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日々の「食卓」と「食」の生産現場をつなぐ ――手紙の遣り取りで知る産地のいま――


断続連載

「大」と「中」と「小」が支え合う「共生」の道は?


出漁前に、船団員の子どもが船に向かって「お潮井まき」する様子

 
前略 昨年(2025年)秋、この何年も不漁続きだったサンマ一尾に5万円の“初もの価格”が付いたのに驚いたとお伝えしたと思ったら、今度は一転して「サイズは大きめ。まるまる太ったサンマが豊漁」との報道です。それもつかの間。「この傾向は長くは続かない。食べたかったらお早めに」の呼びかけに肩透かしを食らったような気分になりました。重ねて不可思議なことに、サンマ同様の不漁続きで「型は小ぶり」とされていたスルメイカも水揚げ好調と伝えられたのです。これは久々の朗報と喜んでいたら「漁獲枠を超える水揚げはいけません」と水産庁からストップがかかり、漁獲枠に余裕がある大型・中型漁船の操業が認められた一方、小型イカ釣り船の出漁はままならなくなったと報じられました。

貴重な水産資源が枯渇しない範囲での水揚げ量を算出し、資源を守りながら漁業の持続可能性を担保する。それには漁船ごとに「漁獲上限」を定めて管理するという科学的手法の意図はなるほど理解できなくはありません。しかしながら、その「枠」の算出の根拠となる過去の水揚げ量は船の大きさに比例して多くなるのは理の当然であり、小型漁船は必然的にハンディを抱えることになるのでは?と素朴な疑問が湧いてきます。というのも、農業の大規模・スマート化が高らかに求められるなか、とかく昨今は何事も「大きいことはいいこと」であり、大に近い「中」はまだしも大にも中にも届かないような「小」は、あってもなくても良いと見なすような風潮が支配的な社会になってきている気がしてならないからです。どうして「大」の枠を「中」と「小」に振り分け、水産業の生産基盤を弱体化させないような暫定対応を水産庁は講じてくれないのか、なぜ「共生」を志向しようとしてくれないのかと思うのです。

2024年1月に能登半島地震が発災した直後から、貴兄は「能登の漁師と自分が生まれ育った鐘崎の漁師は先祖が同じで、鎌倉時代からの縁者にあたる人たちだから」と被災地に思いを馳せ、被災地支援カンパの呼びかけや中古漁船を寄贈するなどの活動に取り組まれ、一刻も早い漁業復興を求めて尽力したと聞きました。また、気候危機の影響から従来は水揚げされなかった魚種の加工や流通、販路の確保などに頭を悩ます他地域の漁業者には「互いに蓄積してきたノウハウを提供し合い、漁師同士の連携で困難を乗り切りたい」と話してくれたこともありました。なるほど漁業者は「海」というコモン(共有財)を通してつながる共同体の構成者でもあるのだなと、深く感じ入った次第です。そうした貴兄が持つ「海人魂」は、宗像市鐘崎という漁村共同体で生きることを通して培われたのでしょう。改めて鐘崎の暮らしの良さ、共同体ならではの面白さ、日々の暮らしに息づく人情や独自の食文化等についてご教示ください。

さて、貴兄の冬は命がけでトラフグを追う時期ですね。今年の漁はどうですか。とうとう福島県沿岸がトラフグ漁の適地となったいま、貴兄にはどんな影響が及んでいますか。フグの陸上養殖が増え、冬はとりわけ荒れることが多いと聞く冬の玄界灘に漕ぎ出し、漆黒の闇のなかでの孤独にして命がけの労働の賜物の天然トラフグの価値は霞みがちとの声も耳にします。その点もお聞かせ願えれば幸いです。とにもかくにも無事に操業を終えての帰港はもちろん、安定した釣果と命がけの漁労に見合った社会の価値評価が得られることを心から祈念しております。長くなり、誠に恐縮。ご返信をお待ちしております。

