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自力更生の精神でカキ養殖を再開【宮城県漁業協同組合連合会唐桑支所】

東日本大震災で壊滅的打撃を被った三陸産のカキ養殖。
それでも震災直後から震災直後から「自力更生」を旗印に立ち上がった漁業者たちがいる。

出荷に至るまでの試練

畠山政則さん東日本大震災の記憶がまだ生々しい2012年12月7日、東日本一帯でマグニチュード7.4の地震が発生した。岩手県との県境に位置する宮城県北部の唐桑半島の震度は5弱。その時、唐桑支所運営委員会委員長の畠山政則さんは自宅で風呂につかっていた。
「3・11と規模が違うけれど、養殖施設がどうなっているのかが不安でした。『海岸には近寄るな』という放送がありましたが、懐中電灯で潮位の変化を見つめていました。夜が明けるのが待ち遠しかったですね」

唐桑のカキ養殖施設の多くは、長いロープにカキをつるし、赤い浮きのようなたるで浮かせて育てるはえ縄方式を採用している。ところが、カキが成長してくると、その重さで施設全体が沈み込む。このとき、小さな津波でも強い潮の流れが起きると、施設全体が引っ張られ、たるが海面下に沈んでつぶれてしまう。結果、カキも海底に沈んでしまうのである。畠山さんが口にした「不安」とはこのことを指している。

実は、唐桑半島の養殖施設は10年にはチリ沖地震の津波、11年には東日本大震災の津波で大打撃を被っている。さらに12年も、という事態になれば、もはや立ち上がれないという局面に立たされる。ゆえに、畠山さんと同じような不安を覚えた養殖漁業者が圧倒的に多かった。
「幸い、施設は大丈夫だったので一安心です」
とはいえ課題は多い。宮城県のなかでカキ養殖をいの一番に再開させた唐桑だが、殼から取り出し「むき身」にする処理場の再建が途上にあるなど、唐桑の養殖漁業者たちはいまなお、厳しい現実の前に立たされている。

今一度、海に生きる道を

内湾に沈む夕日。唐桑半島の対岸の気仙沼大島もカキ養殖が盛んだったが、養殖施設の数はまだ少ない東日本大震災の大津波による唐桑半島の被害は甚大で、養殖いかだもほとんどが流出。震災直後には、チリ沖地震の津波被害に続く壊滅的な打撃を前に、「どうしようもない」と地域全体に諦めにも似た雰囲気が漂った。
そんなとき、畠山さんを訪ねてきたのが、カキを納入していた取引先の社長だった。見舞いをかねての訪問だったが、社長は畠山さんにこう迫った。

「カキ養殖をあきらめてほしくない。カキの一口オーナー制度を立ち上げたいので、養殖を再開してほしい」。しかし、被災後わずか2週間後のこと。畠山さんの自宅は津波の被害からかろうじて免れたものの、同業者の多くは避難所生活を強いられていた。「みんなボーッとした表情でひげがぼうぼう。『海を見たくないし、船にも乗りたくない』と言っている」。そうした声が畠山さんのもとに届いていた。

「実際に避難所を訪れるとその話の通りでした。ですから、一口オーナーの申し出にどう応えるか迷いました。でも、私たちのことを思ってくれている人たちのためにもと考え、『やります』と返事したのです」
被災から1カ月もたたない4月上旬、漁業者を集めて海に沈んでいるがれきの撤去や小型船の回収などを畠山さんは提案。しかし、避難所生活をしている人々の反応は鈍かった。それでも「漁師は海に出ないと何にもならない。その海に漁具が沈んでいてあちこちに迷惑をかけている」と声をかけ、応じた漁業者と撤去作業を続けたという。

この作業が一段落するころ、誰からともなく「そろそろ海へ」という会話が交わされるようになっていた。
4月末、唐桑の養殖関係者すべてを集めて全体会議を開き、再開に向けて進むことを委員長として提案した。だが、これにも「家も家族も失った人がいるなかで、再開はないだろう」など、反発の声があがった。
提案の真意を畠山さんはこう吐露する。「サラリーマンと違い、漁業者は海からの水揚げがないと収入に結びつきません。これを何とかして実現させたかった」
その思いは通じた。提案は受け入れられ、養殖施設に必要な資材や種ガキの確保などに養殖関係者らは一丸となって奔走。そのかいあって、宮城県内の先陣を切って11年6月から、カキの種の仕込みが始まった。

