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【特別編】いま被災地の生産者は 重茂漁協/(株)丸壽阿部商店/(株)高橋徳治商店

東日本大震災から4年、復旧から復興への道を歩み続ける3生産者(重茂漁業協同組合、(株)丸壽阿部商店、(株)高橋徳治商店)のいまを追った。

◆重茂漁業協同組合  ◆(株)丸壽阿部商店  ◆(株)高橋徳治商店
 

船と漁業関連施設は9割復旧 着実に「復興」目指す

重茂漁業協同組合

定置網とアワビ漁が堅調

重茂漁協業務部次長の後川良二さん 岩手県宮古市の重茂(おもえ)港へと続く一本道の両脇には、いまもさら地が広がっている。大津波に奪われた暮らしの跡だ。その切なさをかみしめながら、明日に向かって立ち上がろうとする人たちの願いが、一つまた一つと形になっていく。
 震災から4年、重茂地区にはサケのふ化場とアワビ、コンブの種苗センターが再建され、すでに稼働を始めている。
 「おかげさまで船舶、養殖関連施設、加工施設の9割以上が復旧し、残った課題は港の防波堤工事だけです。これさえ完了すれば、ほぼ全面復旧といえる段階まで来ました」
 満面の笑みを浮かべて話すのは、重茂漁協業務部次長の後川良二さん。今年は定置網漁も順調で、「震災前を超える収益を得ました。生活クラブのみなさんがカンパ金で寄贈してくれた定置網船が大活躍です」
 資源状況が不安視された昨年末のアワビ漁も35トンの水揚げがあり、10キロ当たり8万8千円で取引された。「漁獲量は2トンほど前年を下回り、被災前の7割水準といったところですが、まずまずの値が付きました。組合員の暮らしを支える大きな力になったと思います」と言う。

「春いちばん」で漁業者を

 今年も1月15日から早採りワカメ「春いちばん」の出荷が始まった。本格的な養殖ワカメ漁は3月からだが、重茂漁協では毎年1月から2月にかけて新芽の春いちばんを収穫、しゃぶしゃぶ用ワカメとして販売してきた。その鮮やかな緑色と柔らかな目当たりが評判を呼び、首都圏や関西圏の消費者に根強い人気を得ている。
 生活クラブ連合会も昨年から共同購入しているが、「春いちばんの漁は高齢化した漁業者の貴重な収入源になっており、震災後の漁業離れを防ぐ役割を果たしています」と後川さん。重茂漁協の組合員数(養殖漁業者)は128世帯、うち17%に当たる22世帯が65歳以上で、ほとんどは後継者がなく、身体的に無理があるなどの理由から漁業を続けるか否かと悩みを抱える人も少なくない。
 ワカメやコンブの養殖施設が外海にある重茂では、荒波にもまれる操業を余儀なくされ、「新規就業者を迎えたとしても、波に慣れ、船酔いをしなくなるまでに早くて5年、大方の人は10年以上かかるでしょう。つまり漁業者は急に養成できないわけです。ですから、少しでも長く現役でいてくれる人の数を維持していかなければなりません」
 3メートルを超える長さの養殖ワカメを船上に引き上げるには、何人かの労力が必要になる。しかし、長さ60センチほどの春いちばんなら1人でも漁が可能、ボイル・塩蔵の手間もいらない「生」の状態で出荷できる。これなら老夫婦ふたりでも対応でき、漁協も通常のワカメより高い値段で引き取っている。ただし、出漁は午前3時ごろ。作業用のゴム手袋がすぐに凍り付くような寒さとの闘いだ。
 「それでも漁に出る人の数が着実に増えています。そこで当漁協では集荷した春いちばんを塩蔵、サラダ感覚で食べやすいサイズに加工した『プレミアム春いちばん』を開発しました。これを復興サバ缶に次ぐ、重茂復興のシンボル製品にしたいと思っています」と後川さんは抱負を語る。