権田幸祐さま
 
生活クラブ連合会 山田衛

時化模様の乱文となり失礼。だから「前略」で始めますという漁師さんへ

前略 2025年の水産物の水揚げに関する報道は、現場にいる私たち漁師にとっても、まさに「一喜一憂」の連続でした。豊漁と不漁が短期間で入れ替わるような落ち着かない状況が続き、嬉しいニュースであっても手放しで喜べないというのが正直なところです。とりわけ、漁獲枠を超えたという理由で小型釣り漁船が出漁を制限され、大型や中型の船だけが操業できるという今回のスルメイカ漁の規制には、私自身も複雑な思いがあります。お便りに書かれていた通り、漁獲枠は過去の水揚げ量を基準として決められるため、漁獲競争に有利な地域や漁獲能力の高い大型船ほど枠が大きく、不利な地域や一匹ずつ丁寧に漁獲している小型船はどうしても不利になりやすい構造があります。小さな船が「努力しても報われにくい」状況が必然的に生まれかねないということです。

そもそも、私はこの国の資源管理や漁獲枠制度に多くの疑問を感じています。その一例が2025年度の途中で政府が急遽(きゅうきょ)実施したスルメイカの漁獲枠の増枠でした。そもそもスルメイカは過去数十年遡(さかのぼ)ってみても、資源量は限界管理基準値を下回っており、ピーク時の漁獲量66万トンが現在は2万トン程度と、30分の1という超低水準に落ち込んでいる状況です。その原因については日本中で限界まで漁獲した量的手要因との分析がありますが、それよりもむしろ漁獲可能枠が大幅に上振れ状態で数十年も設定され続けた事が原因ではないかといぶかしい気持ちでいます。

なぜなら、いわば「乱獲のお墨付き」的なるものを「国」が与え続けてきた状況下での出来事といえなくもない事態が長らく続いており、その状況に多くの漁業者が直面してきたからです。そんな中、水産庁が慢性的な資源枯渇を理由に重い腰を上げる形で、2024年は「現実的な漁獲枠」がようやく設定された様に感じていました。ところが、黒潮大蛇行の終息や適温水域等の条件を満たしたとの判断から一部地域の沖合で豊漁となり、半年余りで漁獲枠の半分を超えてしまったのです。これを機に「一部地域の漁業者から枠の拡大を求める声が上がり、その声に応える形で枠の増枠に踏み切った」と報道されていましたが、そもそも漁期途中での増枠とは前代未聞の措置なのです。
 


高台から見た鐘崎漁港の風景

本来、増枠に踏み切るには、明確なデータに基づき、資源が増えていると確認できたことだけを条件に適用されるもので、その発動は限られたレアケースなはずだと認識していました。ところが、今回は一部地域の漁期途中の、とても十分とは言い難いデータをもとに判断された感が色濃くあります。背景には政治的な判断や一部の漁業者への配慮といった不公平な判断があったのではないかと疑いたくなり、明確なデータを基に科学的根拠に基づき実施すると謳う資源管理体制への不信が募りました。こんなことが繰り返されれば、日本の水産資源管理の芽を摘み、将来の漁業の持続可能性を脅かす事態に発展しかねないという危うさを感じながら、今回の決定を重く受け止めています。

このように持っていき場の無い胸の内を素直に吐露すると、無理もない話ではありますが、私の言葉に「不安めいたものを覚える漁業者もいるだろうから気を付けて」と助言してくれる人もいます。そうか、そうだよなと自分の言葉の重さを痛感し、もとより悪意も作意もない発言が漁業者に向けたさらなる今後の締め付けや心の通い合いを阻害する原因となってしまう恐れを危惧したりしています。ですから、どうぞあくまでも世間知らずの若輩者で、井の中の蛙である私の一個人としての意見として留意して聞いてもらえればありがたいです。そのうえで先の話を続けさせてもらいますが、自分が漁業の現場に身を置きながら強く感じるのは、誤解を恐れずに申し上げれば資源管理や漁獲枠が漁業者の「足かせ」でしかないと感じる現実があるということです。

