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生協の食材宅配【生活クラブ】
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地域で、みんなで生きていく

目の前には宇和海が広がり、背後に急斜面のミカン畑がある愛媛県西予市。1970年代からかんきつ類の有機栽培を行ってきた生活クラブの提携生産者、西日本ファーマーズユニオンの無茶々園は今、地域づくりの新たな挑戦を始めている。
 

百まで笑って一番輝く

▲施設長の清家真知子さん「『俺らミカン農家なのに、なんで借金までして福祉施設つくらなあかんのや』という声もあって、最初は大変でした」
老人ホーム併設県のデイサービスセンター「めぐみの里」の施設長、清家真知子さんは苦笑する。同施設は2014年2月に愛媛県西予市に開所した。運営するのは地城協同組合「無茶々園」のグルーブ会社「百笑一輝」だ。
▲無茶々圃代表取締役の大津清次さん
「インパクトのある名前じゃないと」と名付け親で同社取締役、無茶々園代表取締役でもある大津清次さんは言う。無茶々園自体、「むちゃくちゃから『苦』をとってしまおう」など、由来に諸説あるユニークなネーミングだ。大津さんは、「最初、百姓一揆はつぶされるから駄目と言われたけどな」と笑いながら農家のアイデンティティーにはこだわりつつ「百歳まで笑って暮らせる、一番輝く地域に」と名前に込めた思いを説く。

農薬や化学肥料を多用する近代農業への疑問から有機栽培でのミカンづくりに取り組んだのが無茶々園の始まり。「たまたま有機栽培だっただけで、原点は楽しく暮らせる地域づくり」と大津さん。福祉事業もその一つで、準備は1990年代から始まっていたという。
「たとえば誰かが動けなくなれば、よそからヘルパーさんに来てもらうのでなく、ヘルパー資格のある近所のおばちゃんが面倒をみる、そうすればお金は地域内で回るでしょう」という。その発想に基づき、97年から2級ヘルパー養成講座を開催しこれまでに120人以上のヘルパーを養成した。

清家さんはその第一期生だ。別の施設で働いていたが、利益中心に傾きがちな運営に疑問を抱き、自分の描く福祉を実現しようと大津さんの誘いに応じた。
当初訪問介護事業所から始める予定だった計画は、清家さんの提案で老人ホームとデイサービスセンター建設へと展開する。資金はより多く必要となったが、「家族の負担を減らし安心して老後を暮らすには絶対にそれだけの施設が必要」と清家さんは力説。緻密な経営計画をみた大津さんは賛同し、周囲の合意も得たという。

昨年の介護保険制度改正に際しても1年以上前から勉強を始め、利用者の負担にならないよう清家さんは知恵を絞った。利用者や家族との相談を徹底し、最適なプランを提案する努力も欠かさない。
その根底には無茶々園が掲げる「協同」への共感がある。「困難や反発があっても、相手と向き合い話し合えば方向性はみえてくる」。利用者だけでなく、地域の人や働く仲間との間でもつねに大事にしたい思いだという。
 

山と海での地域づくり

段々畑の向こうには海か広がる40年間で農業を取り巻く環境も変化した。高齢化が進む農業をどう維持し、若い世代につないでいくかも地域の課題。無茶々園では、地元の農家組織とは別にグループ内に新規就農者を中心に「ファーマーズユニオン天歩塾」を立ち上げ、その課題と向き合う。

塾長の村上尚樹さんは「農業はやりがいはあるけれど、経営効率が悪く不安定な要素が多い産業。新規就農者が自立するため、できるだけその課題を克服したい」と多くの実践を試みる。

作業日誌をつけデータ化することで技術の習熟を図り、天候によるリスクを回避し作業量の平準化や収入の安定化のため、作付け品目を工夫、野菜加工品の製造も手がける。高齢農家の作業の手伝いに若手メンバーを派遣する事業は、ベテラン農家の知識や技術を得ることができ、一石二鳥だ。

「人や環境に役立つ実感を持てるのが農業。ここで共に働く仲間を増やしたい」という村上さん。地域発の新しい生き方を都会の若者に発信したいと考えている。
 地域づくりを考えるうえでは漁業者との連携も欠かせない。畑と海が接するこの地域では畑での生産活動が直接海に影響するからだ。
▲山と海のつながりを話す佐藤吉彦さん
「先祖がつくってくれた『魚付き保安林』があれです」と地元でちりめんじゃこの製造販売をする佐藤吉彦さんは、沿岸に浮かぶ小島を指さす。この地域では昔からあの島の木は切ってはいけないと言い伝えられてきた。「ミネラルを含む栄養豊富な水が山から流れ、海藻や魚を育てます。山が荒れたら魚もいなくなります」と言う。山と海とのつながりを子どもたちに教える環境教育に取り組む一方、無茶々園に参加し、農薬削減、合成洗剤不使用のよびかけ、植林活動などで共に活動するようになった。

