本文へジャンプする。
本ウェブサイトを利用するには、JavaScriptおよびスタイルシートを有効にする必要があります。
生協の食材宅配【生活クラブ】
国産中心・添加物削減・減農薬
安心食材をお届けします
ここからサイト内共通メニューです。

提言 持続可能な「農」と「食」への道程(下)

農政アナリスト 武本俊彦さん

農地と住宅が広がる地域。農業は地域の暮らしと密接に関わっている

生産者米価が生産費(コスト)を下回り、持続可能な営農が困難に陥らないようにする。あわせて消費者家計の過重負担にならない小売価格を維持していくための適切な「公的介入」を勧める。そうした「食料システム」の重要さに関しては、この連載(中)で触れました。

現在、野菜や果樹の生産農家への公的助成措置として、農作物の市場出荷価格が暴落状態になった場合は一部補助金が支払われたりしています。政府による「価格支持政策」です。また、農家の直近所得が過去5年の平均所得を下回った場合に、その差額の9割を公的資金で「穴埋め」する収入安定政策もあるにはあります。しかし、持続可能な営農を支えるという意味では「不十分」というほかないとする専門家が少なくありません。(編集担当)

「生産者余剰」と「消費者余剰」で「社会的余剰」は構成される

私が提唱する「食料システム論」では、市場で農作物の価格が決定される仕組みを前提とし、市場で決定される価格が取引当事者にとって適正な価格とは限らない場合が起こり得ます。その場合に政府の関与が想定されますから、日ごろから政策当局が価格や需給等の動向をウオッチし続けることが何より欠かせない基本的な条件となります。この条件が達成され、変に価格が変に動いていると当局が認識したならば、どこに原因があるのかを直ちに検証する必要があります。おそらく多くの場合、売り手ではなく買い手のほうに原因がある可能性が高いでしょうし、買い手のほうが優越的な地位に立って不当な値下げを求めている可能性もあります。その時には当局が必要な介入をすることになります。

それが統制経済の場合であれば、二度と起こらないよう「事前検閲」となるわけですが、市場経済の下ではそんなことはできません。市場メカニズムを効かせるわけですから、流通の自由と価格決定の自由を認めるものの、形成された価格を「不当」と当局が判断した場合は介入する「事後介入」になりまする。その事後介入の根拠は何かといえば、現行の食糧法第2条で規定する「需給と価格の安定を図る」ための手段の一つである「消費者が必要とするコメの適正かつ円滑な流通の確保」を根拠に、公正な取引条件の確保に必要な情報を確保し、競争政策上の問題があると判断した場合には、公正取引委員会に問題事案を通報するなどを通じて、競争政策と産業振興政策との連携を求めることが必要です。

しかし、連携を求めるには食糧法だけを根拠にするのでは十分ではありません。なぜなら、生産者の保護だけではなく、食料システムを構成する「生産」「流通」「加工」に「消費」までを含めた主体の全体が適正に成長する仕組みを確立しなければならず、そのための法律上の整備が必要となるからです。

だからこそ「消費者家計の安定」と「生産者経営の安定」を強く謳(うた)わなければならないし、消費と生産をつなぐ流通過程における価格形成の仕方が良いか悪いかを総合判断できるようにする仕組みが必要になるのです。なぜなら、公正取引委員会の役割は消費者利益の最大化にあるのですが、デフレ経済のように価格が下がってしまう局面では価格下落が消費者利益になっているとしても、生産・流通・加工部門が利益を出せない状況が続けば、そもそも消費者への安定供給が維持できなくなり、消費者にとっても不利益をもたらすことが懸念される状況となるからです。

つまり、食料システムを構成する主体全体の利益の最大化を図ることが必要となるのであって、その場合、競争政策の視点である消費者余剰の最大化だけではなく、食料システムを構成する生産者・加工業者・流通業者といった事業者の利益すなわち生産者余剰を合計した社会的余剰が最大化するように、競争政策と産業政策の連携を図ることが必要になってきたのです。

ところで経済学的に言えば消費者側の利益を「消費者余剰」と、また生産者側の利益を「生産者余剰」と言い、合計したものを「社会的余剰」と言います。競争政策と産業政策の連携とは、社会的余剰の最大化を前提に、消費者余剰と生産者余剰との組み合わせのあるべき姿を指します。あるべき姿の決め方は、政府部内での協議を前提としつつも、最終的には国権の最高機関である国会の場で法律(それに基づく政省令等を含む)によって決定されたものを意味することになります。その上で政府の各機関は誠実にそれを執行することになるのです。

それを食料システム論の観点から言うならば、農林水産省と公正取引委員会とで意見交換し、最後に決めるのは国会になります。なぜなら法律の形をとるべきだからです。短期的には消費者価格を下げたほうがいい場合だとしても、デフレの局面では消費者価格を据え置き、生産者側に利益がいくような形をとったほうが中長期的には食料システム全体が安定していくし、国民の利益につながることが期待されます。そう判断するのは最終的には国権の最高機関たる国会だと私は思っています。

世論の動向や望ましい生産について政府が一言発すべきときだ!


