一貫して大分産原木栽培シイタケだけを
原木栽培されたシイタケには独特の歯ごたえと香りがある。かさの厚みもクヌギの堅い樹皮をやぶって出てくる強い生命力の証しだろう。かつては貴重な「森のめぐみ」とされたシイタケだが、いまや施設栽培が一般的となった。「それでも」と、大分県産の原木で育てたシイタケだけを乾燥させた「乾(ほし)しいたけ」を生活クラブと提携するオーエスケーは守り続ける。
里山の生命循環支える
大分県では、シイタケ栽培に使う原木の大半をクヌギが占める。樹齢15年を数えるクヌギの森は伐採期を迎える。その切り株からは再びクヌギが芽吹き、伐採後15年で森は再生されるという。切り倒された原木はシイタケ栽培に使うほだ木となり、自らの滋養分をシイタケに与え終わると朽ち果て、やがて土にかえって山の木々をはぐくむ。そんな里山の生命の循環を原木シイタケが支えている。
しかし、食用キノコ類の栽培は菌床栽培が主流。シイタケ栽培にも原木と菌床2種類がある。菌床栽培はおがくずにふすまや米ぬか、炭酸カルシウムや炭酸マグネシウムなどを加えた培地に菌を埋め込み、暗室で栽培する。これなら大量生産が可能で、シイタケの場合3ヵ月で収穫できる。現在、流通している生シイタケのほとんどが菌床栽培で、その量は約6万トン。対して原木栽培の生シイタケは約7,000トンほど(2013年農林水産省資料)しかない。
原木栽培はクヌギやナラなどの木々にシイタケ菌を植え付け、自然に近い状態で育てる。収穫までに最低でも2年はかかり、手間もかかる。床や香り、かんだときの食感が菌床栽培とは異なるゆえんだ。
戻しておいしく
「販売されているシイタケが原木栽培かどうかは見ただけでわかります」と大分県椎茸(しいたけ)農業協同組合の直販会社であるオーエスケーの工場長、阿南輝芳さん。同社は年間60~80トンの同協同組合の干しシイタケを販売してきた。
生活クラブ生協との提携は1979年から。全国的なシイタケ不足が問題となり、生活クラブが組合員向けの干しシイタケの開発を国内1位の生産量を誇る大分県産でと決めたのが契機となった。こうして誕生したのが消費材の「乾しいたけ」で、現在は「乾しいたけ100g」と「われ葉しいたけ90g」の2種類がある。
「われ葉しいたけ」は加工段階でかさの部分が少し欠けてしまったものだが、風味にまったく問題はない。「見栄えを製品の価値としない」という生活クラブ組合員の考え方にぴったり合った食材といえるだろう。
「干しシイタケは水戻しに手間がかかると敬遠されますが、栄養価がとても高く、健康にもいい食品です。おいしく食べてもらうには戻し方が重要です。水を入れたマグカップに干しシイタケ2個をを入れて、冷蔵庫に一晩置いてください。そうすれば朝にはシイタケがみそ汁の具になり、戻し汁はみそ汁のダシにも使えます」と阿南さん。開封後には、缶やプラスチックなどの密封性の高い容器に入れ、冷蔵保管するのがベストだという。
オーエスケーの製品づくりを支える大分県椎茸農業協同組合は、1907年に大分のシイタケ生産者が設立した組合で、同県産原木シイタケと、これらを使った干しシイタケだけを生産している。
2011年3月の福島第一原発事故の直後には放射能測定機器を導入、自主検査に加えて、第三者機関での測定も実施してきた。同組合では月3回行われる入札会の際、県下5地区(中央、県南、竹田、久大、国東)の乾燥シイタケを無作為に抽出し、政府の定めた基準値である「1キロ当たり100ベクレル以下」より10倍厳しい「1キロ当たり10ベクレル以下」を出荷基準とし、いまも検査を継続している。
この道60年の生産者
林業とシイタケ栽培で生計を立ててきた同県竹田市の集落に阿南さんが案内してくれた。同社の販売する干しシイタケの原料生産者の一人である三田井昇さん(83)のほだ場だ。三田井さんの干しシイタケ生産量は年に2トン半から3トン。植菌数にして約30万駒と大分県でも大規模農家に数えられるという。三田井さんは二つの散水設備を設置した10棟のビニールハウスを人工ほだ場として使用し、地元の山中に露地栽培用のほだ場も切り盛りする。
「ほだ木はシイタケの畑。いい土をつくるか、やせた土をつくるかによって生産量が変わる」が信条の三田井さんのほだ場整備は、原木づくりから始まる。毎年11月には山に入り、チェーンソーでクヌギの木を切り倒す。年が明け、本格的な寒さがやってくるころになれば、伐採しておいたクヌギにドリルで穴を開け、おがくずでシイタケ菌を繁殖させた種駒(たねこま)を打ち込んでいく。
菌が原木全体にまわるよう、風通しを良くし、直射日光が当たらぬよう原木の上にクヌギの小枝などを掛けるのも忘れない。これが「伏せこみ」と呼ばれる作業で、それに約1年半の期間を費やす。シイタケがゆっくりと発生する環境を整えてやるのだという。
さらに「天地返し」というほだ木の位置を上下に1本ずつひっくり返してやる仕事もある。いずれも重労働の力仕事だ。シイタケの原木栽培農家は減少の一途にあるのも無理はない。
三田井さんの住む神原集落は90戸。以前は集落全体の8割がシイタケ農家だったという。「みんな後継者がいなくてやめました。自家用は続けていますが、出荷している人は激減しました」と三田井さん。それでも年間を通じて地元から100人を雇用し、最盛期には6人態勢で収穫に精を出す。
