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提言 持続可能な「農」と「食」への道程(中)

農政アナリスト 武本俊彦さん

稲作の現場。農業は天候や季節に左右されるため、工業のような安定的な生産体制を築きにくい

悪夢のような強権支配(武断政治の覇権主義か?)が世界を震撼させています。悲しいかなエネルギーと食料の「自給力」に乏しい日本はいつ危機的状況に陥らないとも限らない瀬戸際に立たされているようです。そうしたなか、コメをはじめ、野菜に果物の持続的な生産を確かなものとし、新鮮で不安なく口にできる質の高い作物を、だれもが手に入れられる価格で流通させるにはどうしたらいいのか。日本の「農」と「食」の未来を築いていくためのカギとなるのが「食料システム」の構築だと農政アナリストの武本俊彦さんは提案しています。いったい、どういうシステムなのでしょうか。(編集担当)

成功している植物工場と苦戦かる植物工場どこに違いが――

農業をなりわいとしていくには農地(土地)に技能・技術(知識・体験知)、経営(資金)の視点が不可欠です。持続可能という意味ではとりわけ経営を考えないといかんということですよね。工場生産みたいな工業的なものであれば1日3交代で24時間フルに動かし365日の工場稼働が可能でしょう。それが残念ながら農業にはできない。1年1回の収穫を中心に置かざるを得ないのです。資本投下(設備投資)を考えても、365日24時間動かせることができる産業とは大きく異なり、たとえば田植えであれば田植え機は1〜2週間、収穫機のコンバインだって1〜2週間しか使えません。1年間フルに使い続けることは難しい。工場は内部の環境を制御できるから本当に365日動かし続けられる。あとは機械が壊れるかどうかの問題でしょう。それが農業機械と他部門の機械との決定的な違いです。

無人コンバインというのは精度の違いこそあるにせよ、技術的には大して難しい話じゃないでしょう。農業の難しさは適期作業に限られますから、むちゃくちゃ高額な機械は単位面積当たり、あるいは単位収量当たりの固定費が高くなってしまいます。スマート農業の話じゃなくても、もっと喫緊の例として植物工場があります。植物工場がどうしてハウスものや露地ものを凌駕(りょうが)できないかといえば、単位面積あたりの固定費が高くなりすぎているから。その難題を克服しているのは、総じていえば「出口戦略」を持っているところです。

レタスは植物工場がいかに高い(鮮度や衛生管理が良い)レベルで作ったとしても、プロの農家が作るものと品質的に変わらないか、下手をすれば植物工場のほうが劣る場合がある。仮にプロの農家と同じレベルのものができたとしても、プロ農家の人たちは競争状態のなかですごく安く買いたたかれているという現実があります。ですから、その水準でしか植物工場も売れないわけです。たとえ贅(ぜい)を尽くしたコンピューターや機械を入れても、レタス1枚の葉っぱにいくらコストが乗せられますか。とても投下資本が回収できないのです。

だから多くの植物工場はつぶれていくし、赤字を抱えているわけです。生き残っているところは、高く売れる形にしているんです。なかでも高く売れているのは生産・加工・流通販売を「垂直統合」し、自社生産した原料を使った商品価値の高い高価なサンドイッチを製造して販売しているところです。マーケットでたかだか1円ぐらいのレタスの葉っぱに5円ぐらいのコストをかけている。けれども300円もするサンドイッチなら、そのコストが吸収可能じゃないですか。そのように経営的に採算のとれるものにするためには、どういうモデルを組むかということでしょう。

とすれば、スマート農業の場合は膨大な資本投資をすると考えると、出来上がった農産物の付加価値をよほど高くしないとダメなのです。ただ「無農薬ですよ」「有機ですよ」と言っても、それはプロ農家がやってしまっている話であり、その市場評価がむしろ低すぎるのが問題なのです。もっと高く売れるようにするべきだと思いますが、それは逆に言うと消費者の購買力が高まらなければかなわないことであり、そこを何とかできず低所得水準を放置して常態化させてきた政府の責任が大だとは思っています。そうした観点から私が提案しているのが「食料システム論」です。それがいかなるものかについてご説明しましょう。

