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提言 持続可能な「農」と「食」への道程(上)

農政アナリスト 武本俊彦さん


「だれもが安心して暮らせる生活基盤」を根底で支える生産労働の担い手を減らすことなく、たとえ遅遅とした変化であっても増えていく社会を「持続可能」とするにはどうしたらいいのか。この難問にコメ問題を入り口に考えてみたいと思います。その水先案内人を農林水産省OBで、農政アナリストの武本俊彦さんにお願いしました。武本さんは「持続可能」な「食」の実現には「儲(もう)かる農業」と、「農」の世界の多面的な価値を将来世代に引き継ぐ「食料システム」の構築が不可欠と提案しています。その具体的詳細については東方通信社刊の『食料システム論』をご参照ください。(編集担当)

第2次安倍政権(2012年12月~2020年9月)から上昇傾向の「エンゲル係数」に注目すれば――

私も「令和の米騒動」が起こるまで、日本の消費者が毎年コメを食べなくなってきていて、それと裏腹の関係で「減反」に象徴される生産調整あるいは国内消費減をオフセット(補正)する意味での「コメ輸出策」を政府が打ち出していると認識していました。それはどこまでいっても「産業政策」としての農政で、もはや古色蒼然(こしょくそうぜん)とした「主食」概念を持ち込む必要はないという姿勢の表れとも解釈できます。

たとえば新自由主義に立脚した規制緩和路線の学者は「主食という認識は価格の上下変動には関係なく何がなんでもコメを食べたいという強い意識のある場合に成立する。消費者が(市場の)明らかに価格メカニズムに従って選択する状態(価格が上がれば消費を減らし、下がれば増やすこと)になったとすれば、もはやコメを主食とは言い難い。需要の価格弾力性(価格の変化の割合に対する需要の変化の割合)だけを見れば、コメはほとんど野菜や果樹などと同じではないか」と説いてきました。

たしかに需要の価格弾力性の概念からすると、弾力性の値が大きくなってきているから価格が上がれば消費が落ちて、価格が下がれば消費が増えることになります。コメを買って自分で炊いて食べる場合、1970年代の推計では弾力性が「0.03」で、価格が下がっても消費が増える局面はありませんでした。

しかし、食生活の変化によりご飯とパンとの代替関係が出てくると、ご飯を炊くには炊飯器などの設備や炊飯などの家事労働が必要となり、女性の社会進出に伴って家事労働の外部化が進むようになってきます。そのような食生活の変化の段階には、家計の所得の上昇が期待できない状況になってくると、コメの価格水準の上昇に対してシビアに評価されるようになってきます。

その結果、近年では「0.3」程度ではないかとの試算も出てきました。そうした状況になると、価格が上がれば消費が減る関係となり、もはやコメは主食とはいえないという見方も出てきてしまいます。

にもかかわらず、今回は騒動になった。その原因として、コメの消費形態の変化があります。各家庭で炊飯していたコメの消費が、無菌包装パックご飯やコンビニのおにぎりの形態での購入や外食での定食といった形態が増えていることがあげられます。これらのコメ需要は、家庭消費用ではなく、業務用となりますが、業務用は、工場生産と同じように、製品の原料であるコメの調達は計画的に行うことが必要不可欠な前提条件となります。

コロナ禍明けの外食需要の回復などでコメの値段が上昇しても一定量のコメの需要は確保しなければならなかったのです。これを需要の弾力性で考えると、コメの価格が上昇しても需要量は増えこそすれ減ることがなかったため、弾力性が低下する方向に作用します。つまり、主食としての性格が強くなってきたわけです。

さらに、あくまでも私の個人的な推測ですが、日常的にあまりコメを食べてなかったのではないかと思われる人たちが「コメがないのは困る」と思い始めたからではないかと思います。その理由を経済学的にいえば、エンゲル係数の推移です。長期にわたり所得が増えていき、コメをはじめとする食料の価格が下がっていけばエンゲル係数は下がっていきます。

エンゲル係数は一般的にいうと、途上国は高くなり先進国は低くなる。あるいは高所得階層は低く、低所得階層は高くなります。かつて「一億総中流」と評された日本の食生活はそう変わらなかった。大金持ちであれ貧乏人であれ、ほぼ同じでした。低価格のコメを選択して食べるかという場合も多少はあるにせよ、全体の総量からすれば大きな違いは生じないまま、それが下がっていく傾向にありました。

