心から「国」を守るというのであれば ―母と郷里と「ヨイトマケの唄」―
中森ゼミ・番外編
寄稿 アイドル文化研究者 中森明夫
労働という言葉が急速に色あせってしまった。そう考えることが増えました。額に汗して大地を耕し、文字通り「命がけ」で荒海に乗り出し魚影を追い、急峻(きゅうしゅん)にして奥深い山を切り拓(ひら)いて育てた木々の世話をする。そんな生業(なりわい)の風景は社会の後景に退き、モノもコトも商品として売られ・買われるのが当たり前となりました。その値札の向こうには、いまも労働の現場があるのはいうまでもありません。そこはだれかの郷里であり、私たちの「いのち」を支える「いのち」の生まれる場所でもあります。こうした「社会関係」が見えにくくなるなか、「国」を敬い愛せよと命じるような「法治」が急速に進められようとしています。そこで今回の中森ゼミは「推し活と政治」のスピンオフ(番外編)を企画してみました。
寄稿 アイドル文化研究者 中森明夫
労働という言葉が急速に色あせってしまった。そう考えることが増えました。額に汗して大地を耕し、文字通り「命がけ」で荒海に乗り出し魚影を追い、急峻(きゅうしゅん)にして奥深い山を切り拓(ひら)いて育てた木々の世話をする。そんな生業(なりわい)の風景は社会の後景に退き、モノもコトも商品として売られ・買われるのが当たり前となりました。その値札の向こうには、いまも労働の現場があるのはいうまでもありません。そこはだれかの郷里であり、私たちの「いのち」を支える「いのち」の生まれる場所でもあります。こうした「社会関係」が見えにくくなるなか、「国」を敬い愛せよと命じるような「法治」が急速に進められようとしています。そこで今回の中森ゼミは「推し活と政治」のスピンオフ(番外編)を企画してみました。

「国旗損壊罪」が与党・自民党の肝いりで成立しようとしている(2026年6月5日現在)。率直に言って、悲しくなる。こんな法律を制定しなければ日本に対する誇りが保てないのか、私たちの国はそこまで落ちぶれたのか、と痛感したからだ。ちなみに自国の国旗の損壊を罰する法律は、アメリカ、イギリス、カナダには存在しない。法律による強制ではなく、国旗や国歌、そもそも、この国に対する誇りを自然と醸成する努力を、私たち大人はどれほどしてきただろうか?
私は昭和30年代(1955~64)の半ばに生まれた。天皇陛下と同い年である。現在66歳、「前期高齢者」となった自身にとって国家とは何だったか、を考えてみたい。「国(くに)」という言葉を聞いて、即座に思い浮かぶのは、故郷の風景である。三重県の志摩半島の海辺の街。15歳まで私はそこですごした。中学校を卒業すると上京する。東京の私立高校へと進学したのだった。5歳上の大学生の兄と同居した。昭和50 (1975)年のことだ。親の目を離れ、すぐに学校へ行かなくなった。名画座をめぐって映画を見たり、ラジオの深夜放送を朝まで聴いたり、サブカルチャー(特定のグループに共有されている独自文化)雑誌を読み耽ったりしてすごした。結局、高校を中退している。両親は大いに嘆いたものだ。親不幸の次男坊だった。
ともあれ私は文筆家になった。筆一本でなんとかこの歳まで生きてきた。どうして、そんなことが可能だったのか? 実家には本などほとんど無かったし、作家や学者やジャーナリストになった親族も皆無である。う〜ん、不思議だ。振り返ってみれば、ああ、そうか、15歳で上京したからだな……ということに突き当たる。なるほど、そして、それを可能にしたのは、両親のおかげというほかない。