繰り返しますが、価格が公正かどうかは生産者価格ではなくて、どこまでいっても消費者価格を基にした判断になります。消費者価格がどう考えても消費者の家計安定につながらない水準であれば、価格が高すぎるわけですから下げるように競争原理を働かせるというのが一つの「解」となります。

生産者側としては流通マージンを「0」にするわけにはいきませんから、消費者価格を軸に逆算していけばいいのではないでしょうか。流通マージンの水準は公正な市場取引において生産者・消費者双方が許容できる、認めざるを得ないマージンとして決まってくれば、それを引いた部分が一応、生産者価格ということになります。

ただし、その水準が持続可能な生産(再生産)を担保できるかどうかは保証されません。そこを誤ると経営が赤字になってしまう。そこで「直接支払い」の世界に入っていくわけです。


今後、家族農業経営が少なくなっていくなかで、雇用労働を中心とした法人経営に切り替わっていくことが見込まれます。あるいは農地が分散しているものがもう少し集約化されていって合理的な規模になることが期待されます。そうすると今よりはもう少し大型の、場合によってはセスナを飛ばした直播(ちょくは)もあり得るとしたら、効率的な農業構造ができてコスト低減が図れるかもしれません。しかし、それにはかなり時間がかかる。それまで自分たちは「政策当局として生産現場を懸命に支えます。それまでは『直接支払い』という納税者負担での所得補償をやらせてください」と農水省は言うべきでしょう。

食料システムの適正な成長にとって必要なトータルのコストを示していくことが農水省には求められているのです。

ましてや政府が世論の動向や望ましい生産とは何かについて一言も発言しなくていいのかと言いたい。
ある市場原理主義者からすれば「そもそも政府が市場に対してとやかく言うこと自体が間違い」だそうですが、そう言われて黙したままでいいのかということです。

現行のようなコメの生産調整を続けていけば、生産現場の農業者は萎縮してしまい、「本当ならもうちょっと売れるのに」と思いながら「政治に波風立ててもしょうがないね」と黙ってしまうか、好き勝手にやっていくかという両極端になっていきます。当たり前の話ですが、個々の事業者は農業に限らず、どれだけ売れるかと予測を立て、保有する経営資源を効率的に使い、売り上げとコストの関係から利益を最大化していくことを考えているわけですから。

その結果、何ヘクタールにコメを作付けするか、どの品種を作っていくかを決めます。もちろん、いろいろな人のアドバイスを聞くでしょうが、基本的には経営者と称する人たちが最終的に自己の責任で決断しています。鈴木憲和農水大臣は「需要に応じた生産」とおっしゃったようですが、それは大臣に言われなくても農家にとっては日常的にやっている話です。

しかし、事業者と違って政府が需要の話をする場合は、全体需要の話になってきます。政策として実施している生産調整の前提として、まず需要の見通しを立てないとしょうがない。過去のトレンドを10年間ぐらいつなぐと毎年10万トン前後減っているのだから、そのまま伸ばせばいいと10万トンずつ機械的に減らした。今にして思えば、デフレ経済の下では自然と10万トンずつ減っていった。人口減少や高齢化など複合的な要因から生じた10万トンの消費減少が、2020年以降の物価上昇の局面に変わった途端に反転してしまい、需要が10万トン減らなくなった。

たぶんコメが麦に比べ優位になってきたこともあるかもしれません。急に不安になった消費者が「やっぱりコメかな」と思って食べ始めたのも要因の一つかもしれません。政府が需要見通しを出すというのは非常に慎重であるべきだし、一発でこうだという出し方はおこがましいとも言えるでしょう。なぜなら、需要の見通しは、それを示した途端に関係者の期待感が変化することによって、見通しとは違った実績となる可能性があるので、間違えるに決まっているからです。

つまり個々の事業者は期待を変えていくかもしれない。その通りにならない可能性も出てくる。そういうことも含めて、複数の前提を明らかにし、こういうことかなという示し方しかできない。「外れることもあるからね」なんです。

それに応じて供給量をどうするかというのは客観的に前年の作付け量はこれぐらいだった、地球温暖化の影響その他もろもろの短期的な影響要因から機械的に見るとこの程度の生産量が可能ではないかという示し方はできます。マクロの数字としては、です。それを基に生産者は判断してくださいというやり方に変えるしかないと私は思う。

政府が数字を一切示さないのは無責任。それを見て「自分はこうする」と判断した結果だから「なるほどね」となる世界ですから。しかしながら、判断して行動した当事者が責めを負うべきではない事象、たとえばロシアがウクライナ侵攻して肥料が上がったのは、その人のせいではありません。日本政府からしても「自分たちのせいじゃないだろう」と言いたいところでしょうが、そういう時には「ちゃんと面倒を見るから」と言うべきです。それがセーフティーネットというものです。そのための納税者への説明責任は政府にあります。

農業は地域がベース 「地域対策」と「定住対策」に力を注げ!