実際、これまでは機能していなかった漁獲可能枠の設定下においては、漁業者は獲り過ぎを過度に意識し気にすることはありませんでした。しかし、現実的かつ実際的な漁獲枠が設定されれば、いち早く枠が埋まる前に自分の取り分を確保しようとするのは漁業者にとって当然の選択といえます。そうなれば「早や捕り競争」は必然となり、捕りそびれた漁師が気持ちを空しくするばかりです。また、条件の悪い地域や漁獲能力の低い小型船は捕れる量がこれまで以上に少なくなるばかりか、実績を基に配分される漁獲可能枠は今後更にどんどん減り、少なくなっていく仕組みなのです。条件の良い地域や大型船は更なる漁獲枠の拡大を見込めるかもしれませんが、不漁が続きとなれば大きく広がった漁獲枠は意味をなさなくなるわけですから、最悪の場合は漁獲枠の拡大そのものが用をなさないことを自ら例証してしまう結果に陥りかねません。

そうした状況下では計画的にして将来を見据えた漁業の推進など出来るはずもありません。それどころか危険な操業も増え、命の危険を脅かす状況を作ってしまいかねないと案じています。だからでしょう。私には国や水産庁が同じ日本の漁業者同士に「潰し合い競争」を強いている様に思えてなりません。現状では漁業者から漁獲枠拡大の声が上がるのは当然ですし、漁業者が資源管理のためとされる漁獲枠設定を足かせのように感じてしまうのも当然ではないかと思うのです。しかし、そうした漁業者の肉声が報じられるたびに「目先の利益を優先する漁業者」という非難が社会に飛び交い、漁業者があたかも「今」の事や「自分」の事しか考えない集団であるかの如く受け止められ、ひどく場合には「日本の漁業衰退の元凶者である」かのように語られることまであります。

まだまだあります。SNSやネットニュースのコメント欄には、衰退する日本の漁業をめぐり、漁業者に対して「自業自得」「ざまぁ、みろ」などのコメントが寄せられ、それに多くの共感が集まるのも事実です。経過や背景を深く知らない方々のご意見だと思いますが、私たち漁業者の誇りに生業(なりわい)にかける情熱、日本の「食」の一翼を担う者としての存在理由と存在価値を真っ向から否定されたような気持ちに襲われます。正直、息子には見てほしくない、みせたくないコメントですが、日本社会の現状を憂いてのご意見の可能性も捨てきれないと解釈しつつ、前向きに受け止めて今後も漁師として生きていくための糧とさせていただこうと思っています。

何事も「知行合一」。人間は互いの理解無しに先には進めないというのが今の私の信条です。一人でも多くの方に漁業や水産加工業に興味を持っていただき、意見を交わせれば何よりです。とかく漁業の世界は良くも悪くも思いや方向性が一歩通行になりがちです。だからこそ、多方面・異業種に身を置かれる方々との交流が欠かせないのではないかと私は思っています。大海も様々な潮流が入り乱れるのが良き漁場。それは社会的な人間関係も同様でしょう。そんな良き漁場が日本には無数にあったはず。それはもう過去の話でしょうか。今回は時化模様の乱文となり失礼いたしました。ついつい熱くなってしまい、「拝復」には到底及びませんでしたので、今回は「前略」でしたためさせていただきました。何度も何度も書き直して印字し、自宅のプリンターのインクが無くなってしまったくらいです。というわけで先の便りの後半の質問への返信は先延ばしの「潮見」とさせて頂き、こちらから白紙の海に感情を乗せた小舟を漕ぎ出させて下さい。無事に入港できるか不安ではありますが……
 
草々
生活クラブ連合会 山田衛さん
 
権田幸祐 拝
 

ごんだ・こうすけ
1948年生まれ。高校に進学するも卒業を待たずして、17歳で漁師の道を選ぶ。福岡県宗像市鐘崎地区で先祖代々続いてきた漁師の家系の長男で漁師歴は20年を超える。漁業を取り巻く状況が年々厳しさを増すなか、現状を少しずつでも改善する活動に漁師仲間と取り組み、「できることを精いっぱいやる」をモットーに持続的な漁業のあり方を模索する。2021年に一般社団法人「シーソンズ」の設立に参加。代表理事としてプラスチックによる環境汚染問題の解決に向けて試行錯誤を続けている。