しかしながら、統計データを見ると、それが2015年以降の第2次安倍政権から底を打って上がり始める。農業経済学者からすると、これは何なんだ?という現象です。GDP(国内総生産)は伸びているのに、貧困化を意味するエンゲル係数の上昇はおかしい。先進国から途上国に逆戻りするのかと考え込まざるを得ない。
 
自転車で素通りする人が目立つ商店街。所得の伸び悩みと物価上昇の中で、消費とにぎわいは縮小している

ところが、あとから考えてみれば当たり前なんです。「アベノミクス」と称する政権肝いりの経済対策で大量の国債を発行。円安誘導して輸出産業で外貨を稼ぐと銘打った。円安になれば輸入に依存する産業は大変な打撃を受けます。とりわけ農業はそうです。

コメのように「自給率100パーセント」といっても、生産資材であるエネルギーや農薬、肥料も含めれば輸入依存度の高い産品であることは間違いない。小麦だって論外なほど高いわけです。そういうものは円安になればエンゲル係数を上げる方向に働くのは当たり前なんですね。それが2015〜2017年まであまり目立たなかったのはなぜかといえば、円安より円高の局面が進んでいったからです。まだ日本経済が強かったからですよ。そうはいっても、円安になってジワジワとエネルギーや、農薬、肥料の値段が上がり始めたわけです。

エンゲル係数を求めるには分母に消費支出額、分子に食料支出額を置きます。消費支出額は所得水準とほぼ同義で、所得から貯金を除いた可処分所得とほぼパラレルに動くはずです。だから所得が伸びなくなったのが分母のほうに効いてくるんです。とくに2010年代後半から2020年代近く実質賃金が伸びなくなり、マイナスになり始めました。要するに注目しなければいけないのは円安誘導と所得減少という二つの要素であり、その主たる要因がアベノミクスにあることです。

エンゲル係数は2015年から上昇していき、現在のエンゲル係数は1980年代後半ぐらいの水準にまで戻っています。今の日本の食生活パターンはエンゲル係数だけでいえば当時と同じです。つまり日本人は相対的に貧しくなってきているといえるわけです。

そうしたなか、どこか漠としていたにしても「主食」と認識されてきたコメの小売価格だけが2倍に上がるという事態が起きました。そんなことありえ得ない! 食料品価格が上がっているといっても、一気に2倍に上がる商品はない!と、思い込んでいた主食の価格が高騰する状況に直面したことで、これまで安定低価格を続けていたコメに安心感めいたものを抱いてきた消費者が、かなりの不安感とストレスをにわかに感じて騒動に発展したのではないかというのが私の仮説です。

DNAに刷り込まれてきた「主食性」みたいなものは限界的な状況になってくると、「主食」としてコメがあることが安心立命の境地につながるのだなと改めて思い起こした多くの消費者がまだいたんだなと社会が認識したというか、思い至ったことがいみじくもはっきりしたということです。

100パーセント近い自給率のコメを中心に、国内の資源を最大限に利用すれば

とはいえ、昔のように食生活の過半をコメに依存していた時代の再来はないと私は思っています。ただ、意識の上ではコメがあって副食とあわせて日本型の食生活を形成してきているという人たちからすれば、やはりコメは「キー・パーソン(重要人物)」的存在になっているのは紛れもない事実でしょう。ですが、そのコメとて製品ベースではほぼ100パーセントが国内生産で自給率も100パーセント近いとはいえ、原料までさかのぼった時に本当にそうなるかといえば、そんなことはありません。先述したように肥料、農薬はほとんど輸入。エネルギーについてもほとんどが輸入に依存していますから、かなりの部分の自給率が下がってきます。

ただ、他の作物と比較するとコメのほうが相対的に自給率は高い。それは稲作が日本の気候風土や地理的条件に適した唯一とも言えるものだからです。とすれば、製品ベースの自給率100パーセントのものは残すべきということです。ザイン(結果として自給できている)からではなく、ゾルレン(常に自給可能とすべき)の話です。食料安全保障の立場に立てばなおさらでしょう。その時の品目が何になるかというと、高い順から選択するといえばコメになるだろうというのは合理的な判断ということです。