次世代に漁業資源を残す

サケのふ化場も再建され、卵からかえったばかりの稚魚や成長した稚魚の姿があった 復興サバ缶は生活クラブの組合員が寄贈した3隻の定置網船が漁獲したサバを原料に、岩手缶詰(本社・岩手県釜石市)の宮古工場が製造。被災した生産者同士が協力して復興を目指そうという取り組みだ。プレミアム春いちばんは販売開始直後に「檀家さんに配る目的で、福井県にある由緒ある寺がまとめて購入してくれました。静岡のブランド茶とセットにして配るそうです」と言う。
 案内されたサケのふ化場には卵からかえったばかりの稚魚をはじめ、体長6~7センチまで成長した稚魚の姿があった。震災後、多くの漁協が放流事業の継続を断念するなか、重茂漁協はためらわず再開を選んだ。「戻ってくるのは4年後。しかも放流数の3%がせいぜいだろうと言われています。そんなものに期待できるか、将来を考えている余裕はないという漁協が多いなか、重茂漁協は子どもや孫たちに海の恵みを残す決意をしました」
 アワビの種苗センターは震災前の1.5倍の規模で再建された。今年6月以降に放流が予定されている150万個の稚貝が5センチほどの大きさに育っていた。放流してから漁獲できるサイズに成長するまでに4年以上かかる。しかも漁業者のもとに戻ってくる確率はサケ同様に低いが、「とにかく次世代に暮らしの糧を残したいとの一心で重茂漁協は種苗事業の拡大に挑戦しています」(後川さん)
 朗報続きの重茂漁協だが、津波の影響で海中の地形に変化が生じ、魚の回遊ルートや資源分布に何らかの影響が出ている可能性は否定できない。がれきの撤去など復興支援のための雇用対策事業をしながら漁業を続ける組合員が漁師をやめていく恐れもある。
 「今後は目に見えない震災の後遺症と向き合うことになるでしょう。それでも再起に向けての準備はほぼ整いました。これからも着実に歩みを進めていきます。ここまで来られたのは生活クラブのみなさんの温かい支援のおかげです」と、同漁協組合長の伊藤隆一さんは復興に向かう決意を新たにしている。


工場の稼働率は震災前の6割程度 戻りつつある浜の活気を励みに

(株)丸壽阿部商店

 あいにくの曇天、いまにも雪が降ってきそうな空を映した海面は鉛色に染まっていた。それでも心が和むのは、ここ宮城県南三陸町の志津川湾に数多くの養殖いかだが戻ってきたからだろう。
 しかし、「まだまだ震災前の3割程度の水準です」と阿部寿一さん。生活クラブと宮城県産カキの共同購入を通した提携関係にある丸壽阿部商店の専務だ。
 南三陸町に加工場がある同社では志津川湾や唐桑半島などの漁業者が養殖し、むき身にしたカキを仕入れ、洗浄後パック詰めして出荷している。
 「身の引き締まり具合や食感、味の深さでも宮城県産カキの評価は高く、震災前から広島県とともに日本のカキ生産を支えています」と阿部さん。そんな宮城のカキ養殖は4年前の東日本大震災による大津波で壊滅的な被害を受けた。
 南三陸町も町全体が流出、阿部さんも自宅を失ったが、高台にあった加工場は幸い無事だった。
「事業を再開するにしても肝心のカキがありません。しかも金融機関から8000万円ほどの借り入れもあり、社長である父は廃業を覚悟したようでした。そんな姿を見ていたら、やめようとは言い出せなくて……」

