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日々の「食卓」と「食」の生産現場をつなぐ ――手紙の遣り取りで知る「産地」のいまーー

断続連載 最終回

拝啓 親愛なる「読み手」のみなさまへ

いつも私の拙い物言いに心を砕いてくださった「読み手」のみなさま、本当にありがとうございます。これまでは生活クラブ生協連合会の山田衛さんからの質問にお答えする形で筆を取ってまいりました。ですが、最終回となる今回は私の方から、いま漁業の現場に身を置いている漁師として感じることを率直にお伝えしたく思います。

私は福岡県宗像市鐘崎という漁村で生まれ育ちました。ここでは漁業は単なる仕事ではなく、「生活そのもの」です。朝の港の潮の匂いに満ちた空気、漁から戻った船の音、仲間同士の何気ないやり取り、魚を囲んでの食卓――そうした日常の一つひとつが、海とともにあります。良くも悪くも人と人との距離が近く、誰かが困れば自然と手を差し伸べる。そうした「共同体」としての力が、これまで鐘崎の漁業を支えてきました。

あわせて漁期(操業期間)の見直しや、獲り過ぎ(乱獲)を防ぐためのルールづくりなど、共同体の力を発揮しながらの資源管理も行われてきたと観じています。この鐘崎という漁村の歴史は平安のいにしえに始まり、万葉集にもその名が残るほどです。そんな想像もつかないような昔から海との共存を積み重ね、連綿と受け継がれてきた、日々の営みの積み重ねの上に、いま現在の私たちの暮らしがあります。

しかし現在は、その当たり前だった風景や地域の暮らしが、静かにやせ細りつつあるのを肌で感じながらの毎日を過ごしています。資源の減少、担い手不足、流通や消費の変化、そして何より、社会と海との距離が広がっていることです。海が遠くなり、魚が遠くなり、漁業そのものが遠い存在になっている。その結果として、漁業は衰退の一途をたどっています。さらに、現在の漁業の状況を「漁師の自業自得」と締めくくるような心ない声も少なからずあり、それを文字通りの現実と受け止めるような社会の空気の強まりを感じています。


日本の海が「資源管理不足」の現実に直面しているのは、もはや否定できないと思います。世界でも有数の「排他的経済水域(海に面する国が「海の資源を優先的に利用できる特別な海域=EEZ)を持ち、豊かな海に囲まれているにもかかわらず、ここまで衰退を続けている先進国は、日本くらい。まさに愚の骨頂と言われても仕方ない状況です。こうしたなか、海外諸国を見習い、新しい制度を導入すべきだという声も強くなりました。

しかし、現状の制度や社会のあり方は、本当にその基盤を守る方向に機能しているのでしょうか。現場では、資源管理と経済の両立に苦しみながら、それでも海に向き合い続けています。ところが現在の制度は、資源を守るどころか、漁業者同士を競わせ、分断させる構造を持っているように私には思えます。

過去の漁獲実績を基準にした漁獲枠の配分は、大きな船や条件の良い地域に有利に働き、小さな漁業者ほど追い込まれる。枠が埋まる前に獲らなければならないという圧力の中で、安全より効率が優先される場面も出てきます。さらに、魚が十分に育つ前に獲ってしまう「成長乱獲」を助長する側面さえある。それが本当に「持続可能な漁業」と言えるのかと、私は疑問に感じています。

一方、消費の現場ではどうでしょうか。30年以上にわたる長期の所得減少経済により、当然ながら「安さ」が優先される傾向は強くなるばかりです。一方、現在の資源状況を鑑みれば、おそらく持続的な生産が成り立ちにくい構造が続いていくのは確実のように思えてきます。このままでは国内の漁業生産基盤はさらに弱り細り、「いざという時」に支えとなりうる力が失われていくのは間違いないのに、その「構造的漁業破壊」の負の影響に自覚的な人は、はたしてどれだけいるのかと強い不安を覚えます。

もちろん、資源管理は絶対に進めなければならないでしょう。しかし、その任に携わる漁業関係者の生活をまず安定させなければ、本当の意味での資源管理は進まないのではないかと私は常々考えています。やはり、そのための公的助成、公的支出という「未来の食」への社会的な投資が不可欠なのです。その欠落がずれ「大きな代償」という形で返ってこないことを祈るばかりです。漁業は単なる一産業ではなく、日本の食料安全保障を支える重要な基盤です。だからこそ、もっと多くの方に真剣に議論してほしいと思っています。

