人と人をつなぐ酒づくり
鳥海山のふもとに蔵を設けて90年余り。山形県飽海郡遊佐町(あくみぐんゆざまち)にある杉勇蕨岡(すぎいさみわらびおか)酒造場では、清冽(せいれつ)な地下水と遊佐産の米を原料に、人と人をつなぐ良質な日本酒をつくり続けている。
「遊佐来(ゆざこい)へのチャレンジ
豊かな香りと奥深い味わいを備え、さまざまな食材のうま味を引き出すのが上質な日本酒。だが、「甘ったるくてまずい」「悪酔いする」など日本酒にマイナスイメージを持つ人は少なくない。第2次世界大戦後の食料難の時代に、少ない原料米で多くの酒を生産する製造方法が広がり、近年まで質の低い日本酒が出回っていたことがその一因のようだ。
米と米こうじと水のみでつくる「もろみ」を搾ってろ過したものが純米酒だが、「三倍増醸」と呼ばれる製造方法は、もろみに水で希釈した醸造アルコールを入れ、糖類、酸味料、グルタミンソーダなどを添加して味を調える。その名の通り、同量の米から3倍の酒ができるという。原料米が十分確保できる時代になっても、利幅が大きいことから多くの酒蔵、メーカーは製造を続け、1980年代までは広く流通していた。
山形県遊佐町にある杉勇蕨岡酒造場の茨木高芳さんが、家業を継ぐため20代で同社の代表に就任したのは90年のこと。低品質の日本酒は敬遠され、焼酎やワインブームが訪れていた時期だった。
「うちも三倍増醸酒をつくっていたのですが、このやり方でいいのかと疑問に思っていました」と茨木さん。若者の日本酒離れは同世代だけに肌で感じていた。これからは少量でもいいものをつくらなければと方針の転換を図りつつあったものの、売り先をどうするか不安も大きかったという。
そんなとき、遊佐町農業協同組合(現・庄内みどり農協)から紹介されたのが生活クラブ東京との提携だった。同農協は、70年代から生活クラブとの提携を始め、品種、栽培方法から価格まで生産者と消費者が直接話し合う米づくりを進め、関係性を深めていた。双方でつくりあげたのが、土作りを基本に使用する農薬成分を大幅に減らした「遊YOU米」だ。同じ栽培法の酒米を原料にした日本酒を共同購入できないかというのが生活クラブ東京からの要請だった。
「今までにない提携の形だと思いました」と茨木さん。この提案に新たな可能性を感じ、純米酒を中心とした新しい日本酒づくりに本格的に踏み出した。こうして100%遊佐産の生活クラブオリジナルの日本酒が誕生、名称は組合員からの公募で「遊佐来」と名付けられた。当初、東京から始まった提携は、後に生活クラブ連合会全体に広がった。
*上写真:杉勇蕨岡酒造場の代表社員、茨木高芳さん。酒屋に多い合資会社という法人では、社員が役員、出資者を意味する。代表社員は、代表取締役のようなもの
*下写真左:1923年に開業した杉勇蕨岡酒造場。前身は鳥海山大物忌神社のお神酒づくりをするための蔵だったという
*下写真右:酒造場近くに天然の湧き水のみを水源とする神秘的な池、「丸池様」がある
手間ひまかけた酒づくり
「11月に仕込みが始まれば2月まで休みなし。夜通し誰かがついていて、2~3時間おきに様子をみて温度管理をします」と、杉勇蕨岡酒造場の杜氏(とうじ)、鈴木巧さん。
酒づくりには、原料米、水とともに温度管理が何より重要だと言う。
蒸した米にこうじ菌を植えてつくったこうじが米のでんぷんを糖化し、酵母がこれを発酵させてアルコールに変える。発酵と腐敗は同じ菌の働きだが、酵母が勝てば発酵、雑菌に負ければ腐敗する。
常に酵母が勝つように環境を整えるのが人間の役割だ。温度を上げれば酵母は働き、高温が続くと疲れるので冷まして休ませなければならない。「赤ちゃんならおなかが空けば泣くけれど、酵母は目にも見えないし声もださない。こちらが気を遣ってあげなければならないんです」と鈴木さん。片時も目を離せない赤ちゃんを育てるような心遣いが必要なのだという。
四六時中気の抜けない酒づくりだが、よりよい酒づくりをめざす新たな方針を掲げて以降は、さらに試行錯誤の連続だった。
「設備もそれなりに整備したんですが、通常、機械を入れれば省力化されるのに、逆にだんだん手間ひまがかかるようになってしまいました」と茨木さんは苦笑する。
たとえば純米酒や吟醸酒は、原料米を60%以下に削ることで雑味のないすっきりした味わいになるが、削られた原料米の扱いは難しい。杜氏の鈴木さんがもっとも気を使うのは、洗米、浸漬作業だ。
「削れば削るほど、厳密に吸水させなければなりません。どれだけ浸漬させるかで味が変わってくるんです」
遊佐町は、鳥海山の雪解け水を源にする地下水の豊富さ、水質の良さで全国的にも有名だ。蔵の周辺にはあちこちに天然の湧き水があり、もともとこの地に蔵を構えたのも、水の良さが決め手だったという。「そこが一般の酒との一番の違いでしょう」と鈴木さん。それを最大限生かすためにも、細かい手作業でより正確に作業しなければならないという。
*写真:
1。洗米、浸漬は手作業で行なう
2。蒸した米をスコップで取り出し、粗熱をとり、蒸気をとばす
3。杜氏の鈴木巧さん。蒸し米にこうじ菌をつける。均一につけることがよいこうじをつくる
4。酵母を大量に培養する酒母(もと)。これを元にもろみの仕込みを行なう