畑で作業する農業者。営農の継続には、安定した収入と地域での支えが欠かせない

効率性を第一に考えるような農業政策が求めているのは何かといえば、単位面積当たりの投下労働量を減らすことでしょう。となれば、農業を生業(なりわい)にできなくなった人をどうするかということになる。高度経済成長期であれば他の分野で仕事ができるとの想定に立ち、「去る者は追わず」という対応もとれるかもしれませんが、現在起きているのは出ていこうにも出ていけない状態です。 

出ていくと極めて深刻な事態に陥る可能性もあります。どこまでいっても農業は地域をベースに、そこにさまざまな仕事をしている人々が暮らし、協力し合うことによって、トータルで再生産が確保されていくという側面があります。そこを前提に考えていく必要がありますから、定住対策というか地域対策に取り組まなければなりません。この発想が現在の農水省にはほとんどない。そこがいちばん問題でしょう。

経営規模がどれだけ大きくなっていくのか、法人でいくのか、家族農業経営でいくのかは現場にその選択を委ねればいい話であり、行政が「あーでもない、こーでもない」と言う必要はありません。ただし、もちろん求められれば必要な情報は提供し、必要があればアドバイスをしなければなりませんが、基本的には農業への向き不向きの問題をはじめ、いろいろ事情もあるわけです。

それを「こうであらねばならない」という言い方は改めるべきでしょう。明らかなのはコミュニティーが存在するためには必要最低限の人口規模があることです。あるいはお祭りなど農業生産に関連するような要素のあるものを含め、集落の維持に必要な活動ができることが前提で地域は存在していくだろうと私は思っています。そこに政策の注力をささげていくということ。そこに農水省の腹をくくった対応を望みたいです。

今の農業政策を見ると、専業農家が規模を拡大していくトレンドというかベクトルを持つことが望ましいという発想を強く感じます。それは労働生産性の切り口から考えれば一つの「解」であるかもしれませんが、多面的機能を認め、「外部経済」の導入等の方向を示した以上、きちんと「落とし前」をつけてもらわなければならないと思う。それは規模拡大を単に図っていく農家だけではできない話になってきます。地域という外部性を含めた価値を創出するようなフィールドをどうやって温存していくかという話に本来は転換せざるを得なかったはず。

そこでもうひとつ考えなければならないのは、農政当局、農水省の役人や農業政策に関わっているような政治家、団体にも「農業があるから農民がいる」みたいな転倒した話になってしまっているようです。決してそんなことではありません。地域で暮らす人びとが与えられた条件の下最も効率的というか有効だと思うものが農業であったから農業をやっているわけです。

農業以外のほうがもうかるとか、自分の生き方に近いと思えば農業以外をやるでしょう。普通は農業だけをやるのではなく、農業も漁業もやるというように、その発想はもともと兼業に親和的なのです。それは経営的に見ても合理的。リスク分散するやり方だからです。

農業は農産物が壊滅的打撃を受けたら一家が路頭に迷うじゃないですか。そんな選択は絶対にしません。どんなことが起きても家族が生きていけるような経営形態にしていくわけですから、兼業が適していることになる。場合によっては、条件が良いところはある特定の作物だけでもいいのです。その時は付加価値を高めていく方向を目指せばいい。下流(流通・販売)に進出する形で経営を安定させるという方向へも自然と増えていくでしょう。そういう選択を現場でできるようにするための条件整備を行政がやればいいのです。

あるいは農協のような関係団体の人たちはそれを前提にアドバイスをしていくようなシステムにしていけばいい。行政や農業団体の人たちに気を吐いてもらいたいです。生活クラブ生協には風下から彼らに「ちゃんとやってください」とプレッシャーを与えて続けてくれる存在であってほしいですね。


撮影/越智貴雄



たけもと・としひこ
1952年東京生まれ。東京大学法学部卒。76年農林省(現在の農林水産省)入職。ガット・ウルグアイ・ラウンド農業交渉、食管法廃止・食糧法制定作業、BSE(牛海綿状脳症)問題対策などを担当。衆議院調査局農林水産調査室首席調査員、大臣官房審議官を経て農林水産政策研究所長。2013年に農林水産省退職後、農政アナリストとして活動。2018年から24年まで新潟食料農業大学教授。『日本再生の国家戦略を急げ!(金子勝さんと共著)』小学館刊、『食料システム論~「食料・農業・農村基本法見直し」の視点』東方通信社刊など著書多数。

生活クラブをはじめませんか?

42万人が選ぶ安心食材の宅配生協です

生活クラブ連合会のSNS公式アカウント
本文ここまで。
ここから共通フッターメニューです。
共通フッターメニューここまで。