現在、世界では地政学的な緊張が高まり、資源や食料の確保はますます不安定になっています。例えば、エネルギー輸送の要衝であるホルムズ海峡の情勢一つで、私たちの生活が大きく揺らぐことは、多くの方が実感されていることでしょう。もしこれが食料だったらどうなるでしょうか。海外からの輸入がわずかでも滞れば、日本の食卓はたちまち混乱に陥るはずです。

魚も例外ではありません。世界的に水産物需要が高まる中、日本はすでに「買い負ける側」に回りつつあります。そのような中で、自国の海から安定して食料を得る力、すなわち漁業生産を維持する、持続可能なものとしていくことは、食の安全保障であると同時に「広い意味で国防」にもつながるものだと私は考えています。漁業を守り、発展させることは、日本を強く、安全な国にすることに他ならないのではないかと。

私たち漁業者は、決して一方的に「守ってほしい」と言いたいわけではありません。ただ現実として、資源を守りながら漁業を続けていくためには、一定のコストと時間が必要と声を大にして申しあげたいのです。その価値を社会全体でどう考え、どう受け止めるのか。それがこれからの大きな分かれ道になると感じています。

そのためには、やはり多くの方々に海の現状を知ってもらい、興味を持っていただき、議論を広げていくしかありません。鐘崎という共同体で育った私にとって、海は生活そのものであり、誇りであり、次の世代へ引き継ぐべきものです。そのバトンを渡せるかどうかは、もはや漁師だけではなく、社会全体の選択にかかってきている課題だと強く感じています。

正直にいえば、漁業の現場に立つ者の一人として声を上げることに「ためらい」と「迷い」を感じないわけではありません。それでも、何も言わずにいるよりは、たとえ不完全でも伝え続けることに意味があると信じています。

まとまりのないお便りとなりましたが、これを一つの問題提起として受け止めていただければ幸いです。今回、私の拙く素朴にして未熟な「物言い」に、心の耳を澄ましてくださった「読み手」のみなさまの率直なお考えをお聞かせ願えればさいわいです。末筆ながら、みなさまのご健勝を心よりお祈り申し上げます。            
敬具

宗像鐘崎の漁師 権田幸祐 拝
2026年5月
 


ごんだ・こうすけ
1984年生まれ。高校に進学するも卒業を待たずして、17歳で漁師の道を選ぶ。福岡県宗像市鐘崎地区で先祖代々続いてきた漁師の家系の長男で漁師歴は20年を超える。漁業を取り巻く状況が年々厳しさを増すなか、現状を少しずつでも改善する活動に漁師仲間と取り組み、「できることを精いっぱいやる」をモットーに持続的な漁業のあり方を模索する。2021年に一般社団法人「シーソンズ」の設立に参加。代表理事としてプラスチックによる環境汚染問題の解決に向けて試行錯誤を続けている。

拝復 海を渡った「海人」の誇り忘れず、大海原をゆく「友」へ

いわゆる「大衆魚」と称され、当たり前のように食されてきたイワシにアジ、サバ、スルメイカにサケが食卓にのぼる頻度が大きく減り、小売価格も手を出すのがはばかられるようになって久しくなりました。

ワカメに海苔も漁獲量が頭打ちで中国や韓国などからの輸入が増加傾向にあるとされています。アサリやシジミといつたなじみ深い貝類も同様で、とりわけアサリは海外から稚貝を買い求め、日本の海に放流して育てる「畜養」が中心になってきていると漁業関係者から聞きました。フナやワカサギなどの淡水魚の水揚げ減少も深刻なようで、それらを原材料とする佃煮に代表される固有の食文化も存続の危機にあるといわれます。

こうした一連の漁業不振(危機的領域)の背景には、偏西風や黒潮の大蛇行、さらには南米ペールー沖の赤道付近の海水温が上昇するエルニーニョ現象という「大状況的要因」に加え、漁船の大型化に操業技術の著しい向上による漁獲量の増加(乱獲要因の一つ)による資源枯渇、定量・定質・定型・定価を前提とする大量販売・大量消費構造の定着による生産コストを勘案しない小売価格が結果としてもたらす「薄利多売構造」などの「中状況的」要因があります。

これに森林の荒廃による川の水の「貧栄養傾向」やコンクリート護岸、海砂の過剰採取による海洋環境の激変、合成洗剤の影響に上流での農薬散布、下水道設備の向上による行き過ぎた「水質浄化」を付け加える研究者もいます。いずれにしても日本周辺海域の海洋資源は減少しているのは紛れもない事実であり、結果として漁業者間の漁獲競争を激化させているのは否定できないと思います。

