【大震災から2年】vol.1 重茂漁協「復興元年をめざして」
東日本大震災では、生活クラブの組合員や提携生産者も被害を受けました。生活クラブではグループ全体で支援活動にあたるとともに、第1次・第2次カンパに取組みました。あれから2年。現在の生産者や組合員の状況、これからの支援活動などを5回連載で紹介します。1回目は「肉厚わかめ」などの提携生産者である重茂漁業協同組合(岩手県)の現状を、伊藤隆一組合長と女性部の盛合敏子部長のビデオメッセージとともにお伝えします。(2013年2月25日掲載)
もっと早く復旧させたかった
「千年に一度」と言われる大津波に襲われた東日本の太平洋沿岸。本州の最東端に位置する岩手県宮古市の重茂半島も大きな打撃を被りました。
重茂漁協では、東日本大震災が起きた当日に独自の対策本部を立ち上げ、「漁業からの離脱者を出さないために1日も早く漁を再開する」ことを決め、再建のための2ヵ年計画を立てました。伊藤隆一組合長は現状をこう説明します。
「漁協の組合員から要望がある船の数は700隻ですが、現状は600隻。もっと早く復旧させるつもりでしたが、3月に最盛期をむかえるわかめの本収穫には多少、支障が生じるかもしれません。養殖施設は大津波で壊滅状態でした。が、現在は震災前と比べて施設数は7割程度が復旧し、収穫量は80%程度にまで回復するのではないかと見込んでいます」
実際、被災直後に瓦礫や小船が打ち上げられていた港ではその撤去が済み、津波により跡形もなく破壊されてしまった加工施設のいくつかは再建されました。沖合いの養殖施設も整備が進み、「春一番」の名称で流通している早採りわかめを収穫するために早朝から多くの船が出漁しています。
ただ、わかめの芽が出る昨年秋には海水温が高い状態が続き、その影響でわかめの成長は2週間ほど遅れ気味といいます。また、漁協の力がではどうすることもできないインフラなどの整備は必ずしも順調とはいえません。宮古市中心部から重茂までは車で40分ほどですが、海岸に沿って走る県道は車が通れるものの路肩の修復はほとんど進んでいません。漁港の整備も遅れています。
「建設業者の人手やコンクリート原料が不足しているので計画から半年遅れの状態です。また、関連施設をつくりたくとも設計士が足りない。ですから漁協組合員には、『国はすでに復興元年と言っているが、重茂は2014年を『復興元年』とすることをめざして頑張ろう。だから協力を!』と言っています」(伊藤組合長)
協同の力で苦難を乗り越える
重茂漁協では震災前は814隻あった小型船が津波で800隻流出するなど、漁業の生産基盤をほとんど失うなか、重茂漁協は一日も早く漁を再開することを旗印にさまざまな対策を講じてきました。その第一歩が漁協資金で中古船などを購入すること。さらに、それを組合員が交代で共同利用し、収益は公平に分けることなどを決めました。「みんなで助け合わないと、この苦難は乗り切れない」と協同の力を具体的に示したのです。「道路や漁港の復旧は私たちの手ではできませんが、自分たちにできることはあるはずです。被災直後の3月中には必要な数の船と養殖用のロープの仮発注を済ませました」と、伊藤組合長は振り返ります。
そして、大震災から1ヵ月も経たない2011年4月9日に緊急の組合員全員協議会を開き、伊藤組合長らが漁船や養殖施設の共同利用案や再建方針を説明しました。協議会には約400人が参加しましたが、組合員ではない人の姿もありました。
重茂漁協女性部の盛合敏子さんは、「組合員ではなくても家族の参加を認めたことは嬉しかったし、協議会を通して大勢が今後の方向性を知ることができました」として、こう続けます。「家屋を流された人は本当に気の毒でしたが、家が残った人も船もないしこれからどう生活していいのか分からない。みんなが目標を失っているなかで、協同して復旧することを打ち出したことが前に進む力になりました」
生活クラブの存在は復旧へのチカラ
盛合さんが、重茂漁協が復旧に進むための基礎、力になったとしてもう一つ挙げたのは、生活クラブの存在でした。
生活クラブは被災直後から地域への物資支援などを続けました。また、生活クラブ組合員からのカンパ金の一部を漁船の購入資金として贈呈。もちろん、その間にも「共同購入による力」を遺憾なく発揮してきたことは言うまでもありません。
また、重茂でイベントを開いたこともありました。盛合さんに忘れられない記憶として残っているのは、2011年7月30日に漁協前の駐車場で開かれた「大バーベキュー大会」でした。
生活クラブ岩手の熊谷由紀子理事長(当時)が実行委員長を務めたイベントは、生活クラブの組合員や職員、生活クラブ親生会メンバーが調理部隊や進行を担当し、重茂の人たちに大いに食べ、飲み、楽しんでもらうために企画されました。当日は地元の3分の1に当たる700人余りが参加。
「みんな心がはじけたようでした。特に子どもたちの笑顔が忘れられません。その笑顔を見た父親たちが、『子どもたちのためにも頑張らなければ』と心に決めたはずです」(盛合さん)
伊藤組合長も、生活クラブとの長い提携関係やこの2年間の結びつきを振り返りながら次のように話します。
「生活クラブには物心両面にわたって支えていただき、また、その存在は心の拠りどころでもありました。だからこそ、安心して漁業再開に向けて歩みを進めることができたのです」
東日本大震災の復興支援は、まだまだ必要です
生活クラブでは2013年度以降も、息の長い復興支援に取り組んでいく必要があることから、組合員のみなさんに「復興第3次カンパ」を呼びかけます。具体的な方法については、各単協のニュースなどをご覧ください。引き続き、ご協力をお願いします。