復興のけん引役に

成育の最終段階、カキは籠で育てられるがその前に殻が整えられる(写真左上)、震災を生き抜いたカキ。唐桑の養殖いかだのほとんどが壊滅したなか、畠山政則さんの2台が奇跡的に残った11年から12年にかけてのシーズンには、生産量を震災前の70~80%まで回復させる計画で臨んだカキ養殖の再開だった。だが、被災したカキむき処理場の再建はなかなか進まない。

ムール貝が付着したカキと温湯処理してそれを取り除いたカキ。カキの成長を促すために雑貝の温湯処理(65度で30秒ほど)は、真夏に陸上で行うのが通例だ唐桑半島で震災前に5ヵ所あった処理場のうち、現在機能しているのは個人所有の2ヵ所のみ。残りは公設だが、1ヵ所は再建を断念、2ヵ所は統合して建設する計画になっている。とはいえ、建設資材の確保が難しいなどの事情から、まだ完成していない。このため唐桑のカキは、現在は殼付きでの出荷を余儀なくされている。

公設の処理場の稼動は13年2月の見込みだが、それでは出荷時期が終わりかけたころになってしまう。それでも畠山さんは「課題はありますが、新たな唐桑ブランドを立ち上げたい」と意欲を見せる。そして、復興に向けた1年9ヵ月の道のりをこう振り返る。
「宮城県には漁連の支所は33ありますが、唐桑は自力更生の精神でやり遂げようと立ち上がり、また多くの支援もあって養殖を再開させることができました.ならば、復興のけん引役を果たそう、そう考えながら取り組んでいます」
 反発の声があった再開の提案とか、若い漁業者から「あの段階で再開を言ってもらわなければ、内陸で仕事を探していた」と言葉をかけられたという畠山さん。その若者たちを含め、カキ養殖業者が一体とならなけれぱ進められない唐桑ブランド実現のため、東奔西走の日々が続く。


唐桑と生活クラブの縁

水揚げ直後の焼きがき、「今年は夏場に海水温か高かったので成長はいまひとつ」と、複数の漁業者が指摘している生がきの主産地が津波で受けた被害

宮城県漁業協同組合唐桑支所は、生活クラブのカキの提携生産者である(株)丸壽(まるじゅ)阿部商店の原料の主産地。
宮城県漁協の組合員数は約1万人。このうち唐桑支所には10分の1にあたる1100人がいる。カキ、ホタテ、ワカメの養殖が盛んな地域だ。養殖に携わっているのは70人ほどで、年間販売額はカキ、ホタテ、ワカメなどを主体に約10億円あったが、震災後は1億円に減少した。「かき部会」は「16~17人ほど」(唐桑支所運営委員会委員長の畠山政則さん)だという。

震災に伴う津波は高さ13メートルに達し、唐桑半島の海岸部にある集落の大半が波にのまれ、家屋流出など被災した世帯は572戸に及んだ。震災が昼間だったこともあり、大型船舶の8割は沖合いに避難した。「地域では、“津波があったらまず命、その次に船を守れ”と語り継がれているので、それが生きていたのだと思います」(畠山さん)。ただ、約900隻あった小型船舶は20%ほどしか残らなかった。 2011年4月から始めた海底のがれき処理などにかかった期間は3週間に及び、この間、約50隻の小型船舶を回収した。

畠山政則さんの自宅前に立てられたのぼり生活クラブが唐桑支所ヘカンパ

唐桑支所では流出したカキむき処理場の再建が進まず、今シーズンに入ってもむき身の生産ができていない。唐桑はカキ相場の良い年内に生産量の80%を出荷する産地。出荷の遅れは収入減に直結し、冬場はしけによる収穫量の低下も懸念される。
流出した施設は12年度に着工すれば、その費用の5分の4が国の補助対象となるが、建築資材や職人不足で工事は明らかに遅れている。また、補助対象にならない漁具や種ガキの購入資金が不足しているほか、がれき処理などの自治体による緊急雇用対策が終わったため、生活資金も不足している。
こうした事態を受け、生活クラブの復興支援委員会は12年11月、唐桑支所「かき部会」への支援を確認、連合理事会で今後の進め方などについて以下の点を報告・確認した。

・カンパ金の支払い先については、協同組合間提携を基本に宮城県漁連と全国団体である全国漁業協同組合連合会と調整し、唐桑支所に直接贈呈する方向。
・支援先:宮城県漁連唐桑支所
・支援金額:300万円
・支援内容:漁業資材、種ガキなどの購入費用
※支援先より調達物資の明細と会計報告を得る。
・宮城県産カキについては、復興支援を視点とした共同購入企画などについて、引き続き丸壽阿部商店と連携して検討を進めます。

 

『生活と自治』2013年2月号の記事を転載しました。

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