日々の「買い物」でコミュニティーはぐくむ イタリアの食卓から考える「スローな食」

在来種の多様なリンゴを生産する農家
忙しく過ごす日々。いつしか毎日の食事づく作りや買い物が「単なる作業」になっていきます。スーパーの棚にはきれいに包装された野菜が並び、それをサッとカゴに入れ、足早に家路につく。そんな私たちの日常とは対照的な「食」の風景が、スローフードの発祥地・イタリアにはあります。今回は、著書『イタリア食紀行』でも知られ、長年「農」のある暮らしに関わってきた、龍谷大学教授の大石尚子さんに、イタリアでの経験を通じて感じた「食とコミュニティーの豊かな関係」や現地のスローフード事情についてお話を伺いました。
スローフードとは:世界に広がる「食」の草の根運動
そもそも「スローフード」とは何でしょうか。これは1980年代にイタリアで始まった国際的な「草の根(人々の地域に根差した)運動」です。当時、急速に広まっていたファストフードに対し、地元の伝統的な食文化や食材、そして生活の「スロー」なリズムを守るために提唱されました。 スローガンに盛り込まれているキーワードは「おいしい、きれい、正しい(Good、Clean、Fair)」。単に味の良さを追求するだけでなく、可能な限り環境に負担をかけずに生産され(=きれい)、生産者の人権や公正な取引が守られている(=正しい)、持続可能な食のあり方を目指す社会運動(価値の転換を求める行動)でもあります。

チーマデラパとアンチョビのブルスケッタ
買い物は「モノ」を買うだけでなく、「対話」を楽しむ時間
大石さんがスローフードの原体験として語ってくれたのは、イタリアのどんな小さな街にもあるという「ファーマーズマーケット(マルシェ)」の日常風景でした。
「トマトの国であるイタリアでも、旬の時期が終われば市場にトマトは並びません。ですが、その土地のマーケットに行くと、そこにしかない季節の野菜が売られていて、お店の人や、買い物客までが、『今の季節はこれがおいしいんだ』と熱心に説明してくれるんです」
休日に夫婦で買い物に訪れ、今まさに旬を迎えた食材をほほえみを交わしながら吟味する。そんな風景に心を動かされたという大石さん。イタリアでの買い物は単に食材を手に入れる(購入するためだけの)手段ではなく、人と人との「対話」が絶えないコミュニケーションの場だと言います。
「トマトの国であるイタリアでも、旬の時期が終われば市場にトマトは並びません。ですが、その土地のマーケットに行くと、そこにしかない季節の野菜が売られていて、お店の人や、買い物客までが、『今の季節はこれがおいしいんだ』と熱心に説明してくれるんです」
休日に夫婦で買い物に訪れ、今まさに旬を迎えた食材をほほえみを交わしながら吟味する。そんな風景に心を動かされたという大石さん。イタリアでの買い物は単に食材を手に入れる(購入するためだけの)手段ではなく、人と人との「対話」が絶えないコミュニケーションの場だと言います。


ローマのファーマーズマーケット
「小さなスーパー型のお店から、昔ながらの八百屋のスタイルに戻したという店舗を以前に訪ねたことがありました。そこには店主がお客さんに『元気?』と声をかけ、安否確認をし合うようなコミュニティーが生まれていました。買い物をしなくても挨拶だけはして通り過ぎる人もいたり、地域の人たちが元気をもらえる場所になっているんです」
「小さなスーパー型のお店から、昔ながらの八百屋のスタイルに戻したという店舗を以前に訪ねたことがありました。そこには店主がお客さんに『元気?』と声をかけ、安否確認をし合うようなコミュニティーが生まれていました。買い物をしなくても挨拶だけはして通り過ぎる人もいたり、地域の人たちが元気をもらえる場所になっているんです」
食が「仲間をつなぐツール」になり、地域の誇りになる
イタリアの特徴として、大石さんは「食が仲間をつなぐツールになっている」点を挙げます。ただ一人で味わうのではなく、食卓にワインやチーズ、パンを並べ、それをネタにみんなで集まって語り合うのです。ある老舗食料品店では、伝統的な食材を手軽に食べてほしいとバル(南欧風の飲食店)を併設したところ、そこが隣の席の人同士が気軽に語り合う、みなの「第三の居場所」になったそうです。
また、イタリアでは伝統食が各地で受け継がれ、地域の人々にとって強い「アイデンティティー(自分の心のよりどころ)」や誇りの源になっています。
また、イタリアでは伝統食が各地で受け継がれ、地域の人々にとって強い「アイデンティティー(自分の心のよりどころ)」や誇りの源になっています。

