやる。
その時、各方面の協力を得て作ったお茶が「えんめい茶」。黒姫山麓をはじめ、信越の山々に豊富に自生しているクマ笹の新芽を中心に、クコ葉、ヒキオコシ、ハトムギ、ハブ茶を原料にしたお茶だ。当時、開拓地では、病気になっても医者にかかることが難しく、薬も簡単には手に入らなかった。えんめい茶は、地域の人たちが日常的に飲み、健康に暮らすことを願って作られたお茶でもあった。
創業者であり、土さんの父でもある狩野誠さんが、戦後開拓のため信濃町の黒姫山麓に入植したのは1946年。信濃町は長野県の北部にあり、新潟県と接する豪雪地帯だ。「入植した当時は用水に乏しく、石がゴロゴロとある土地でした。30戸ぐらいが集まり畑を作り農業を始めましたが、食べ物にも事欠く暮らしだったようです」と土さん。
信濃町には多くの種類の山野草が自生する。誠さんは農業のかたわら、山にある植物を暮らしに役立てられないかと考えた。戦時中に野生の植物を利用する技術を学んでいた経験もあり、山野草を集めてお茶を作り始めた。「戦後の食糧難の時代に、今日を生きて明日を迎えるにはどうするかという状況の中で、なんとか食べて暮らしていくための創業でした」と、土さん。今は故人となった父の、山野草に賭けた心情を思いやる。
その時、各方面の協力を得て作ったお茶が「えんめい茶」。黒姫山麓をはじめ、信越の山々に豊富に自生しているクマ笹の新芽を中心に、クコ葉、ヒキオコシ、ハトムギ、ハブ茶を原料にしたお茶だ。当時、開拓地では、病気になっても医者にかかることが難しく、薬も簡単には手に入らなかった。えんめい茶は、地域の人たちが日常的に飲み、健康に暮らすことを願って作られたお茶でもあった。

黒姫和漢薬研究所の原点である、山野草で作るお茶の原料。40年前のものが残っている
「黒姫山草茶」誕生
生活クラブとの出会いは80年頃。82年、えんめい茶の原材料にツユクサ、ヨモギ、アマチャを加えた山野草茶の取り組みが始まる。黒姫山麓で採取したクマ笹やアマチャを使い、地元で加工したお茶であることがストレートにわかるように、名称を「黒姫山草茶」とした。「このブレンドは、日常的に飲めるお茶であることに加え、胃をいたわり体を温める働きもあります。冷たくして飲んでも、それほど体を冷やすことはありません」と森さん。冷房が効いた室内で仕事をしなければならず、冷え性で悩む人にもお薦めだと言う。当初、インド産のハブ茶を使っていたが、後にこれを抜いた。「よりやさしい味になりましたよ」と、国産の原材料に統一した結果にも自信を示す。
水と、月の光

実物(みもの)焙煎は高温で行う。ハトムギの焙煎が始まると、香ばしい香りが漂う
原材料の焙煎(ばいせん)は、実物(みもの)焙煎と葉物(はもの)焙煎の二通りの方法があり、経験を重ね、技術を磨いてきた専門の焙煎士が担当する。
原材料の焙煎(ばいせん)は、実物(みもの)焙煎と葉物(はもの)焙煎の二通りの方法があり、経験を重ね、技術を磨いてきた専門の焙煎士が担当する。
ハトムギ、クロマメなどの実を使う物は、熱風とじか火を使い高温で焙煎する。焙煎も行っていた工場長の中山真史(まさふみ)さんが、「それぞれの実の状態を確かめ、粉砕後の味までを想像して焙煎時間を調整します。その日の天気や、気温、湿度も大きく関係します」と言う。

工場長の中山真史(まさふみ)さん。以前は生活クラブを担当していた。「実物と葉物(はもの)を合わせて50種類ぐらいの原材料を焙煎(ばいせん)しています」
ヨモギ、クマ笹、クワなど、葉物の焙煎では、火を入れる前に水を霧吹きで吹きかける。焙煎士の田中拓実さんが、「乾燥した葉に一度水を含ませることにより、じっくり火が通り、焙煎中に粉々になることを防いでいます」と、独自の焙煎方法を紹介してくれた。吹きかける水は信濃町産だ。