「農政の神様」が考え抜いて得た「解」その理由は――

日本の食糧管理制度(食管制度)は1918(大正7)年の米騒動での米価の暴騰とその後に朝鮮・台湾からの安価なコメの流入による米価の暴落という社会的混乱を収束させるために設けられた法制です。「農政の神様」と呼ばれた農林省(現在の農林水産省)の石黒忠篤さんたちが零細な農家の経営を安定させる小作立法を帝国議会に提出しました。当時は小作も含め小規模農家が大多数を占めていたわけです。しかし、地主の猛反対にあって否決されてしまいました。その後小作立法による経営安定の道を断たれた石黒さんはコメ政策に関与します。農家をどうやっても守らないといけないという強い志からです。彼らが再生産できる所得をどうやって確保したらいいのかを考えていた時、石黒さんたちは中小規模農家の生産コストに着目した生産者価格を守らなければいけないと奔走しました。

当時は日本の資本主義の萌芽(ほうが)時代で、産業革命によって近代的な工場労働者が歴史の舞台に登場し、ほどほどの賃金が得られるようになっていた。そうしたなか、米騒動が起きた最大の要因は何かといえば、米価がものすごい勢いで上がり、それが工場労働者の賃金水準に追いつかない状態になっていたからです。そのギャップ(落差)がピークに達した時、騒動が起こったと分析している経済学者もいます。そこで消費者の家計をどうやって安定させるかというのが、コメ政策の最大のテーマになった。そうしなければ日本の近代化と産業革命が成功しないと明治政府は危機感を持っていたからです。

1917年にロシア革命が起き、それが日本でも起こるのではないかと戦々恐々としていたのです。そうした構図の中にあって、主食のコメの値段は労働者にとっての「賃金財」といえるものでしたから、とにかく米価を抑えろという要請が強まりました。消費者家計は安定させろ、米価を引き下げねばならないという厳しい状況に立たされたわけです。しかも同時にコメの安定再生産を確保しなければならない。

生産者米価と消費者米価のバランスをいかにしてとるかをマーケットに委ねてうまくいくかといえばそう簡単な話ではありません。特に、当時日本の植民地であった朝鮮や台湾から日本人の好みに合うコメが日本国内に流入するようになって生産者米価が暴落しはじめ、その上、1930年代には世界恐慌などによるデフレ経済による価格の低迷が続くようになり、生産者が再生産を維持できる価格の維持が緊急の課題となってきます。こうしたコメの乱高下は、投機的なコメ商人が暗躍できる条件を提供することになります。生産者からコメを安く買いたたき、買ったコメを消費者には高く売りつけ、利鞘(りざや)を最大限に取ろうとする流通機構が存在したからです。その難問をどう解消するかを考えた時、最終的には直接統制するしかないとして登場したのが食管制度で、消費者の家計を安定させるとともに生産者にはコメの再生産ができるようにするため、生産と消費をつなぐ流通過程に配給による法制を用意したわけです。再生産価格の算定方法はやがて戦後の生産費所得補償方式につながっていきます。
 

コメの生産費(コスト)をベースに置き、中小零細農家が再生産できる水準に米価を決めるというのが石黒さんたちの発想でした。「大農主義」ではなく、あくまでも「小農主義」に立つとともに、中低所得者の家計が耐え得るレベルに消費者米価を抑える。この二つを成り立たせるためにはどうするかといえば、その当時の経済事情からすれば政府が直接統制することしかなかったのでしょう。それが配給統制です。当節風にいえば食管法というのは、消費者価格と生産者価格の安定を図り、その間をつなぐ流通過程を効率化するということになります。

市場経済を前提に流通過程で、競争原理を工業製品以上に効かせれば――

概していえば、政府が米価形成に介入するのが食管制度。コメが主食である以上、政府が何らかの形で価格の形成に関わるという本質は現在も変わらないと思います。

今回の米騒動で消費者が激しく反応したのは、極めて短期間に小売価格が2倍に上がるのはとんでもない事態だったからです。現行の食料糧法にも需給と価格の安定を図ると方針に確かに書いてあり、その意味は政府がそのために需給の適確な見通し、需給の均衡を図るための生産調整の推進、コメ不足に備えた備蓄の機動的運営、消費者が必要とするコメの適正かつ円滑な流通の確保などを行うことです。その方法が配給統制というおどろおどろしいものではなく、市場メカニズムを使いながらやっていくということであり、政策の基本的方向性は同じです。

今回の騒動以前はデフレ経済の下、消費者の多くが「コメの値段は安い」という空気感のなかにいました。それが、ある日突然上がり始めた。にもかかわらず政府は「コメの価格に介入しません」と言う。介入しないというのなら最後までしないでくれ。生産調整はしていたではないか。それも介入であり、言うこととやることが全然違うではないかと、コメ政策に関心を持っている人たちの漠然とした不満が噴出した。

