提携強化が復興のチカラに─重茂漁協と初の産地交流会
東日本大震災で甚大な被害を受けた重茂(おもえ)漁業協同組合(岩手県宮古市)。生活クラブは組合員からのカンパをもとに定置網船を3隻寄贈する一方、重茂漁協は今年を「復興元年」と位置づけて復旧に取組んできました。これからは支援する・されるの関係ではなく提携を深めていこうと、9月に連合消費委員ら10人が訪れて産地交流会を実施しました。(2014年10月20日掲載)
揺れる小舟に乗り「肉厚わかめ」を視察
重茂漁協は三陸リアス海岸でもっとも東に突き出した半島にあり、東京から新幹線と車を乗り継いで約5時間かかります。大阪からの参加者も含めようやく着いた組合員を、重茂漁協の伊藤隆一組合長らは温かく出迎えてくれました。さっそく行なわれた懇談会では「東日本大震災の際は、生活クラブのみなさんは行政よりも早く支援の手を差し伸べてくれました。あらためてお礼申し上げます」と伊藤組合長が謝辞を述べられるとともに、「おかげさまで漁協がやるべきことは、ほぼ終えることができました」と震災からの復旧状況を報告されました。それに対し生活クラブ連合会の渡部孝之常務理事は「若い組合員への食べ方の提案を通じて重茂産の消費材の利用を高めていきたい」と応えました。
生活クラブと重茂漁協の提携の歴史は古く、「肉厚わかめ」の取組みは1976年にさかのぼります。今回の産地交流会では、そのわかめの養殖から加工までの様子を視察しました。
参加者はサッパ船と呼ばれる小舟に乗り、沖合の養殖場に向かいました。生産者は「めずらしくベタ凪だった」と言いますが、小船は縦に横に大きく揺れます。そんななかで養殖用のロープに植えつけられたわかめを見ました。
「波が非常に高いので養殖ロープを深く沈める必要があり、波の穏やかな内湾での養殖とは難しさが違うことも理解できました。収穫は小型クレーンを使ってロープを一気に船に引き上げる作業で、極寒の中ということもあり重労働です」と、菊一敦子さんは感想を述べます。重茂の沖合は暖流と寒流が交わるため波が荒いのですが、波にもまれる分、歯応えのあるわかめがとれることで知られています。加工場では、湯通し塩蔵されたわかめの芯取りを体験。芯とは茎わかめのことで、葉の部分と分ける作業はむずかしく途中で切れてしまいます。「肉厚わかめ」は、熟練した技術の賜物だったことを知りました。
私たちが食べ続けたいからこその提携強化
参加者は寄贈した定置網船が活躍する漁を乗船して見学するとともに、震災後に再建された昆布やあわびの種苗センターを視察しました。重茂漁協は1960年代から“獲る漁業”から“つくり育てる漁業”に力を入れることで、天然資源を守るとともに漁家の経営安定を図ってきました。とくに昆布はわかめと養殖施設を共用できる作物で、重茂漁協の生産者のほとんどはわかめとともに栽培し、生産から加工までの一貫体制を整えています。
しかし、重茂漁協の後川良二さんは「成長したわかめや昆布の収穫は、高齢の漁家にとってはきつい作業です。ベテランも漁を続けられるよう新しい製品の開発が課題です」と話します。
そこで、交流会では開発中の製品の試食や利用のしかたなどの意見交換を行ないました。震災時から重茂に赴き支援活動を続けてきた生活クラブ岩手の菊池美由紀さんは、「船をおくって支援が終わりというのではなく、重茂のものをたべることこそ復興につながるということ。そしてもはや支援ではなく、私たち自身が重茂の肉厚わかめなど海の幸を将来にわたって食べ続けたいからこそ、今後も提携を強めていきたい」と話します。
生活クラブでは消費材の利用を通じて多くの漁家の生産の継続や、若い漁業者の育成、そして重茂の復興につなげていきたいと考えています。