日々の「食卓」と「食」の生産現場をつなぐ ――手紙のやりとりで知る産地のいま――
断続連載
「自業自得」とは余りにも心ない。なぜ、そう思うのか?

拝復 前回のお便りを拝読し、日本の漁業が直面している困難な状況を招いたのは漁業者自身なのだから「自業自得」ではないか?との言説がSNS上に少なからずあると知り、しばし言葉を失いました。確かに漁業者が資源管理を徹底せず、取りたいだけ取ったから水産資源が減少したとの意見は良く耳にします。貴兄も「乱獲が一つの要因であるとの指摘は否定しない」と述べられていましたね。
まさしく釈迦に説法というしかありませんが、漁業は「海」という大自然と相対する生業(なりわい)であり、出漁しても必ず一定の水揚げが必ずあるはずはなく、狙った魚種が常に取れる保証もない仕事です。となれば、いかにテクノロジーが進歩しても「取りたいだけ取る」という人為が適うか否かは海の状態次第ということになりませんか。
さまざまな理由で海洋環境が悪化し、水産資源が減少枯渇して最も困るのは生業を失う漁業者であり、次に水産物の加工流通に関わる事業者でしょう。そうした人びとが海洋環境の維持と資源管理の必要性を肌で感じていないわけがなく、日々悩みながら可能なかぎりの対策を講じていると当方は信じています。たとえ「勝手な思い込みだ」と指弾されてもです。
かつて生活クラブ生協は「つくる手・食べる手・その手は一つ」という表現で、生産・消費の関係を一方通行ではなく双方向のものにしていく決意を社会に表明したことがあります。ともに「生活」する者同士として生産・消費の枠を超えた提携関係を築いていこうというメッセージです。この思いは数十年の時を経ても、連綿と受け継がれていると思います。それにしても「自業自得」とは余りに心なく、残念な言葉ですね。その発信者はなぜ、そう考えたのでしょうか。おそらく海が遠い存在になってしまったからではないかと思うのです。

かつて「子どもに海のすばらしさと大切さ」を伝えるにはどうしたらいいかと提携生産者に質問したことがあります。「簡単ですよ。水中めがねを付けて素潜りさせてあげてください」と言われ、中学二年になった長男を郷里(伊豆半島東海岸)の磯に連れて行きました。素潜りを終えて陸に上がっても興奮冷めやらずで「すげぇ」を連発していたのが忘れられません。いまや息子は35歳で2児の父親となり、今度はわが子に同じ体験をする機会を用意したいと話しています。
当方が子どもの頃はカメノテやフジツボ、尻高(しったか)などの「磯物(いそもの)」を仲間たちと取るのをとがめられたことはなく、漁協も大目に見てくれていましたが、いまでは漁業権規制が厳しくなって一切禁止と聞きました。横行するという密漁への対策と資源管理の重要性は理解できますが、子どもたちが海とふれあい、海の魅力と大切さを知る入り口がひどく狭まったようで残念な気がします。貴兄の地元ではどうされていますか。
もうひとつ悩ましい話があります。当方の郷里では、かつて街中に何軒もあった鮮魚店が姿を消してしまい、「目の前に漁港があるのに、いまでは俺たちもスーパーに刺身を買いに行くしかなくなったよ」と郷里の友が嘆きます。当方が暮らしている街も事情は変わらず、鮮魚店は廃業続きで歩いていける場所にはありません。これも海が遠く感じられ、魚との縁が「疎」になる要因の一つではないでしょうか。どう思われますか。
貴兄が取った魚がどこに運ばれ、どのように流通しているのかという点と合わせてご教示願えれば幸いです。今回はまとまりを大きく欠いた便りとなり申し訳ありません。前回の前略からのお便りに応えんと、拝復とさせていただきました。あしからず。ところで、時化(しけ)模様の胸中は晴れましたか。ご返信をお待ちします。長々と失礼しました。
敬具
権田幸祐さま
生活クラブ連合会 山田衛