そうした漁業者間の競争が資源管理を軽視した乱獲を誘発した主要因であるとの指摘には、いささか無理があるのではないでしょうか。ところが、なかにはノルウエーにアイスランドを見よ!科学的知見と技術を駆使した国家による資源管理を徹底し、世界的な水産大国として知られる漁業立国を成し遂げているではないか!? 対して日本は漁協を中心とする漁業者の「自治」に水産資源の管理を委ねるという不徹底ぶりを維持したままではないかと訴える専門家もいます。

かつて取材した水産庁0Bは漁業法の根本には「前浜は地付き、沖は入会」の精神があり、「要はステークホルダー(操業当事者=漁業者)間の自治と話し合い(お互いさまの譲り合い)によって、人類の共有財(コモン)であり、だれの所有物でもない(無主物)魚介類を分け合って有効に使って生きていく民主主義を象徴するものだと僕は考えている」と話してくれました。

それにしてもかの水産大国の科学的資源管理は上意下達の徹底と最先端センサーを使った魚のサイズ分別、水揚げから加工までを巨大な船で一元管理してしまうというから驚きます。漁獲するのは単一魚種で攻めの操業、対して日本漁業は定置網に代表される待ちの操業で、魚種も混獲が前提です。にもかかわらず、流通からは定量・定質・定型・定価の「ロット」を要求されるのですから、複雑な思いがしませんか。

いやはや、本当に難しい問題です。これから日本の魚食はどうなっていくのでしょうか。大状況・中状況的要因の解決には残念ながら即効策はないかもしりません。ならば、まずはいち消費者としてできることを見つけ、実践していくしかないと思うばかりです。


さて、前置きが長くなりました。当欄のプロフィールには、当方の入力ミス(本来なら始末書もんですが)で、貴兄の生年月日が1948(昭和23)年となっています。正しくは1984(昭和59)年の42歳。誠に誠に申し訳ありませんでした。 さて、貴兄の生業(漁=いさる、すなどる)は古来より連綿と続いてきた、この列島の「食」の営みの根幹であり、貴兄は大陸から朝鮮半島を経由して鐘崎で漁を営んだ海人(かいじん)海士(かいし・あま)の末裔であり、日本海沿岸をはじめ列島沿岸の人びとに海からの恵みを得て生きていく術を伝えた祖先の「志」を立派に継承しようとする人だからです。坊さまに説法ではありますが、この列島は周囲を海に囲まれた水産資源の宝庫です。その宝が1984(昭和59)年をピークに朽ちゆく傾向が続いています。その過酷なまでの厳しさのただ中に置かれた貴兄のご苦労は察するに余りあります。ですが、どうぞ海人の誇りを胸に生業を続けてください。必ずや道は開け、貴兄と心をいつにする漁師仲間が声上げ、立ち上がる日がきっと来ると当方は信じていたいのです。

これを世間は「きれいごと」と嘲笑(わら)わば嘲笑えです。ちなみに生活クラブと肉厚ワカメに焼きウニなどの共同購入を通して提携関係にある、岩手県宮古市の重茂漁協では一組合員世帯1名の組合員資格を2名に早くから変更し、当節の「分断」何するものぞ!の異世代間の意見交流を前提とした「民主的運営」に取り組んできました。その地域力(コミュニテイの底力)は2011年の東日本大震災による甚大な被害を漁協の組合員と職員が一丸となって迅速に乗り越える力となりました。それを当方は目の当たりにしたのです。その重茂もいまは漁協直営の定置編漁におけるサケの不漁、黒潮の蛇行による海水温の高温安定がもたらすとされる養殖ワカメの生育不良に悩み苦しんでいると聞いています。それでもかの地の人びとは海で生きる道を容易に手放したりはしていませんし、自らの生業に誇りを持っているはずです。機会があればぜひ一度、かの地を訪ねてみてください。

末筆となり恐縮ですが、この便りの交換では大変お世話になりました。実に多くのことを学ばせてもらい感謝しています。とにもかくにも貴兄の無事な操業と帰港、ご家族の安寧とご健康、そして豊漁とコスト割れしない安定した魚価が続く日が来るのを祈念して拙文を締めたいと重います。ありがとう幸ちゃん。またお目にかかる日を楽しみにしています。
 
合掌

権田幸祐さんへ
生活クラブ連合会 山田衛
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