復旧めぐり、分かれる明暗

カキの殼むき場にも笑顔が戻りつつある 阿部さんは従業員14人の雇用を全員継続して事業を再開。養殖ワカメの加工出荷から再出発し、震災の翌年には広島産カキ、2013年からは地元・宮城の三陸産カキを出荷できるようになった。加工場の稼働率はいまも震災前の6割程度というが、「自分のことより、かつての活気を取り戻しつつある浜の姿を目にするようになったのが何よりうれしく、励みにもなります。ちょっと行ってみましょうか」
 案内されたのは志津川湾の一角にある宮城県漁協の戸倉支所。津波で組合員の9割が船を失い、8割の組合員の自宅が全半壊する被害に遭った。「ここの漁業者は個的な復旧、復興ではなくて、皆でがんばる、地域全体で立ち上がるという道を選び、国の助成制度を使った養殖漁業の再建に踏み出しました」と阿部さん。
 戸倉支所の漁協組合員が選択したのは、水産庁の「がんばる養駒復興支援事業」の活用だった。これにより13年には漁協による養殖施設の再建や船の調達が迅速に進み、昨年からは震災前とほぼ同水準の事業が行われている。水揚げの収益は漁協がプールし、漁業者に賃金として分配する。船や養殖施設は共同保有だ。
 港に新設されたカキむき場で働く人たちの表情は明るく、だれに聞いても「自分たちには海しかない、海での暮らしを奪われたら、何をして生きてゆけばいいのかわかりません。浜が元気になって本当に良かったです」と力強い言葉が返ってきた。
 その様子を笑顔で見つめていた阿部さんがつぶやく。「だれもが戸倉の漁師のようになれるわけではなく、そこに被災地の厳しさがあると痛感しています」
 問題は地域における被災格差にあるという。家屋も船も失った者もいれば、いずれかが残った者もいる。なかには、まったく被害のなかった者もいる。
 「1人の100歩ではなく、100人の1歩でいい、自分よりつらい目に遭った人の境遇を優先して物事を決めようとはなかなか思えません。そこが人間の難しさかもしれません」と阿部さんの表情が曇る。船が残り、家屋も無事だった地域では漁業者間の意思一致がままならず、養殖再開が遅れ気味な傾向にあるという。

地元の暮らしの尊さを

むき身にしたカキの入札 震災後、高齢化し後継者がいない漁業者が廃業していくのは残念ながら止められないが、皮肉なことに、その分だけ漁場が空き、海中のプランクトンも豊富になって養殖には好条件が整う。結果として経営面積も拡大でき、「漁師にとって絶好のチャンスだと思うの
ですが、戸倉支所のように漁業再開に踏み出せない集落が多いのが実に悩ましいです」と言う。
 豊富な海の滋養分を吸収して育った三陸産カキの味は絶品で、その品質の高さをアピールする機会が到来したと考える志津川の漁師の勧めもあって、阿部さんは自ら養殖に乗り出した。「海中の栄養分が多い分、これまで2年はかかるとされた養殖期間が短縮できています。それでも十分に生育した、おいしい三陸のカキを多くの人に届けたいと考えました」
 もう一つの悩みが加工場の労働力不足だ。震災により家屋を失い、「被災者認定」されると政府の雇用促進復興助成金が支給され、復興関連認定事業に就けば、震災前の地域の平均賃金を6、7万円ほど上回る収入が得られる。このため、なかなか人が採用できず、今後、カキの水揚げ量が増えても、加工場の稼働率を上げるのが難しい状況にあるという。
 「なかなか解決できない問題も多々あります。ですが、あの震災で学んだのは、漁業者とともにある地元の暮らしの尊さです。この思いを忘れることなく、一歩ずつ着実に前進していけたらと考えています」と阿部さんは話す。


生きてある幸せが原点 人材育て、価値ある「食」を

(株)高橋徳治商店

工場地に新たな記念碑

東松高市の新工場 宮城県東松島市の小高い丘に造成された工業団地。2013年7月、その一角に高橋徳治商店の本社新工場が完成した。東日本大震災発生から2年4ヵ月後の本格的な事業再開について、社長の高橋英雄さんは「生活クラブ岩手をはじめ、多くのみなさんの支援のたまものです」と語る。
 新工場の落成式で披露された正面玄関脇の記念碑には、被災直後から支援に駆けつけてくれた延べ1500人の名が刻まれている。
 高橋さんは式典で「今後は私たち自身が地域を照らす光になるよう努力していきます」とあいさつ、新たな一歩を踏み出した。
 あれから1年半、同社工場の敷地には新たに4つの記念碑が建てられた。一つは地元生協から寄贈された発電用の風車。ベージュ色の支柱には赤い波形と「津波到達点6.9m 本社、自宅、川口冷凍工場」の文字、さらに高い位置にも赤い波形が描かれ、「津波到達点10m 魚町第二工場」とある。3階建ての建物を超える津波の高さに、今更ながら圧倒された。
 風車の傍らには「高橋徳治商店」の表札が付けられた1本の門柱。1962(昭和37)年に稼働し、震災の翌年に解体された同県石巻市の旧冷凍工場から移設した。隣にはピラミッド型の展示ケースが設置され、一輪車やスコップ、発電機など復旧作業に使った道具類が収納されている。鉄骨を組み合わせ「人」という文字を表現した大小のオブジェもある。
 「津波でやられた工場の柱を使った地元の芸術家の作品です。大人と子どもたちがともに支え合って生きる社会、それが復興を進める力になるという願いが込められています」と高橋さん。これら三つの記念碑は福祉クラブ生協(横浜市)からの寄付金をもとに制作され、「人に支えられて生きている、現在があるという原点を社員ともども忘れないと誓いを新たにする場です」と話す 