プーリアの伝統的料理
「例えばプーリアという州なら、春になると『チーマ・デ・ラーパ(菜花の一種)』を使ったパスタを絶対に食べる。各家庭の味があり、『この時期に帰省してきたらこれを食べなきゃ』という強い地域性が根付いています」と大石さんは話します。
こうした豊かな食文化が成り立つ背景には、生産者と消費者の距離の近さがあるようです。イタリアでは昼食を家で食べる習慣が残っている地域もあり、市場で新鮮な食材をたっぷり買う人が多いといいます。直に顔を合わせて作物を買うことで、店主との信頼関係が生まれ、「おいしかった」という声が生産者に届いて生産側のやりがいにつながる、という良い循環が生まれています。
「例えばプーリアという州なら、春になると『チーマ・デ・ラーパ(菜花の一種)』を使ったパスタを絶対に食べる。各家庭の味があり、『この時期に帰省してきたらこれを食べなきゃ』という強い地域性が根付いています」と大石さんは話します。
こうした豊かな食文化が成り立つ背景には、生産者と消費者の距離の近さがあるようです。イタリアでは昼食を家で食べる習慣が残っている地域もあり、市場で新鮮な食材をたっぷり買う人が多いといいます。直に顔を合わせて作物を買うことで、店主との信頼関係が生まれ、「おいしかった」という声が生産者に届いて生産側のやりがいにつながる、という良い循環が生まれています。
データから見る日本とイタリア、その差が教える「食への情熱」
このようなイタリアの日常は、統計データにも興味深い形で表れています。農林水産省の資料によると、日本とイタリアの食料自給率には大きな差があります。

出典:農林水産省
食料自給率を語る時に一般的に使われる総合食料自給率は、熱量で換算するカロリーベースと、経済的価値を示す生産額ベースに分けられます。
カロリーベースの自給率は、国内の消費人口が生産量に対して少なく、カロリーベースの上昇につながる穀物、油糧種子などの生産が多い国が大きくなる傾向があります。また、生産額ベースでは、カロリーベースと比較して、価値の高い農畜産物に力を入れている国が、国際的にも上位に入っています。
これを踏まえて、農林水産省の資料「我が国と諸外国の食料自給率(2022年、日本のみ2024年度)」を見てみると、カロリーベースの自給率は、日本が38パーセントであるのに対し、イタリアは52パーセントでした。さらに、生産額ベースで見ると、日本の64パーセントに対し、イタリアは74パーセントと高水準を維持しています。ここから見て取れるのは、イタリアでも、一般的な小麦や家畜のえさとしての穀物は、他国に一定量の生産を頼っていること。代わりに、チーズや、ワインなど、イタリアならではの付加価値のある食材は堅実に生産し続けていることです。
日本とイタリアとの間に、そうした統計上の差が見られる背景には、イタリア人の「食への圧倒的な情熱」(大石さん)があるよう。イタリアでは、消費者が市場で旬の食材を自ら選び、店主と「どう食べるのが一番美味おいしいか」を語り合う文化が根付いています。この「誰が作ったかを知り、納得して買う」という対話の積み重ねが、地域の農業を、消費者が買って支える強固な基盤となっているのではないか、と大石さんは問いかけます。
食料自給率を語る時に一般的に使われる総合食料自給率は、熱量で換算するカロリーベースと、経済的価値を示す生産額ベースに分けられます。
カロリーベースの自給率は、国内の消費人口が生産量に対して少なく、カロリーベースの上昇につながる穀物、油糧種子などの生産が多い国が大きくなる傾向があります。また、生産額ベースでは、カロリーベースと比較して、価値の高い農畜産物に力を入れている国が、国際的にも上位に入っています。
これを踏まえて、農林水産省の資料「我が国と諸外国の食料自給率(2022年、日本のみ2024年度)」を見てみると、カロリーベースの自給率は、日本が38パーセントであるのに対し、イタリアは52パーセントでした。さらに、生産額ベースで見ると、日本の64パーセントに対し、イタリアは74パーセントと高水準を維持しています。ここから見て取れるのは、イタリアでも、一般的な小麦や家畜のえさとしての穀物は、他国に一定量の生産を頼っていること。代わりに、チーズや、ワインなど、イタリアならではの付加価値のある食材は堅実に生産し続けていることです。
日本とイタリアとの間に、そうした統計上の差が見られる背景には、イタリア人の「食への圧倒的な情熱」(大石さん)があるよう。イタリアでは、消費者が市場で旬の食材を自ら選び、店主と「どう食べるのが一番美味おいしいか」を語り合う文化が根付いています。この「誰が作ったかを知り、納得して買う」という対話の積み重ねが、地域の農業を、消費者が買って支える強固な基盤となっているのではないか、と大石さんは問いかけます。