幸いにも三田井さんには跡取り息子がおり、いまは二人三脚でシイタケ栽培をしている。勤め人だった義理の息子も定年を迎え、不定期ながらともに働いている。また、長期の休みを利用し、年間50人から60人が毎年農業体験にやってくる。三田井さんは言う。
「シイタケのことを全く知らない人もいます。大きくなってかさがひらいたシイタケをとって喜んでいたりするのもほほえましいです。何より、シイタケ嫌いな子どもがここに来て食べられるようになったと聞くとうれしいですよ。やはりとるときのシイタケの感触がいいんでしょうね」
牛が陰の立役者
シイタケ農家がもっとも忙しい季節は、収穫期の2~3月上旬。3週間、毎日休みなしで作業することもある。同県豊後大野市朝地町の農家、佐藤政志さん(39)は妊娠中の妻に「座っていてもいいから、手が届く範囲でシイタケをとってとお願いしたくらいですよ」と冗談めかして笑う。
佐藤さんは高校を出ると大分市内で4年半のサラリーマン生活を送っていたが、父親の体調が悪くなり、22歳のときに家業のシイタケ生産と肉用繁殖牛の飼育農家を継いだ。黒毛和牛の繁殖牛の親となる母牛8頭を飼育し、年間1トンの干しシイタケを生産する。干しシイタケは全量をオーエスケーに出荷。母と妻との3人で農業をしながら、子ども3人を育てる。
シイタケ生産と牛の飼育の兼業は朝地町では珍しくなく、推奨されてもきた。佐藤さんは標高500メートルの山中でシイタケの「伏せこみ」作業している農家を指さしながら、「あの状態で1年半、山においておきます。その間、草が生えるので下草刈りをしなくてはいけません。だけど牛を放しておけば、勝手に草を牛が食べてくれます。えさ代もうくし、ふんが栄養になって、山の土がいい土になります」と言う。
原木シイタケ栽培という里山循環に牛の力を借りるのは、理にかなった組み合わせのようだ。牛を山で放牧するのは4月初旬から10月まで。2、3頭を放てば1ヵ月できれいに草を食べてくれる。
「シイタケ栽培はおもしろいです。どうやったらいいものができるか自分で考えて工夫できますし、やった仕事が評価されれば収入にも跳ね返ります」と佐藤さんは笑顔で話す。
クヌギの滋養分と日光と水だけで育ってくれる原木シイタケ。だからこそ少量の雨や微妙な温度変化で出来栄えが左右され、職人技が求められる難しさがあるという。「それだけに作りがいがある」と胸を張る生産者もいる。そんな作り手の心を知り、その味を楽しむのが生活クラブの組合員ということになる。
◆原木シイタケの向こう側に
文/本紙・山田 衛
ある山の古老が広葉樹の効用について語ってくれたことがある。眼前には中国山脈の深い緑が広がり、谷あいを渡ってくる澄み切った冷涼な空気が心の凝りをほぐしてくれるようだった。
周囲に民家は一軒もない。そんな「過疎地」と呼ばれる山間の集落に古老が落ち着いたのは四十数年前。カヤの茂った荒れ地を耕しては田畑を開き、飼っている鶏の産んだ卵を町に出て売り歩く暮らしのはじまりだった。
コメ、大豆も自ら育てて手に入れた。大地から湧き出る水の品質も申し分ない。これら自然の恵みを生かし、集落の女性たちが自分でみそを仕込むと知った古老は自ら進んでこうべを垂れ、彼女たちに教えを請うた。
聞いたとおりにやってみると、深い味わいの見事な手前みそができた。そのとき身に染みたのが「菌の働きのすごさだった」と古老。こうじ菌が良質な食材と良質な水の力を生かし、滋養と保存性に富む発酵食品を育ててくれるのかと心から感謝の念が湧いてきたという。
いま、古老は荒れた地元の山に入り、ナラやクヌギの古木を切っては山の再生を図る「萌芽(ほうが)更新」を進め、原木シイタケの栽培にも力を注ぐ。
いわく、広葉樹は夏には木陰をつくってくれる。落ち葉は大他の栄養分となり、山の樹木の世代交代のために伐採してやれば炭やまきとなってエネルギー(燃料)にも使える。伐採した木々にシイタケ菌を植えてやれば、かつて陽光を浴びて育った木々が蓄えた養分を糧にシイタケが育つ。
これらを天日に干してやればビタミンDを多く含み、食物繊維も豊かな干しシイタケが手に入る。「それが何ともありがたい」と古老は満面の笑みを浮かべて話してくれた。
山の緑の両生循環と人の健康を守り支える原木シイタケは、栽培農家の責重な収入源でもある。その国内屈指の産地は大分県であり、かの「3・11」以前は福島県だった。後者が原発事故で尋常ではない負の遺産を負ったのはいうまでもない。
一方、大分の原木シイタケ農家も高齢化と後継者難に悩んでいる。そうしたなか「シイタケでなくても、別のキノコがある」「子どもが食べない」「菌床栽培でも安いほうがいい」という消費者の声を少なからず耳にする。
原発事故で拡散した放射性物質の影響を気にする人が多いのも事実だろうし、それがやむを得ないのも重々承知している。しかし、何度でも伝え、多くの人に考えていただきたいことがある。
原木シイタケという食品の向こうには、荒れゆく日本の山を再生循環していこうとする産地の日々の営みかおるのを忘れてしまっていいものか。
宮崎駿監督のアニメーション映画「風の谷のナウシカ」のエンディングでは、人が汚染した世界を浄化し、朽ち果てた木々がまっ白な土となってたい積した大地に二葉が芽吹く情景を描く。その問いかけるところをじっくり何度でも考えたい。
『生活と自治』2016年4月号の記事を転載しました。