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遠く離れた産地と食卓を結ぶ、島原の野菜【タマネギ、ミニトマト、トマト他】

遠く離れた産地と食卓を結ぶ、島原の野菜
雲仙岳を望む、2月のタマネギ畑
 
長崎県南東部の島原半島に、タマネギやジャガイモなどの青果の生産者、「ながさき南部生産組合」がある。1975年に5人の農家が集まり産直を始め、有機農業に挑戦した。その取り組みは広がり、半世紀を経た現在、約140人の生産者が30種類以上の青果を生産している。

段々畑が広がる島原半島

「今年も3月よりタマネギの収穫が始まりますよ」と、タマネギの生産者であり、ながさき南部生産組合の理事を務める荒木敏明さんが畑を見渡す。島原半島の中心には雲仙岳がそびえ、すそ野が海へと迫り段々畑が連なる。穏やかな有明海や橘湾に囲まれる半島は温暖な気候に恵まれ、石垣で囲われた2月初めの畑では、昨年の秋に植えられたタマネギの葉が青々と育っている。

「毎年8月末から10月下旬にかけて、早生(わせ)、中生(なかて)、晩生(おくて)の順に種をまいて苗を作ります。育った苗は、10月末から年明けにかけて定植し収穫を待ちます」。昨年は、二度の線状降水帯による豪雨に見舞われた。「一度目は8月半ば。種まき前の畑の一部が、土砂で埋まりました。二度目は9月。種をまいた畑が土砂に埋まったり、土ごと流されてしまいました」。それでも、仲間のタマネギ生産者から苗を分けてもらい、何とか例年と同じように収穫できそうだと言う。「近年は猛暑により発芽率も低くなっています。暑さ対策のために寒冷紗(かんれいしゃ)(ネット)を使い、強い日差しを防いでいます」 
荒木さんは、合わせて2.7ヘクタールの段々畑でタマネギを栽培する。機械が入らないので苗植えや収穫は全部手作業だ。除草剤を使わず、農業用ポリエチレンフィルムで畑を覆い雑草の生育を防ぐ。それでも生えてきた草は手で取る。「両親、親せき、近隣の経験豊富な高齢者などの力に頼りながら作業をしていますが、将来は外国からの労働者に頼らざるを得なくなるでしょう」。周りを見渡しても、20年以上前にはなかった耕作放棄地が、かなり増えてきたと言う。高齢になり後継者もなく農地を手放す農家が増えたためだ。荒木さんは使われなくなった周囲の畑を借り入れながら、タマネギの他に、キャベツや白菜などの野菜を作る。「自分は50歳。高齢者から見たらまだまだ子どもですよ」と笑う。
 
ながさき南部生産組合の理事、荒木敏明さん。農業に就いて28年。「作物を作るだけではなく、食べる人とのかかわりも楽しいです」
畑仕事は全部手作業。畝の間にも農業用ポリエチレンフィルムを張り、少しでも雑草の生育を防ぐ
 
キャベツ畑の向こうには、天草諸島が望まれる
 
畑は石垣で守られる。水はけもいい

タマネギは収穫後すぐに出荷

ながさき南部生産組合の生産者。左より松永哲味(てつみ)さん、松永美子(よしこ)さん、荒木敏明さん、松永哲(さとる)さん。2月初めに苗を定植するタマネギは、5月末に収穫する

松永哲味(てつみ)さんは、妻の美子(よしこ)さん、長男の哲(さとる)さんと、タマネギやジャガイモを生産する。荒木さんと同じように島原半島の段々畑で作物を作っていたが、2008年、諫早(いさはや)湾干拓地に2.5ヘクタールの土地を借りた。「石垣で囲まれた畑を何カ所も回るよりも、はるかに効率よく仕事ができます。何よりも平坦で、畑の周りには機械を方向転換するためのスペースもあります。機械を使えるので、働き手は今のところ3人で十分です」と哲味さん。自宅がある南島原市からは車で1時間ほどかかるため、必要な時は宿泊所を利用する。

タマネギの出荷は3月から始まる。収穫して葉の部分を取り除き、その日のうちに組合の倉庫に運ぶ。そこで風を当てながら一晩以上保管し、切り口が乾いたら選果後出荷する。

この時期に取り組むタマネギは「新玉ねぎ」と言われる。水分を多く含み、みずみずしく生食ができる品種だが、6月に入ると「玉ねぎ」と名前が変わる。「作り方や出荷のし方は変わらないので、農家にとっては同じタマネギです。甘みも増すので、さわやかな香りと味を楽しんでくださいね」と美子さん。4月下旬から6月にかけては、適度に水分が抜けて日持ちのする品種も出荷される。