それが「食料安全保障なんてまやかしなのだからやらなくていいよ」という話になってくると、純粋に費用対効果の効率性の話になってきます。その大前提は「日本は世界に冠たる工業国家。だから米国からどうしようもないくらいにいじめられても、貿易黒字をためて、ためて、ためているんだ!」ということになります。

しかし、そのためには「農業分野はたとえ全部譲ることになってもいい」というのが1980年代から90年代の経済界の論調であり、大手民間労働組合の主張でした。極端にいえば「いのちの糧は他国任せ」の根なし草になってもいい。金さえ稼げば日本は何とか生きていけるということです。それは立証済みじゃないかという通念が広くあまねく浸透した時代でした。

ところが、現状では貿易収支は赤字で、国内にはないんですよ、稼ぐことのできる産業が。この厳しい経済状況でもコメの生産量が自給ベース・製品ベースでほぼ100パーセントを維持しているのですから、そこに着目するのは経済政策としてもおかしくない。

経済学者の金子勝さんがしきりに「コメと再生可能エネルギーは自給率を上げていく」と主張していますが、私もまったく同感。経済政策として当たり前だと思います。その局面に日本は入ってきてしまったということです。換言すれば、日本の外貨を稼ぐ力は、すでに昔のようではないということです。要は客観的事実として途上国段階に入ってきている。

そうなると国内の与えられた資源を最大限に利用する必要があり、農産物は一つの「解」なんです。その時にどの産品を選択するかといえば、商品の差別化が可能なものになりますが、それは黒毛和牛ではなく、コメだと思います。「ジャポニカ」というコメ。この話をすると「いやいや国際的にはインディカでしょ」という意見もあります。「コメの国際的な貿易量は輸出が約4900万トン、輸入が約460万トン(図表参照)で、その多くはインディカだ」と言う。しかもジャポニカはマイナーで日本と周辺諸国だけしか好んで食さないではないかという声も高い。たしかにそうです。
 



とはいえ、明らかに局面が変わってきた、展開の仕方が変化しつつあると思うのは、もともとインディカを食べていた中国沿岸部の人たちがジャポニカに変わりつつあるからです。所得水準が上がってくると、インディカタイプではなくジャポニカタイプを嗜好(しこう)する要素があるのではないかというのが私の見立てです。とくに和食みたいなものに引きつけられてくるとすれば、その局面が出てくるでしょう。日本には800万トンぐらいのマーケットしかありませんが、そこにプラス朝鮮半島と台湾、中国の沿岸部も入れたら数億人の人口規模になる。その数億までは潜在的なジャポニカのマーケットではないかと思うのです。一人当たりの所得水準はもはや日本を上回っている韓国や台湾に加え中国沿岸部の人々も、農薬の散布が常態化しているとされるコメは選びたくないと思うのでないでしょうか。

大規模化にスマート化、乾田直播への政策誘導を一概に否定はしないが

もちろん中国も有機農業を重視しています。だから彼らが本気になって有機・無農薬・減農薬の農法に取り組めば、それは日本の農家と比べても品質が見劣りしない良いコメを作り始めることでしょう。そうなればあとは国際競争の世界ですから、本当のプロの農家の腕の見せどころとなり、頑張ってもらうしかない。

その時、政府が必要な公的助成をするのは当然です。そこまでいけば農家の規模の大小は本質的な問題じゃなくなると私は思います。しかし、目下の農政は依然として「コメ余り」「コメ離れ」という「いま・ここ」の現象にばかり目を向けたものになってしまっていませんかということです。

大規模化にスマート化、乾田直播(かんでんちょくは)などへの政策誘導を一概に否定はしないにしても、漠とした危惧の念を感じざるを得ないというか、未知数にして不明、要はよく分からないことが少なからずあります。

たとえば有機農法を懸命に実践している農家の間にも、水田には湛水機能があるのは確かであっても、水を張れば有機物の分解が進んでメタンガスが発生するのもまた事実だろう。メタンは二酸化炭素の数倍の温室効果を持つとされるのだから、やはりメタンが出にくい農法に変えるべきではないかと訴える人もいます。

それをもし本当にやるとすれば乾田化しかないわけです。その時に乾田直播の形に持っていくのではなく、日本には古くから陸稲(りくとう・おかぼ)というものがあるのですから、畑作でコメを作っていくことも選択肢の一つとして考えることができます。