ミカンだけでなく真珠や魚もこの地域が生み出す貴重な資源だ。無茶々園では、これら海産物の販売も開始し、地域経済を支えるとともに、山と海を守ろうとアピールする活動も進める。

ネットワークで自給圏

天歩塾には、Iターン者、新規就農者のほか、ベトナムやフィリピンからの研修生も参加する。
「高齢化の進行は著しく、耕作放棄地を出さず農村を維持していくには、高齢農家、新規就農者、海外研修生をミックスしていくしかない」と大津さんは言う。一方で、彼らを単なる労働力として使うだけではなく、有機栽培の知識や技術を伝え、出身国で生かしてもらうことを新たな提携のきっかけにしたいとも考えている。無茶々園の創設者の一人、片山元治(もとおさ)さんはその構想を実現しようと、今、ベトナムに赴任し、学校建設やこしょうの生産などにも携わる。

「自分たちの生き方を貫くために食やエネルギーの自給は基本。福祉と雇用がそのベースになる」が無茶々園の自給構想だ。ただしそれが閉鎖的なものでは次につながらない。都市生活者や海外とも連携することで新たな展開や可能性が生まれる。
「無茶々園に共感する人が食べものや製品を通じてつながっていけば、商社や企業にはできない、ネットワークができるかもしれない」と大津さん。貨幣経済とは別の価値観に基づく暮らし方ができるのではないかという。

今年4月には廃校となった地元の小学校跡地を活用した新たな構想がスタートする。子育てや介護など福祉の拠点にする一方、農産物直売所から観光業まで、地域の資源を生かした仕事づくりに取り組み、全国に向けて無茶々園の活動を発信していく予定だ。


◆山と海からの贈り物

おいしいことが大前提

南向きの急斜面は太陽の光をたっぷり受け石灰岩質の段々畑は水はけがよく、ミカン栽培には最適とされる。甘味と酸味がどちらも濃くバランスよい味わいは豊かな自然環境から生まれる。無茶々園ではこの環境を生かしながらもさらにおいしさの追求を目指す。 出荷前のミカンに光をあてその屈折率で糖度分析を行い、糖度が不十分なものは出荷しないという光センサーの導入もそのひとつ。さらに、肥料、摘果、せんていなど園地ごとに何をどう行ったか作業を記録し、そのデータと光センサーの測定結果をつきあわせ、作業を分析して技術の向上を図る。「有機栽培だからといっておいしくないのは駄目。おいしいことは大前提でそのうえに安全や安心、地域づくりを伝えていきたい」と、無茶々園で営業企画を担当する高瀬英明さん。どうしたらいいミカンができるか、きちんと根拠を示せるようにしていきたいという。

海と貝が育んだ本物の輝き
▲佐藤和文さん、無茶々園の真珠
「真珠は育てる漁業。海の汚れの影響はより深刻です」と無茶々園の真珠部門責任者、佐藤和文さんは言う。愛媛県の真珠生産量は全国一。リアス式海岸で山から栄養豊富な水が流れこみ、波がほとんどない穏やかな宇和海は真珠の養殖に最適な海だという。

ところが、今から20年ほど前はフナムシやエビ、タコなどの生物が目に見えて少なくなり、真珠を抱くアコヤガイも真珠層を形成する力が弱くなってしまった。その後、海は徐々に回復し、今ではフナムシも増えタコも捕れるいい漁場になった。佐藤さんはこのときの状況を「当時はミカン畑に自動的に農薬を散布するスプリンクラーが設置されていたし、近くのフグの養殖場では薬剤も使っていました」と振り返る。無茶々園に参加する農家が増えて農薬散布が減少する経過と海の回復は連動していたように感じるという。

こうした変化を目の当たりにし、海の生産者も山の生産者といっしょに環境を守る活動をしなければと、佐藤さんは無茶々園に参加することにした。合成洗剤を使わずせっけんを普及させる運動やワカメや木を植える活動など、海を守り環境をよくしながら、海の恵みを多くの消費者に届けたいと考えている。

「海藻がありプランクトンが豊富な海ではきれいな真珠層が形成されます。通常、真珠の流通は複雑な行程を経ますが、うちでは海の環境づくりから真珠づくり、製品化まで一貫して行い直接消費者に届けます。適正な価格で本物の良さを手軽に楽しんでもらえればうれしい」と佐藤さん。2月からは生活クラブ連合会との提携も始まった。
 今年の真珠は山からおりてくるミネラルも豊富で、よりよい輝きのものができているという。

『生活と自治』2016年2月号の記事を転載しました。

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