ブラータ
一方の日本も、1965年度にはカロリーベースで73パーセントの自給率を誇っていました。しかし、数字は年々低下。食の欧米化や調理済み食品の利用(外部化)が進む中で、利便性を優先するあまり、食はつくるものではなく、「外から買って調達するもの」という意識を強めたことが、自給率低下の一因とも指摘されています。私たちが今日何を食べるか、誰から買うかという小さな選択は、結果として国の「食」や「文化」を守る力につながっている。自給率の差は、そうしたことを教えてくれているかもしれません。
一方の日本も、1965年度にはカロリーベースで73パーセントの自給率を誇っていました。しかし、数字は年々低下。食の欧米化や調理済み食品の利用(外部化)が進む中で、利便性を優先するあまり、食はつくるものではなく、「外から買って調達するもの」という意識を強めたことが、自給率低下の一因とも指摘されています。私たちが今日何を食べるか、誰から買うかという小さな選択は、結果として国の「食」や「文化」を守る力につながっている。自給率の差は、そうしたことを教えてくれているかもしれません。
日本の暮らしの中で「スローフード」を楽しむヒント
では、この考え方を私たちの忙しい日本の生活にどう取り入れればよいのでしょうか?。 大石さんは「難しく考えず、ちょっとした一歩を踏み出すこと」を提案します。
「いつも行くスーパーでも、地元の食材を置いている地場産コーナーをのぞいてみる。あるいは、ベランダのプランターでハーブや好きな野菜を一つ作ってみる。それだけで全然違うと思います」
「いつも行くスーパーでも、地元の食材を置いている地場産コーナーをのぞいてみる。あるいは、ベランダのプランターでハーブや好きな野菜を一つ作ってみる。それだけで全然違うと思います」

昔スタイルの八百屋(バーリ)
お子さんがいる家庭なら、一緒に「手作り」を体験することもおすすめ。「例えば、大豆をふかして納豆を作ってみる。本当に納豆になる過程を子どもと一緒に観察するのも楽しいですよね」と大石さんは笑顔で話します。
イタリアでも、小麦粉の香りの違いからパスタになるまでの工程までを子どもたちに五感で学ばせるといった「味覚教育」が重視されているそうです。
お子さんがいる家庭なら、一緒に「手作り」を体験することもおすすめ。「例えば、大豆をふかして納豆を作ってみる。本当に納豆になる過程を子どもと一緒に観察するのも楽しいですよね」と大石さんは笑顔で話します。
イタリアでも、小麦粉の香りの違いからパスタになるまでの工程までを子どもたちに五感で学ばせるといった「味覚教育」が重視されているそうです。
「義務」ではなく「楽しみ」を見つけに行く
日本の消費者は、食材を選ぶ時に「健康や安心・安全」を重視するよう奨励され、それを実践している人も多数存在しています。もちろんそれは大切ですが、「環境のために」「地域貢献のために」と義務感だけで動いては、長続きしにくく、他者にも勧めにくいのが現実です。そこで、こんな提案を大石さんはしています。
「スローフードには、楽しさが待っています。『こんな農家さんがこんな風ふうに作っていたから、こんなにおいしいんだ!』という出会いの楽しさです。義務として課せられるのではなく、楽しみを見つけに行く感覚で取り入れてもらえたらいいですね」
「スローフードには、楽しさが待っています。『こんな農家さんがこんな風ふうに作っていたから、こんなにおいしいんだ!』という出会いの楽しさです。義務として課せられるのではなく、楽しみを見つけに行く感覚で取り入れてもらえたらいいですね」

協同組合の仲間たちとワインの試飲
毎日の買い物で、その商品や作物を、誰が作ったのか少し想像してみる。旬の食材を探してみる。 そんな小さな「楽しみ」の積み重ねが、私たちの暮らしを少しずつ豊かにし、地域や環境を大切にする「スローフード」な生き方につなげてくれるかもしれません。 次の買い物は、いつもより少しだけ時間をかけて、食材との「対話」を楽しんでみませんか。
毎日の買い物で、その商品や作物を、誰が作ったのか少し想像してみる。旬の食材を探してみる。 そんな小さな「楽しみ」の積み重ねが、私たちの暮らしを少しずつ豊かにし、地域や環境を大切にする「スローフード」な生き方につなげてくれるかもしれません。 次の買い物は、いつもより少しだけ時間をかけて、食材との「対話」を楽しんでみませんか。

大石尚子さん
おおいし なおこ
兵庫県西宮市出身。大阪外国語大学イタリア語学科卒業、アパレル商社勤務、京都の染織工房を経て、イタリア・ミラノに渡りファッションコンサルタントの助手を経験。帰国後の2007年、同志社大大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コースに入学、11年同博士課程終了。2010年より龍谷大学 地域公共人材・政策開発リサーチセンター(LORC)にて活動。2015年より龍谷大学政策学部准教授、23年より現職
写真/ご本人提供 取材/益田美樹

(ますだ・みき)
ジャーナリスト。英国カーディフ大学大学院修士課程修了(ジャーナリズム・スタディーズ)。元読売新聞社会部記者。著書に『日本語教師になるには』『チャイルド・デス・レビュー: 子どもの命を守る「死亡検証」実現に挑む』(共著)など。調査報道グループ「フロントラインプレス」所属。
ジャーナリスト。英国カーディフ大学大学院修士課程修了(ジャーナリズム・スタディーズ)。元読売新聞社会部記者。著書に『日本語教師になるには』『チャイルド・デス・レビュー: 子どもの命を守る「死亡検証」実現に挑む』(共著)など。調査報道グループ「フロントラインプレス」所属。
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