支援の連鎖と厳しい現実

新工場にひまわりを植えに来てくれた福島の子どもの描いた絵を使ったパッケージも 大津波に工場も自宅も奪われ、総額23億円もの被害を受けながら、震災から7ヵ月後には石巻市の旧工場で「おとうふ揚げ」の製造を始めることができた。背中を押してくれたのは、大型ダンプカー72台分ものヘドロやがれきの撤去に無償で尽力してくれた人たちだった。大地を守る会と生活クラブ連合会、パルシステム事業連合は規格統一による製品の共有を図り、おとうふ揚げを3者で共同購入する道を開いた。その原料供給を支えたのが同県。一関市で豆腐を生産する「だいず工房」、岩手南農協(現・いわて平泉農協)と生活クラブ岩手の共同出資で設立した事業体だ。
 「JAとだいず工房が福島第一原発事故の影響がない大豆を調達してくれたのです。工房で使う水の放射能検査も欠かさず、基準値以下であるのを確認してから使用してくれていると聞き、頭が下がる思いでした。さらに北海道稚内市の同業者が『カンパ代わりだ』と高品質なスケソウダラのすり身を低価格で手配してくれたのも本当にありかたかったです」と高橋さんは当時を思い起こす。
 おとうふ揚げ1品目の製造を続けながら東松島市に用地を取得、新工場を建設するまでの道のりは厳しかった。とりわけ苫労したのが資金調達。国からの助成金は10億円と決まり、「これで建設費の75%は賄えると思っていたら、資材などの高騰を理由に見積もりの取り直しを迫られ、最終的に50%が自己負担。金融機関から借り入れなければなりませんでした」
 完成した新工場は笹かまぼこ・ちくわ用、すり身用、蒸しもの用、揚げもの用など七つの製造ラインを備える。震災前と同じ水準の事業高を確保するには、毎日3~5ラインを稼働させたいところだが、現在は2ラインが精いっぱい。新工場の稼働まで待てない事情を抱える取引先の多くが他社製品の導入を進め、販路回復が困難な状況にあるという。

カネでは買えない価値を

 被災したベテラン社員が退職し、人材育成も急務となった。現在、製造ラインは、20代前半の若手社員が中心となって担当している。
 「この900日間、彼らと毎朝欠かさず『改善』ミーティングを続け、製造上の課題を徹底的に検討してきました。それを今後も継続し、震災前よりはるかにグレードが上がった、おいしくなったと人の魂を揺さぶるような製品を育てていきたいと思っています」と高橋さん。
 今後も選び抜いた素材をふんだんに使い、38年続けてきた無添加の練り製品づくりという原則を貫きながら、「社員にはカネでは買えない価値を感じてもらえる、思いやりにあふれた『食』の担い手としての人間性と技能を磨いていってほしい」と語る。
 石巻漁港の水揚げ量は震災前の7割まで回復し、放射性セシウムの値が1キロ当たり1ベクレル以上のゴチやオキギスが手に入るようになった。しかし、石巻市の水産加工業の復旧率はいまも23%にとどまる。高橋さんは言う。
 「これでは心に届くくわけがねぇと製造スタッフを一喝する毎日です。その度にラインを止めては数時間、あるいは半日かけて課題を検討しあう彼らは確実に成長しています。被災した者にしかわからない苦しみを力に変え、誇りある仕事をしていこうとする彼らの笑顔が地域を照らす光、希望になっていくと私は信じています」


『生活と自治』2015年3月号の記事を転載しました。

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