焙煎歴5年の焙煎士、田中拓実さん。「自信を持って、それぞれの山野草の味と香りを引き出しています」
かたわらで土さんが、「人は住んでいる土地で、季節に採れた作物を食べるのが健康にいいという身土不二という考え方があります。水も土と密接に関係しながら作物を育てることから、この焙煎方法を身水不二加工と呼んでいます。全国各地で生産される原材料が、信濃町にある野尻湖から発生する霧に包まれて育つ野草と同じ水分を含み親和性が生まれ、味がまとまりおいしくなるようにと考えた工程です」と話す。
焙煎後ブレンドしたお茶は、5畳ほどの部屋で一定期間貯蔵される。特殊なLED電球の光で満月の夜を再現した、心地よい音楽と風が流れる部屋だ。「太陽の光は物を成長させ、月の光は内面の質を高めるといわれています。山野草が持つエネルギーを最大限に引き出したいと、24年前に作りました」と土さん。「見た目には変化がありませんが」と笑うが、黒姫で作られるお茶が、できるだけおいしく飲んでもらえるものになるようにと願いを込めている。
焙煎後ブレンドしたお茶は、5畳ほどの部屋で一定期間貯蔵される。特殊なLED電球の光で満月の夜を再現した、心地よい音楽と風が流れる部屋だ。「太陽の光は物を成長させ、月の光は内面の質を高めるといわれています。山野草が持つエネルギーを最大限に引き出したいと、24年前に作りました」と土さん。「見た目には変化がありませんが」と笑うが、黒姫で作られるお茶が、できるだけおいしく飲んでもらえるものになるようにと願いを込めている。

焙煎状態を確認する

焙煎後のクワの葉

葉物焙煎は、火を入れる前に霧吹きで水を含ませる

ブレンドしたお茶を保管する部屋は、満月の夜の光が再現されている
甘茶復活へ
黒姫山草茶の原材料の一つに甘茶がある。ユキノシタ科の植物、アマチャの葉をよく揉(も)み発酵させると甘味成分が生まれる。やさしい甘さのお茶として古くから親しまれてきた。4月8日、お釈迦(しゃか)様の誕生日に、花で飾られた釈迦像に甘茶をかけて誕生を祝う「花祭り」は、奈良時代から続く伝統行事だ。
アマチャは冷涼な気候で育つ。標高が約800メートルで、積雪が多い信濃町では江戸時代より栽培され、日本一の生産量を誇っていた。しかし生産農家が高齢となり手のかかるアマチャの栽培から離れていき、さらにアマチャの株の老齢化も進み、現在の生産量は最盛期の1割にも満たない。そのため甘茶の生産も減り、花祭りの行事も少なくなっていった。
黒姫和漢薬研究所は、甘茶の再生と花祭りの復活に向けて、2020年より自社ほ場でアマチャの栽培に取り組んでいる。森さんは初めて農作業を体験した。「開墾や苗作りを行い、草刈りで熱中症になったり、ハチに刺されたり、苗が全滅してしまう災難にもあいました。でも試行錯誤しながら自分たちが一から作ったお茶は、原材料を仕入れて作るものとは、味もこだわりも数段違うように感じられ、愛着がわきます」と、新しくスタートした農業事業に新鮮な気持ちを抱いている。25年には、2年間をかけて遊休農地を開墾した4アールの土地に1000本の苗を定植した。この作業には、地元の農家や生活クラブの組合員も参加した。今年は2000本の植栽を予定している。
アマチャは冷涼な気候で育つ。標高が約800メートルで、積雪が多い信濃町では江戸時代より栽培され、日本一の生産量を誇っていた。しかし生産農家が高齢となり手のかかるアマチャの栽培から離れていき、さらにアマチャの株の老齢化も進み、現在の生産量は最盛期の1割にも満たない。そのため甘茶の生産も減り、花祭りの行事も少なくなっていった。
黒姫和漢薬研究所は、甘茶の再生と花祭りの復活に向けて、2020年より自社ほ場でアマチャの栽培に取り組んでいる。森さんは初めて農作業を体験した。「開墾や苗作りを行い、草刈りで熱中症になったり、ハチに刺されたり、苗が全滅してしまう災難にもあいました。でも試行錯誤しながら自分たちが一から作ったお茶は、原材料を仕入れて作るものとは、味もこだわりも数段違うように感じられ、愛着がわきます」と、新しくスタートした農業事業に新鮮な気持ちを抱いている。25年には、2年間をかけて遊休農地を開墾した4アールの土地に1000本の苗を定植した。この作業には、地元の農家や生活クラブの組合員も参加した。今年は2000本の植栽を予定している。
「父は、黒姫という名前にひかれて入植しました。この土地で、共に畑を作り農業に従事した人たちも、ここで生まれ育った人たちも、みんなが誇りを持って暮らせるような産業をつくりたかったのです」。土さんは、それを実現したこの土地の未来に貢献したいと考えている。森さんも、「山野草の可能性はまだまだありますよ」と同じ思いだ。

狩野土さん。「黒姫で甘茶の文化を守ります」
黒姫では、雪解け後の農作業や、それを支える人たちを迎える準備が着々と進められている。

1月の黒姫山麓。アマチャは雪に覆われて冬を越す。雪に保護され、凍結することなく春を迎える
撮影/田嶋雅已
文/伊澤小枝子
文/伊澤小枝子
『生活と自治』2026年3月号「連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
【2026年3月13日掲載】