畑作でも肥料、農薬を大量にまかないことが生物多様性の観点から求められているわけですから、減化学肥料・減化学合成農薬、無農薬、無肥料の方向を研究実装していけばいい。どこまで自然農法に持っていけるかという議論がありますが、脱炭素の観点に立って直接支払を行うことを前提に、どこまで究極の農法に近づけるかを追求していく。そこが目指すべきところだろうと私は考えます。その選択肢の一つとして、乾田直播というのが本当に位置付けられるかどうかでしょう。

その方法を選択すれば肥料や農薬の使用量を本当に低減させられるのか。とりわけ雑草の処理をどうするのか。この問いに乾田直播は果たして応えられるのか。有機農法に取り組む人たちの方向性はカバークロップ(緑肥)を使う方式です。大豆を栽培している「植え間(休耕期)」に大麦を植え、雑草が生えるのを抑えています。さらに、ある段階で大麦を倒し、そこに天敵を住まわせ、農薬を使わずに大豆を食べにくる虫を駆除していく。
 

それはものすごく手間暇を要する方法ですが、明らかに環境視点から見れば良い農法です。あとは品種改良を含めた技術革新で、反収をどこまで上げられるかということになります。ただし、それは個々の農家ではなく農学研究者の課題であり、日本の農業と食品産業発展のために設立された農研機構(茨城県つくば市)は、そこを率先して目指すべきではないかと思います。

目下、多くの関心を集めているという乾田直播が前述した方向性を有し、環境と両立可能な稲作ができるかどうかは分かりませんし、そこまで大規模にはできないのではないかとも思います。まさか手植えで全部やるわけじゃないでしょうから、機械化も必須でしょうし。しかも種子がF1(一代雑種)ならまだしもGM(遺伝子組み換え種子)だったりすると目も当てられないことになりかねません。農薬耐性の強い品種にするとなればGMを使わないとできないので、そこもよく分からないのが実に気になるところでもあります。

とはいえ、今後の方向性という意味では選択肢の一つであることは事実ですし、現段階でエビデンス(科学的裏付け)もなく、いろいろ言っても仕方がないといえば仕方がないわけですが、いったい乾田直播を何のためにやるんだという点にはしっかり目を向ける必要があると思います。 

効率性も必要ですが、もうひとつは地球温暖化との関係(生物多様性と持続可能性)において意味があるのか否かということが重要になります。畑作化、畑地化するアプローチもあるだろうし、そうじゃないアプローチもある。湛水しながらの「中干し」もあり、途中で水を落とす「中干し」をすれば二酸化炭素とメタンガスの発生を抑えられるのは確かにしても、生物多様性の観点からすると水生動物は死滅する。一時的にでも乾田にするわけですから。いわば生物多様性には逆行することになります。

だとすれば水田という環境の中で人間が求めるコメというものをそこそこ生産しながら、全体の生物多様性を維持するとすればどうするんだということが切に問われることになります。「中干し」という工程を少しでも入れることでメタンの発生を抑えるとすると、気象の変化や周囲の地理的条件を考慮しつつ、その実施時期をずらしていく必要も出てきます。本当に手間暇がかかってくるんですよ。そういうことを一生懸命にやりながら有機農家は試行錯誤しながらやっている最中だろうと思っています。もし乾田直播を勧めるのであれば、そういうことも含めてデータを出していってもらいたいです。「中干し」などと面倒なことをいわず乾田直播をやったほうがはるかにいいという証拠を見せてもらわないと議論が成り立たないと思います。(次回に続く)


撮影/越智貴雄



たけもと・としひこ
1952年東京生まれ。東京大学法学部卒。76年農林省(現在の農林水産省)入職。ガット・ウルグアイ・ラウンド農業交渉、食管法廃止・食糧法制定作業、BSE(牛海綿状脳症)問題対策などを担当。衆議院調査局農林水産調査室首席調査員、大臣官房審議官を経て農林水産政策研究所長。2013年に農林水産省退職後、農政アナリストとして活動。2018年から24年まで新潟食料農業大学教授。『日本再生の国家戦略を急げ!(金子勝さんと共著)』小学館刊、『食料システム論~「食料・農業・農村基本法見直し」の視点』東方通信社刊など著書多数。
 

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