価格形成から手を引くという意味は、およそ政府は関与しないという意味ではないでしょう。消費者が必要とするコメの適正かつ円滑な流通の確保ができた状態で形成される価格であれば適正な価格と言えるかもしれません。しかし、形成された価格が適正でないならば、それは生産から消費までのどこかに問題があるからでしょう。その価格が不適切なものであれば、コメの適正かつ円滑な流通が確保されていないと判断して、関与していく必要があります。

小泉進次郎農林水産大臣(当時)の「随意契約」は食管法の考え方に戻してしまったわけです。会計法という法律がまずあり、そこには競争入札を原則とすると条文化されています。あくまでも原則ですから、それになじまないもの、それ以外のやり方もできますという立て付けです。食管法という法律は会計法の特例法であり、コメの買取り及び売渡しは全部「随意契約」なのです。だから市場メカニズムによって、ある水準の生産者米価に対して高く設定していいわけですし、市場価格水準よりも低い価格で売り渡すことが可能なのです。食管法はそういう法律上の根拠を与えていたのです。消費者価格についても、需給からすればもっとコメの値段が上がってしかるべき事態でも、安い米価を設定することが可能です。

しかし、その随意契約とする根拠が現行の食糧法にはありません。ゆえに会計法にまで戻らなければならず、会計法で無理くりに「入札に適合しない」という例外的な部分を使った。あれは特別な場合や1回限りというケースにしか適用できません。なぜなら、原則に対しての例外だからであり、何回もやれる話じゃないのです。2025年の場合は、緊急避難としてやってもしょうがないかとは思います。会計法をいじるのではなく、食糧法を改正して、たとえば「備蓄用のコメの売渡しについては別に定める条件の下に随意契約で行うことができる」という趣旨の条文を置けばいいと思います。食糧法の改正は、会計法の特例規定という意味で確かに手間暇はかかりますし、そもそも備蓄運営について「これまでの政策は失敗しました」と言わなければならないですから、関係者の沽券(こけん)に関わるのは間違いない。しかし、本来の筋からすればそうするべきです。

本当にコメの値段を安くするために、備蓄米の販売方法を競争入札以外のやり方で機動的にやっていくという根拠法を作る場合、内閣提出法案の形では関係各省との調整時時間を要することになります。それに対して、議員立法という形でやる方法があります。与野党が一致すると、国会での議論は例えば衆院農林水産委員長提案の形式をとることができます。それを最速で行う場合は、衆参両院とも1日ずつで通せる場合があり得ます。議員立法の内容、手順を行うのが農林水産調査室をはじめとする衆議院事務局の任務です。確かに法律論的には膨大な仕事になる。これまでの法律をすべて見た上の策定ですから。大変に決まっていますが、私が衆議院事務局にいた2005年から2010年当時は自民党政権から民主党政権への切り替わりの時期に当たっていて、国会職員特に若手のやる気は十分に高いものがありました。

食料システムの根幹に関わる農水省大手流通の価格影響力のチェック役を!

これは余談になりますが、役人の資質を低下させたのは内閣人事局、官邸ではないかと思うことが少なからずあります。かねてから良くも悪くも政府との一体性を損なっていたり、各省が縦割りになっていたりという難点がないわけではありませんでした。

でも、役人の世界ではそれなりに実力ある人が出てくると「こいつにやらしときゃ大丈夫だ」という確信のもとに思い切って重要な仕事を任せます。そうして任されたほうは「頑張らなきゃ」となった。もちろんことを進める場合には、事前に「こうやりますから」と政治家に断りを入れておくなど、早い段階から関係者に意見交換から説得活動など手を打てることは何でも行っていた。ただし、現在はそんなことをやろうとしても「余計なことしなくていいから」とたぶん言われてしまうだろうし、「失敗した時どうするんだ」「誰が責任取るんだ」と言う人が絶対にいますからね。

さて、話を食料システム論に戻しましょう。繰り返しますが、コメ政策が代表的ですが、消費者家計の安定と生産の経営安定の二つが食料システム論のポイントなのです。それをつなぐのが流通過程。戦前は商人資本が跋扈(ばっこ)するという意味で真っ当な資本主義経済ではなかったがゆえに、流通過程を市場経済に任せるのではなく、直接統制、つまり配給という形で流通と価格を安定させる手法をとった。