ながさき南部生産組合では、近年、ジャガイモの生産量が減少傾向にある。そうか病やその他の病気による収穫量、品質の不安定化が要因だ。そうか病はイモの表面に褐色のかさぶた状の斑点ができ、見た目が悪く販売が難しい。「病気発生の原因や対策を研究していますが、生産者は栽培しやすく安定して出荷できるタマネギ、ブロッコリーなどの生産へと移っています」と、荒木さんが現状を話す。
松永さんは、ジャガイモを栽培する数少ない生産者の一人だ。「以前は身がやわらかくて大玉のデジマという品種を作っていましたが、今は煮崩れしにくいニシユタカが圧倒的に多いです」と、哲さん。ニシユタカは、中心部に割れが生じやすいデジマを改良し、新たに開発された。肌荒れも少ない品種だ。 

美子さんが、マイブームとなっているガレットの作り方を紹介してくれた。細切りにしたジャガイモとピザ用チーズ、ベーコンを混ぜ、薄く油を引いたフライパンで蒸し焼きにする。あらかた火が通ったらひっくり返してふたをしないでカリッと焼く。ジャガイモの生産地ならではの手軽な一品だ。
 
家族3人で分担し、機械で苗を植えていく
 
栽培が難しく、生産量が少なくなっているジャガイモの品種「デジマ」

50年前、産直と有機農業へ

ながさき南部生産組合が発足したのは1975年。現在、会長理事を務める近藤一海(かずみ)さんと南島原市の農家4人が集まり、消費者と直接つながる新しい流通の形に挑戦したことが始まりだ。

近藤さんは南島原市の農家に生まれ、高校卒業後、東京の神田市場に就職した。セリ人として働きながら、果物の値段が外観に左右され一瞬で決められる様子を目の当たりにする。農家が一年をかけて作る作物の価値がまっとうに評価されない流通に矛盾を感じていた。その頃、生産者と消費者の間では、市場を通さず直接提携する産直運動が広がりを見せていた。面白くて生きがいのある農業への道を常に考えていた近藤さんは、産直を始めようと地元へ戻る。仲間を募り出荷組合である「南部蔬菜(そさい)生産組合」をつくった。「100人ぐらいすぐに集まると思いましたが、結局5人で始めました」。当時はまだなじみのない流通形態だったのですと、笑いながら振り返る。
また、当時は農薬や化学肥料の多投による環境汚染が広がっていた。近藤さんは、小説家の有吉佐和子さんが書いた「複合汚染」を読み、効率を求め大規模化する農業が、環境や人体に及ぼす影響を知りショックを受ける。島原半島の対岸の熊本県では、工場排水が原因で深刻な神経疾患を引き起こす水俣病も問題になっていた。農業の本来の役割である、人間が生きるのに必要な食料を生産するためにはどうすればいいか。農薬や農法などを学び、有機農業への挑戦を始めた。

それから50年の年月を経て、ながさき南部生産組合では、現在、南島原市、雲仙市、島原市で、約140人が、タマネギ、ミニトマト、トマト、イチゴなど、30種類以上の作物を作り出荷している。後継者も育ち若い生産者も加わった。しかし若年人口の減少は著しく、近い将来、農家の高齢化は避けられない。そこで外国からの農業研修生の受け入れを始め、昨年はカンボジアから10人の研修生が働きに来た。「これからは、外国からの働き手を抜きに農業生産は考えられません」と近藤さん。行政にも働きかけて、農家が生産を維持できるような仕組みをつくっていきたいと言う。
 
ながさき南部生産組合の会長理事、近藤一海(かずみ)さん。「地形的に条件はよくないですが、島原の農家はみんな元気です」
標高900メートルにあるハウス。加温設備はなく、2月初め、外は雪が舞っているが、ホウレンソウが一面に育っていた

遠くの消費者と

近年、インターネットやテレビショッピングなどの通信販売による流通が増えた。近藤さんは、便利だが作物の向こうにある生産現場が見えなくなり、生産者と消費者の距離が開いていくようだと感じると言う。ながさき南部生産組合は、長崎県内に二つの直営店を持ち、九州内外の生協店舗内に36のインショップを出店している。そこでは「季節の野菜セット」など、消費者とつながりを持てるような取り組みを行っている。

一方、生協と提携する強みは、作物の販売だけではなく、交流によってお互いを理解し合う関係をつくれることだと言う。「提携により築かれる人と人とのつながりは簡単に壊れるものではありません」。お互いに世代交代がすすみ若い世代の価値観も変わっていく。そんな生産地と消費地を、ながさき南部生産組合の野菜がつないでいる。
撮影/田嶋雅已
文/伊澤小枝子
 
『生活と自治』2026年4月号「連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
 
【2026年4月17日掲載】
 

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