撮影/越智貴雄
 

撮影後記

「いただきます」「ごちそうさま」と心を込めて言えるように

まっすぐ降り注ぐ陽光が複雑な動きをみせる波間を照らすと独特な美しさを放つ模様が浮かぶ。視線を湾のくぼみに位置する漁村に転ずれば、その静かで落ち着いた雰囲気に心が洗われるようだ。そんな宗像市鐘崎漁港の海に面した家の炊事場からトン、トン、トンという包丁の音とともに、ジュワッ、ジュジュッ、ジューと揚げ油の爆ぜる音が聞こえ、食欲をそそる香ばしい香りが漂ってきた。

聞けば、これから出漁する巻き網団「共進丸」に乗船する漁師十数人の弁当づくりの最中だという。この船団のまとめ役で責任者である親方(船頭)の妻君=女将(おかみ)さんとご子息の妻君に親戚の女性たち四人が、テキパキといくつものおかずを作っていく。献立は船団員の好みを聞きとりながら、栄養バランスを考えて決める。
 






「今日は出漁時間が少し早まってねぇ」。高菜を刻む手を止めずに女将さんが笑顔で話す。前日の漁は時化(しけ)模様で中止となり、今日も天候を考慮して予定より早い出漁になったとのこと。とにかく出漁できることが何よりの喜びであり、無事の寄港を願いつつ、満面の笑みで精魂込めての食事の支度なのだろう。出漁の可否は基本的には天候次第だ。ただ、満月の前後は集魚灯の明かりに魚が寄ってこないとされ、休漁。また、市場の定休日である日曜日、祝祭日も漁には出ないという。たとえ豊漁であっても、ほかの漁船も同じように豊漁であれば市場の相場は相対的に下がってしまう。意のままにならない自然と常に向き合い、「板子一枚下は地獄」と称される命がけの労働の対価も大きく市場原理の影響を受けるのだと複雑な思いに囚われた。

そうこうしているうちに、炊きたての白米から、ふわりと柔らかで暖かな湯気が立つ。女将さんは釜から掬った米を三つに仕切られた木の台に速やかに盛ると神棚に備えるとそっと両手を合わせた。さながら、用意した弁当のひとつひとつに込めた安全な航海への祈りが、しずかにしみこんでいくかのような所作だった。出漁前には「お潮井まき」に「お神酒の受け渡し」も行われる。鐘崎特有の儀式だという。

その後、弁当が船団に手渡され、船団員の子どもたちが船に向かって豪快に清めの塩をまいた。それが出漁の合図だった。

沖合の漁場を目指した共進丸が湾を抜けたとき、船上から全員で地元の神社へ向かってしっかり手を合わせて拝礼しているのが見えた。この日の漁場は鐘崎港からおよそ60キロ沖の玄界灘。世界遺産として知られる沖ノ島の周辺だ。沖ノ島は航海の安全を祈る島でもある。職業柄、撮影で出向いた地の食材に触れることが多いが、玄界灘の魚は格別だった。大陸棚が広がる浅海で潮の流れが速く、複雑な地形に流れ込む対馬海流が豊富な栄養を運んでくれる。ゆえに旨みが濃く身の引き締まった魚が育つと聞いたことがある。
 



 
都会暮らしの自分は、その鮮度や味わいばかりにどうしても気が向きがちだ。今回、シャッターを切りながら、「食」は自然と人、人と人との生産労働が織りなすコミュニティ(共同体)の賜物だと改めて知った気がする。日々、命がけで大海原から命の糧をすくいあげる人たちの労働を思えば、ただ「おいしい」と口にするだけでは、とても足りない。「高い、安い」「調理が面倒」のぼやきも少し慎みたい。と、いささか神妙な気持ちになっている自分がいる(はて、できるかな?)

と思いつつ、両手を合わせて、今日も漁に出てくださる世界中の船団の安全を願い、心を込めて「いただきます」。そして「ごちそうさま」と常に言える自分でありたいと念ずるばかりだ。


越智 貴雄(おち・たかお)
1979年、大阪生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。フォトグラファー。2000年からパラスポーツ取材に携わり、競技者としての生き様にフォーカスする視点で撮影・執筆。著書に『チェンジ!』くもん出版がある
 

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