現在は市場経済が成立する条件が整備されているので、市場メカニズムを前提とした流通過程で良いと思います。ところが、上流(生産・加工)と下流(流通・消費)という垂直的な取引関係で捉えた場合、コメに限らず、一般的には取引当事者間に情報の非対称性の問題が起こってしまう。典型的なのは、大型量販店が食品製造業や農業に対して優越的な地位に立ってくるため、たとえば一方的に値下げを求められる、あるいは「今度イベントやるから店手伝いの人を出して」といった不当な負担を求めることが頻繁に起き、独占禁止法上の問題になってくるわけです。その調整解決を公正取引委員会だけがやるのではなく、流通過程の透明化と効率化を切り口に食料システムの構造に関わる役所とすれば農水省になるわけですから、農水省がやるべき。それが私の提唱する食料システム論のメインの主張です。
 
農業の現状を訴えるデモ。生産・流通・消費を結ぶ『食料システム』の断絶が背景にある

食料システムが構築されるのは、食生活の多様化や家族構成の変化などによる食料消費の変化が消費者のニーズにそった商品でないと売れない状況となり、生産―流通・加工―消費が密接なつながりを形成することによって成立したものです。

その過程において、女性の社会進出に伴う家事労働の外部化や家族構成の小規模化は流通・加工部門のイノベーションを誘発し、新しい商品やサービスを生み出しました。こうしたメリットがある半面、前述のような情報の非対称性による優越的地位の乱用の問題も起こるようになってきます。

それは市場取引の当事者では解決できない問題ですから、取引当事者の外にいる政府が関与する必要があるのです。その場合担う機関としては、農水省ではないかと考えます。農業は工業と決定的な違いがあります。それは、生きた動植物を前提にする分野が農林水産業であり、簡単に供給量を調整することができない生産構造にあります。温室栽培で促進するとか、冷やして生育を遅くすることはできるにしても、1年1作という作物であれば1年に1回しかできない。どんなにひっくり返ってもできない。工場生産は365日24時間やろうと思えばできる。マーケットを考えた時には、需要が変動する時に供給量をそれに合わせることが製造業(工業製品)ならできる。ところが農業はどんなに頑張ってもできない。

だから農産物の基本的な値決めは競りになってくるわけです。需給調整は価格でやるわけですが、それも農作物は一発勝負でやるしかない。工業製品は価格に合わせて供給量を調整できる。数量調整ができる。価格が変動することに対して生産サイドは弾力的に対応できる。もっといえば、規模の経済は工業製品には効いてきますから、それも可能です。意図的に工場規模を大きくすることによって生産コストを意図的に下げ、価格が下げられれば、価格弾力性が大きいから需要は膨らんでいく。

売上を考えた時に価格を下げても、1割下げて数量が2割増になれば売上(0.9×1.2=1.08)は増えていくわけです。しかし、農産物の場合は弾力性が0.1しかいかないと、1割下げても需要が0.1割しか増えないので売上(0.9×1.1=0.99)は減っていく。それが工業製品と農産物の決定的な違いです。

価格に対して工業生産の場合はかなり供給サイドが需要をコントロールできる。だから公正取引委員会が出てくる。農産物は市場取引に任せるとすごい勢いで上下に変動し始めるわけです。大型量販店が力を持つのはPOSシステムとコンピューターの処理コストが飛躍的に低減したことを前提に、消費者のニーズを直接把握し、それを分析する能力を持っていることによるものです。むしろ価格が変動するぶん、農業は大変なことが起こり得る。そこは流通過程で公正な競争原理を工業製品以上に効かせるようにしなければなりません。なおかつ競争政策的要素を農業政策に入れていくことも必要です。その双方をセットにしたものが食料システム論です。それができるのは農水省だけです。東方通信社刊『食料システム論』は農水省の後輩に向けた私からのエールでもあります。(続く)


撮影/越智貴雄



たけもと・としひこ
1952年東京生まれ。東京大学法学部卒。76年農林省(現在の農林水産省)入職。ガット・ウルグアイ・ラウンド農業交渉、食管法廃止・食糧法制定作業、BSE(牛海綿状脳症)問題対策などを担当。衆議院調査局農林水産調査室首席調査員、大臣官房審議官を経て農林水産政策研究所長。2013年に農林水産省退職後、農政アナリストとして活動。2018年から24年まで新潟食料農業大学教授。『日本再生の国家戦略を急げ!(金子勝さんと共著)』小学館刊、『食料システム論~「食料・農業・農村基本法見直し」の視点』東方通信社刊など著書多数。

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