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震災から15年目の豊かな海【肉厚わかめ、茎わかめ、茎付きわかめ、他】

震災から15年目の豊かな海 提携先 重茂漁業協同組合
青森県八戸市から岩手県を経て宮城県石巻市まで続く三陸海岸。そのうち岩手県宮古市以南は、複雑な形の入り江が連なるリアス海岸で、「三陸わかめ」の産地として知られる。

中でも本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき)で有名なのが宮古市の重茂(おもえ)半島だ。厳しい冬を乗り越え、ようやく訪れた春、半島の小さな入り江にある港で、重茂漁業協同組合(以下、重茂漁協)の養殖わかめの収穫が最盛期を迎えていた。
 
重茂漁業協同組合(地図)

真夜中に船を出す漁師たち

深夜12時。4月上旬とはいえ、東北の風は刺すように冷たい。そんな中、漁師の佐藤浩樹(こうき)さんは、口元までしっかりと防寒着に身を包み、船を出す。重茂の港は、とても小さい。1分も走れば、湾を抜け、その先にはどこまでも太平洋が広がっている。だが、闇夜で水平線は見えない。船のわずかな明かりを反射して、黒い海面がゆらりゆらりと揺れるばかりだ。ふと、見上げると、満天の星空だった。聞けば、この日は重茂で年に数回あるかないかの穏やかな海だという。本州最東端の重茂半島は、陸地から突き出ていて、外洋に開かれている。このため、「三陸わかめ」の漁場の中でもひときわ潮流の影響を受けやすい。おかげで海にしっかりもまれて、特に肉厚のわかめが育つ。生活クラブのわかめが「肉厚わかめ」と名付けられた所以(ゆえん)だ。

数分で漁場に到着すると、佐藤さんはさっそく収穫を始めた。慣れた手つきで、養殖ロープからわかめを刈り取り、太くて硬い茎の部分と枯れてしまっている先端部分を切り落として、次々にカゴに投げ入れていく。みるみるうちに、カゴがわかめでいっぱいになった。
漁師の佐藤浩樹(こうき)さん
 
わかめを収穫する佐藤さん
「肉厚わかめ」の収穫は、3月から4月にかけて行われる。ところが、今年は3月に時化(しけ)が続き、ほとんど海に出られなかった。その影響で例年に比べて収穫作業は遅れ気味だ。だが、「時化が続いてくれたおかげで、今年のわかめは出来がいい」と佐藤さんはうれしそうだ。どういうことか。

暖流の黒潮と寒流の親潮がぶつかる三陸沖は、潮の流れが速く、わかめの生育に必要な窒素やリンなどからなる栄養塩を豊富に含む。通常、栄養塩は、海の表層で少なく、冷たい下層で豊富になる。春から夏にかけて、水温の上昇に伴い、わかめが育つ表層の栄養塩の濃度は、低下していくが、時化が続いた今年は、表層と下層の海水がかき混ぜられて、濃度が落ちなかった。例年以上に栄養塩の豊富な海が保たれ、良質のわかめが育ったというわけだ。だが、素直に喜べない側面もある。豊漁で価格が下がったところに、原油価格の高騰が追い打ちをかけた。燃料代はもちろん、あらゆる資材が値上がりしている。「塩蔵に必要な塩まで値上がりしてしまったんだもの」と佐藤さんは嘆く。これが産地の現実だ。

朝6時、収穫を終えた佐藤さんの船が朝日に照らされて港に戻ってきた。佐藤さんは休むことなく、わかめを水揚げし、ボイル加工の作業に入る。佐藤さんのように、加工の設備を持ち、一家総出で仕事をする重茂の漁師は多い。家族が仕事を終える時間が遅くならないよう逆算すると、収穫はどうしても深夜に行わなければならないのだと佐藤さんは言う。

「収穫の時期は、夜7時に寝て、11時に起きる生活です。12時に出港して、戻るのは朝6時か7時。食事は1日2食ですね。移動しながら、おにぎりを食べる毎日ですよ」

ボイル加工したわかめは、塩を加えて大きな機械の中で撹拌(かくはん)し、脱水したら冷蔵保管する。あとは、出荷に応じて、わかめと「中芯(なかしん)」を分ける「芯取り」をして梱包(こんぽう)される。中芯は、弾力ある歯ごたえが特徴の「茎わかめ」となる。
 