5。蒸した米、米こうじ、水をタンクに入れ、もろみをつくる。もろみの中の雑菌の繁殖をおさえ酵母を増やすため、これらは3段階に分けて入れられる
場を盛り上げる名脇役に
「間違いなくうまくいくという保障はありませんでした。蔵人(くらびと)がよく理解しついてきてくれたと思います」と茨木さん。新たな酒づくりが軌道にのったのも、蔵で働く人たちに恵まれ、支えられてきたからこそだという。現在は地元遊佐町と隣接する酒田市の9人が同社で働く。うち4人は夏場、農業を営み、冬だけ酒づくりに通う。
農家であれば生活クラブとのつきあいも長く、以前から安全安心への考え方は徹底しており、その点でも信頼は厚い。家族のようなチームワークで酒づくりに取り組み、担当の持ち場はあるが、全員が全工程を熟知し、どこでも手伝うことができるという。茨木さん自身も、人手が足りないときは、共に酵母を見守り作業をする。
「発酵が始まり、泡がふつふつと湧いてくるのを見ると楽しいし、酵母は生きものなんだなと、いとおしくなってきますよ」と酒づくりの楽しさを語る。
製造できる本数は限られていて、生活クラブと地元以外にはあまり出荷できない。大型機械を導入し大規模化すれば作業は楽になり利益も増えるかもしれないが、その分、1本1本に目が行き届かなくなる。酵母にも目が向かずただ忙しくなるだけではおもしろくないというのが茨木さんの考えだ。今のままの規模で、手づくりの味わいを大切にしていきたいという。
飲む人からの声も従業員みんなの励みになる。毎年夏には、生活クラブの組合員が庄内地方の生産者を訪れる庄内交流会が行われ、同社にも大勢の組合員がやってくる。いろいろな声を聞くことができるのが楽しみだ。
「酒がなくても誰も飢えないし困りません。主役はやはり人。酒は一人で飲んでもおいしいけれど、みんなが集う場を盛り上げる名脇役であってほしい」と茨木さん。
特別の基準で栽培された酒米を、酵母を働かせて酒に変え、顔の見える飲み手に届けるのが自分たちの仕事。その酒が、友人、家族など人と人との仲を取り持ち、広げる役に立つのであれば、こんなにうれしいことはないという。
◆消費材の活用法
新年をおいしく楽しく─日本酒の楽しみ
●日本酒あれこれ
酒税法では、原料、製造方法などの違いによって、吟醸酒、純米酒、本醸造酒など8種類を「特定名称酒」と呼ぶ。米こうじの使用割合は15%以上、吟醸酒、本醸造酒に添加できる醸造アルコールは白米重量の10%以下とされている。
吟醸酒 | 精米歩合60%以下 米、米こうじ、水、醸造アルコールが原料 |
---|---|
純米酒 | 米、米こうじ、水のみが原料 |
本醸造酒 | 精米歩合70%以下 米、米こうじ、水、醸造アルコールが原料 |
これらの規定がないものが「普通酒」、単に精米歩合が70%以上というだけのものから、糖類、酸味料などが使われているもの、醸造アルコールの添加量が10%以下でないものなどあらゆるものがある。「三倍増醸酒」への批判が高まり、市販にはあまり流通しなくなったとされるが、現在でも、日本酒の出荷量の約7割は普通酒が占めている。また、純米酒には精米歩合の規定はなく、純米酒といっても中には、ぬかに近い部分まで使うものもあるという。ちなみに、杉勇蕨岡(すぎいさみわらびおか)酒造場でつくる生活クラブオリジナルの日本酒「遊佐来(ゆざこい)」は、精米歩合60%、米、米こうじ、水のみを使った純米酒だ。
●元蔵人(くらびと)がつくる原料米
「遊佐来」「鳥海燦々(ちょうかいさんさん)」「雪化粧」など生活クラブに出荷する杉勇蕨岡酒造場の日本酒の原料となる酒米「雪化粧」は、近隣に住み、一昨年まで同社の蔵で働いていた佐藤義明さんと次男の信哉さんが栽培する。もちろん減農薬、減化学肥料。「遊YOU米」と同じ厳格な栽培基準だ。佐藤さんは、日本酒の提携以前から共同開発米部会長として「遊YOU米」も栽培し、その農法は熟知している。年間約160俵の原料米すべてを一軒の農家、しかも直接酒づくりをしていた人が栽培するのだから「これ以上、確かな酒米はありません」と同社の代表、茨木高芳さんは言う。
●熟成の味わい
「賞味期限は設定していますが、それはあくまで出荷した時の質に変化がない期限のこと。1年おくと香りに甘味がでてきて3年くらいたつと味にもコクがでてまろやかになります」。自宅で冷暗所に長期保管して熟成の味を楽しむのもおすすめだと茨木さんはいう。加熱殺菌してあるので、封さえ開けなければ酸っぱくなったりせず、味の変化が楽しめる。
●酒器の楽しみ
酒器によっても日本酒の味わいは変化する。口にあたる器の厚みで味わいが違うのだという。こってりした濃い酒とつまみには、厚手の陶器のおちょこで飲むと丸みが際立ち、さっばりした酒には、ガラスなど薄手の器にするとシャープな味わいになる。「日本酒はうま味成分の固まりだから料理との相性もいい。酒やつまみに合わせて、温度や器を変え、自分なりの好みをみつけると楽しいですよ」と茨木さんはすすめる。新年を迎え、人が集まる場で、そんな会話が広がるのも酒の楽しみ方かもしれない。
*鳥海山のふもとに広がる田園地帯。原料となる酒米「雪化粧」は特別の基準で栽培される
『生活と自治』2017年1月号の記事を転載しました。