どれだけ探しても、どれだけ努力しても、獲れないものは……。
拝復 丁寧なお便りをいただき、誠にありがとうございます。前回の拙文に対し、真摯に受け止めていただき、漁業者の立場にも思いを寄せていただき、深く感謝申し上げます。頂戴したお便りで「自業自得」という言葉について触れていただきました。率直に申しあげて、それは現場にいる私たちにとっては非常に重く、何ともいいようのない悔しさを伴う言葉です。ただ、そのように言われてしまう背景があることも、また事実として受け止めなければならないと感じています。
ご指摘の通り、漁業は自然を相手にする仕事であり、「獲りたいだけ獲る」ということが常に可能なわけではありません。どれだけ技術が進歩しても、最終的には資源状況や天候など海の状態に大きく左右されます。魚がいなければ、どれだけ探しても、どれだけ努力しても、獲れないものは獲れません。
その一方、あくまでも肌感覚ながら、いまの資源の状況を鑑みれば決して十分とは言えない管理下においては、実際のところ「魚をどこまで獲るか」という最終判断は漁業者側に委ねられてきたのも事実です。確かに過去を振り返れば、結果的に獲り過ぎてしまった面があったことは否めません。ただし、私の加入する漁協では、刻々と変わる海の状況を見ながら、地元や船団の判断で資源管理の為に独自にルールを作り、自主的に禁漁するなどして「獲り過ぎ」が起こらないよう、政府や県が定めたルールとは別にルールを設けて操業してきました。そうしたなか、私たちがあえて我慢をしている最中に他県の大型漁船等が来て魚を根こそぎ獲っていかれるという、悔しい思いをすることもあります。
さりとて、それは個々の漁師の問題というよりも、制度や仕組みの問題が大きいと感じ続けてきました。現場の漁師は、決められたルールの中で最大限の努力をするしかありません。そのルール自体が適切でなければ、どれだけ現場が努力しても、結果として資源に負荷をかけてしまうことになります。
ご指摘の通り、漁業は自然を相手にする仕事であり、「獲りたいだけ獲る」ということが常に可能なわけではありません。どれだけ技術が進歩しても、最終的には資源状況や天候など海の状態に大きく左右されます。魚がいなければ、どれだけ探しても、どれだけ努力しても、獲れないものは獲れません。
その一方、あくまでも肌感覚ながら、いまの資源の状況を鑑みれば決して十分とは言えない管理下においては、実際のところ「魚をどこまで獲るか」という最終判断は漁業者側に委ねられてきたのも事実です。確かに過去を振り返れば、結果的に獲り過ぎてしまった面があったことは否めません。ただし、私の加入する漁協では、刻々と変わる海の状況を見ながら、地元や船団の判断で資源管理の為に独自にルールを作り、自主的に禁漁するなどして「獲り過ぎ」が起こらないよう、政府や県が定めたルールとは別にルールを設けて操業してきました。そうしたなか、私たちがあえて我慢をしている最中に他県の大型漁船等が来て魚を根こそぎ獲っていかれるという、悔しい思いをすることもあります。
さりとて、それは個々の漁師の問題というよりも、制度や仕組みの問題が大きいと感じ続けてきました。現場の漁師は、決められたルールの中で最大限の努力をするしかありません。そのルール自体が適切でなければ、どれだけ現場が努力しても、結果として資源に負荷をかけてしまうことになります。