朝6時、港に戻ってくる佐藤さんの船
 
わかめをボイルする佐藤さん
ボイルされて、鮮やかな緑になったわかめ

「芯取り」の作業。「肉厚わかめ」になる葉体(ようたい)と「茎わかめ」になる中芯(なかしん)をわけていく

初代組合長の教え

重茂の道路沿いに立つ「合成洗剤追放運動」を呼びかける看板

重茂漁協の歴史は長い。1902(明治35)年に重茂浜漁業組合が設立され、現在の重茂漁協となったのは1955年。初代組合長を務めた西舘善平(にしだてぜんぺい)(1905~1999)が遺(のこ)した「天恵戒驕(てんけいかいきょう)」という言葉は、「天の恵みに感謝し、驕(おご)ることを戒(いまし)め、不慮に備えよ」という意味で、重茂漁協の理念となっている。天然資源は有限であり、無計画に採取すれば、将来、必ず枯渇する。採取は控えめにする一方で、自らの研鑽(けんさん)により新たな資源の利用形態を補っていく。これが自然との共存共栄を可能とする最良の手段となる。

こうした初代組合長の教えのもと、重茂漁協は、60年代に「獲(と)る漁業」から「つくり育てる漁業」への転換を図り、いちはやくわかめの養殖を始めた。当時は、未舗装の道で山を越えなければ商売にならない流通事情もあり、保存が利くボイル塩蔵加工の技術が開発されると、すぐに取り入れた。こうした努力を重ねたすえ、直接取り引きできるわかめの産地を探していた生活クラブと出会い、提携が始まったのは、76年。今年で提携50周年を迎える。

天然資源を守るには、それを育む海も保全しなければならない。重茂漁協は、生活クラブと交流するうちに合成洗剤が海の生態系に及ぼす悪影響に気づいた。そこで、76年、合成洗剤ではなく、自然に分解されるせっけんを使おうと呼びかける「合成洗剤追放運動」を始めた。また、森の養分が川から海へと流れ込み、豊かな漁場を育むことから、植林活動も続けている。

助け合いで遂げた復興

2011年3月11日、東日本大震災の大津波では、重茂も大きな被害を受けた。死者・行方不明者は50人。当時の組合員世帯403世帯のうち、全壊は88棟。倉庫の全壊は355棟。漁港施設もわかめや昆布の養殖施設も全壊。814隻あった船のうち、798隻が全壊・流出した。

長年、生活クラブの担当を務めた現重茂漁協理事の後川良二(うしろかわりょうじ)さんは、震災直後をこう振り返る。
「当時の組合長、伊藤隆一(りゅういち)さんは、『とにかく生きることが大事だ。そのためには、漁業の再開が最優先だ』と言ってね」
伊藤さんが下した決断は、協同組合の助け合いの精神そのものだった。

①漁協のお金で全国から船を集め、津波に流されずに残った船と合わせて、すべての船を漁協の所有とする。
②船は組合員みんなで共同利用とする。
③再開する漁業は共同方式とし、水揚げの売上は、公平に分配する。
④ひとり1隻持てる数の船がそろったら、それを個人に引き渡し、その人の水揚げの売上から10%を天引きしていくことで、船の代金を返済してもらう。

後川さんはこう続ける。
「すぐに集まったのは68隻。集めただけでもすごいんだけど、当然数は足りません。そこで組合員3人を一組にして船を共同利用させました。この方法で、5月には150世帯が天然わかめ採りを再開できて、売上を平等に分配したんです」

不満が出なかったわけではない。腕のいい漁師からは、平等に分配することを疑問視する意見も出た。
「それに対し、伊藤さんは、ひとりは万人のために、万人はひとりのために、という協同組合の理念のもとに活動するのが重茂漁協だ。みんなが困っているときにそれができないのなら、今すぐ脱退してくれ、と迫ったんです。すごいですよね。感動やら何やら、いろいろな感情が渦巻いて身震いしましたよ。結局、脱退する人はひとりもいませんでした」

生活クラブもすぐにカンパ金5000万円を重茂に届け、その支援もあって震災翌年の12年5月には、定置網漁船を建造できた。その後も生活クラブのカンパ金を活用し、最終的に建造できた定置網漁船は計3隻となった。

また、震災を機に、「芯取り」の手間をはぶき、そのまま出荷できれば、生産者の負担が減るだろうとの配慮から生まれたのが「茎付きわかめ」だ。
「工場を少しでも早く稼働させるために、生活クラブから提案してくれました。何かできることはないか、と本当に親身になって考えてくれたんです。もうね、ずっと良いものをつくり育てて、恩返ししていきたいですね」

現在、漁港設備や養殖設備も完全に復旧し、船も615隻と十分な数に達している。こうして迎えた震災から15年、そして提携50周年。助け合いの精神は、生活クラブも同じだ。これからも重茂のわかめを食べ支えていく。
重茂漁業協同組合理事の後川良二さん
撮影/伊藤大作
文/本紙・山本 塁
 
『生活と自治』2026年6月号「連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
 
【2026年6月26日掲載】
 

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