大正生まれの父、昭和ひとけた生まれの母、ともに尋常小学校卒で無学であった。酒屋を創業する。貧しい暮らしから、父と母は一緒にリヤカーを引っ張って回るような仕事をして生計を立てたという。昭和30年代以降の高度経済成長によって小さな漁村は観光地へと変貌した。街に旅館が何軒も建ち、そこへ大量の酒を下ろす仕事で我が家は発展した。正直、私は家業を恥じていた。学校で「や〜い、酒屋、酒呑み!」とからかわれるのも屈辱だったし、旅館へ酒を運ぶ手伝いをさせられるのも嫌だった。
当時の母の姿を思い出す。女だてらに軽トラックを運転し、荷台のビールケースを懸命に運んでいたのだった。私は、友達にそんな母の姿を見られるのが、たまらなく恥ずかしかった。<どうしてうちの母ちゃんはテレビのホームドラマに出てくるみたいな"上品なママ"じゃないんだろう? >とそんなふうに悩んでいた。
大人になって『ヨイトマケの唄』を聴いた。美輪明宏が歌う。♪父ちゃんのためなら、エンヤコーラー、母ちゃんのためなら、エンヤコーラー……♪ 肉体労働をしながら歌う母の唄である。子供の頃、「ヨイトマケの子供、きたない子供」といじめられた。そうして、汗だくで男に混じって働く母の姿を見る。母は死んだが、自分はグレもせず、立派な大人になった。今も聞こえる……「母ちゃんの唄は、世界一」。この歌を聴いて、私は泣いてしまった。我が母のことを思い出したのだ。母は十余年前に亡くなった。82歳だった。父は私が二十歳になる前に没している。一人身の母は、働き続けの生涯だった。夏の暑い日に、汗だくになってビールケースを運ぶ母の姿が脳裏に甦ってくる。幼い私は、そんな母を恥じていた……なんということだろう。目頭が熱くなる。
『ヨイトマケの唄』は 昭和40 (1965)年にリリースされ、ヒットした。しかし、歌詞の内容が不適切であるとして長らくテレビを通して流れることはなかったという。その後、桑田佳祐をはじめ、様々なシンガーによって歌われ、再注目される。平成24(2012)年のNHK『紅白歌合戦』では美輪明宏が『ヨイトマケの唄』を歌い、大きな反響を呼んだ。一度はおぞましいものとして禁じられ、忘れ去られ、そうして時を経て復活して、人々を感動させる。この歌の運命そのものが、私にとっては今は亡き我が母の存在とぴたりと重なる。

"ヨイトマケの心"というものがあるのだ。それこそが私にとっての祖国、誇るべき「ニッポン」である。汗だくになって働き、私を育ててくれた母。その時、汗を拭った母の汚れた手拭いこそ、私の仰ぐ国旗なのだ。かつてこの国には、我が母と同じような"ヨイトマケの心"を持つたくさんの人々がいた。そうした人々の流した汗と努力によって、今、私たちは存在する。少なくとも私は、そう思う。我が母を誇りに思い、そんな母や父の創った……この国(くに)を抱きしめたいと思う。それは法律によって規制された国旗や、政治家たちが線を引く国境に縛られない。いかなる民族、いかなる土地の人々とも連帯を可能にする"精神の王国"なのだ。今、耳を澄ませば……『ヨイトマケの唄』が聞こえる。私たちが忘れ去った心、私たちが見失った希望を、甦らせる時が来たようだ。
イラスト 堀込和佳

なかもり・あきお
作家・アイドル評論家。三重県生まれ。さまざまなメディアに執筆、出演。「おたく」という語の生みの親。『東京トンガリキッズ』『アイドルにっぽん』『午前32時の能年玲奈』『寂しさの力』『青い秋』など著書多数。小説『アナーキー・イン・ザ・JP』で三島由紀夫賞候補。近著に『推す力 人生をかけたアイドル論』(集英社新書)がある。
付記
美輪明宏さん(91)のご逝去が2026年6月28日に報じ乗られました。二度ほどお目にかかる機会を頂戴し、故郷の長崎での被爆体験に少数者への世間の「偏見と差別」、「愛と平和」への強い思いを語っていただく機会を得ました。2015年の安保法制をめぐっては「いつの時代も戦争で儲けるのは武器商人、死の商人。そんな者たちが平和憲法を捨てたがる」と毅然とした態度で改憲反対を説かれたのを覚えています。またぞろ世間に改憲の声の高まるなか、誠に大切な存在が世を去られました。残念のひと言です。心よりご冥福を祈念いたします。
作家・アイドル評論家。三重県生まれ。さまざまなメディアに執筆、出演。「おたく」という語の生みの親。『東京トンガリキッズ』『アイドルにっぽん』『午前32時の能年玲奈』『寂しさの力』『青い秋』など著書多数。小説『アナーキー・イン・ザ・JP』で三島由紀夫賞候補。近著に『推す力 人生をかけたアイドル論』(集英社新書)がある。
付記
美輪明宏さん(91)のご逝去が2026年6月28日に報じ乗られました。二度ほどお目にかかる機会を頂戴し、故郷の長崎での被爆体験に少数者への世間の「偏見と差別」、「愛と平和」への強い思いを語っていただく機会を得ました。2015年の安保法制をめぐっては「いつの時代も戦争で儲けるのは武器商人、死の商人。そんな者たちが平和憲法を捨てたがる」と毅然とした態度で改憲反対を説かれたのを覚えています。またぞろ世間に改憲の声の高まるなか、誠に大切な存在が世を去られました。残念のひと言です。心よりご冥福を祈念いたします。
編集担当 山田衛
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