だからこそ今、私が強く思うのは、「漁師が悪い」「消費者が悪い」といった単純な対立ではなく、お互いの立場や背景を理解しながら、どうすればより良い形にしていけるのかを考えていくことの大切さです。山田さんが書かれていた「つくる手・食べる手・その手は一つ」という言葉に強く共感した次第です。
また、海が遠くなってしまったという嘆きも、現場感覚として非常によく分かります。私たちにとっては日常である海も、多くの方にとっては非日常の存在であり、遠い存在になってしまっている。その距離が、誤解や無関心を生んでいるのかもしれません。磯での体験のお話、とても印象的に読ませてもらいました。海に潜り、自分の目で魚や生き物を見る。その体験は何よりも強く心に残るものです。私の場合は、物心ついた時からそうした体験が日常でしたので、海への思いの原点になっています。
他方、現在は漁業権の問題や資源保護の観点から、気軽に磯遊びができなくなっている現状があります。密漁対策や安全対策として必要な面があることは、ぜひともご理解願いたいのですが、子どもたちが海に触れる機会が減っているとの言葉にハッとしました。鐘崎でも同様で、以前のように子供が自由に海で遊ぶ光景はあまり見かけなくなりました。水中眼鏡を着けて潜っているだけで通報が入る事もありますし、密漁との区別も難しく、「これくらい良いだろう」とルールを守らず禁止の海産物を獲ってしまう人もなかにはいますので、厳しく監視せざるを得ない状況は実に悩ましいところです。
そうか、海への入り口が小さく遠くならないよう、管理する側の漁業者も現代社会のありように一層理解を深める事が重要だと改めて気づかされました。また、海の存在が遠くなった分、海の事故も増えた様に思います。海に対する危機管理も同様に遠くなったのだと思います。だからこそ、海に携わる我々が体験活動や地域の取り組みを通じて海との関わりをどう残していくかも大切な使命だと感じています。
鮮魚店が減っているという話にも、深く考えさせられました。私たちが水揚げした魚は多くの場合、福岡にある中心的な市場で競りにかけられ、仲買人を通じて全国の市場や加工業者へと流れていきます。その過程で、地域の小さな魚屋さんを経由する機会は確実に減っています。私の地元にも小さな魚屋さんは何件かありましたが、今は一軒もありません。昔は私の地元にも魚市場がありましたが、合理化や効率化の為、一本化されたのも原因の一つかもしれません。流通が広域化し、効率化が進んだ結果ではありますが、その一方で、海と人との距離はご指摘の通り、確実に遠くなっています。
地元で獲れた魚が地元で食べられない、あるいは身近に感じられないという状況は、どこか歪(いびつ)さを感じさせます。本来であればもっと地域の中で循環し、顔の見える形で届けられる仕組みがあり、それを地元の魚屋さんが担ってくれていたのですが、今の日本の一般的なライフスタイルの中ではビジネスとして成り立ちにくく、廃業を決意せざるを得ず、激減していっているのだと推察します。本来、津々浦々~その場所、その季節に今ある物をしっかり消費する仕組みこそが日本の沿岸漁業を支える一つの柱なのです。その柱を支えてきた小さな魚屋さんが激減しているのは我々にとっても致命的です。生産する側と消費する側の信頼関係はとても重要です。その両者の「縁結び」をする役割が今の日本には必要不意可決です。他人任せではダメですが、生活クラブ生協のような存在があれば、これからの希望が見えてくる気がしています。

前回の私から便りは、私自身の思いが先走り、やや熱のこもった内容となってしまいました。今回こうして、返信をしたためる機会を得て、少し気持ちが整理されました。時化(しけ)のようだった胸の内を吹き荒れた暴風も、幾分か凪(な)いできたように感じています。当然、海は日々姿を変えます。しかし、その中でどう海と生きていくのかを考え続けることが、私の務めとの決意を改めて噛みしめています。これからも海に生かされる一人として、出来る事を積み重ねていきたいです。
まとまりのない返書となりましたが、どうかご容赦ください。引き続き、率直なご意見を頂戴できれば幸いです。末筆ながら、ご健勝を心よりお祈り申し上げます。
敬具
権田幸祐
2026年3月末日 記
ごんだ・こうすけ
1984年生まれ。高校に進学するも卒業を待たずして、17歳で漁師の道を選ぶ。福岡県宗像市鐘崎地区で先祖代々続いてきた漁師の家系の長男で漁師歴は20年を超える。漁業を取り巻く状況が年々厳しさを増すなか、現状を少しずつでも改善する活動に漁師仲間と取り組み、「できることを精いっぱいやる」をモットーに持続的な漁業のあり方を模索する。2021年に一般社団法人「シーソンズ」の設立に参加。代表理事としてプラスチックによる環境汚染問題の解決に向けて試行錯誤を続けている。
撮影/越智貴雄