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被災から7年、いま重茂漁協は─


 


生活クラブ生協の「肉厚わかめ」を生産する重茂漁協は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた。同漁協の復興状況と今後の課題を取材した。

「人間がね、努力によって、 それぞれの見返りが自分の懐さ返って来るんだと。 それがね、基本だと思ってるの。 でも協同組合だもの、条件がいい者だけがね、 生きればいいというもんじゃねぇや。 条件が悪い者もさ、助け合ってやっていくのが漁協なの。 みんなが生きることを考えねばならねぇの」(伊藤隆一)

重茂漁協編「天恵戒驕てんけいかいきょう 東日本大震災の記録」より

順調に進みつつある漁業再建

重茂漁協組合長の伊藤隆一さん

岩手県宮古市の重茂半島にある重茂漁協は、生活クラブ生協の「肉厚わかめ」の生産者だ。東日本大震災から7年目になろうとしている今年1月、同漁協の本所を訪ねると、組合長の伊藤隆一さん(80)が穏やかな笑顔で迎えてくれた。

伊藤さんに現在の復興状況について尋ねると「見ての通り。生活クラブのみなさんの物心両面へのご支援のおかげで、ここまで何とか立ち直れました」と元気な言葉が返ってきた。

2011年3月11日に発生した大津波は、東北から関東までの大平洋岸に押し寄せ、重茂半島も壊減的な被害に見舞われた。死者行方不明者は50人を数え、重茂地区459世帯の家屋(うち88世帯が流出または全壊)が被災し、漁協組合員が保有する漁船814隻の98%に当たる798隻が流出した。漁協は所有する1,310台のわかめやコンブの養殖施設をはじめ、加工場に保管用冷蔵庫、アワビの種苗センターやサケのふ化場など約50施設を失い、総額42億円という巨額な損失を被った。

そうした絶望的な現実に直面しながらも、重茂漁協は震災翌日に役職員を招集。災害本部を設置し、漁船や施設整備などの調達では、当面組合員に借金はさせずに、必要な資金は漁協が工面する、さらに組合員が希望する数の船がそろうまでの水揚げは「共同方式」とし、収益は全組合員に平等に分配するなどの方針を決定した。

「組合員全員の暮らしを守るのが協同組合の最大の使命。ここ重茂で漁業をなりわいに暮らしている組合員から、1人の脱落者も出してはならないと思いました」と伊藤さん。重茂漁協は即座に船の手配や養殖施設の再建に向けて動き始めた。

それから7年、生活クラブが「復興支援カンパ金」をもとに漁協に寄贈した定置網船3隻を含む682隻の漁船が重茂の地に戻ってきた。漁協も失った施設の再建に力を尽くし、16年度の販売取扱高は18億3,000万円に達した。残念ながら震災前の06年度の21億4,000万円には及ばないが、堅調な回復ぶりといえるだろう。

行政の遅れと海の「異変」

日付が変わることには沖に出て、「春いちばん」の水揚げから港に戻った坂本優さん(44)。「漁期には毎日6時間は波にもまれています」と言う。

しかし、岩手県沿岸部全域に目を転じれば、重茂に隣接した山田町など、いまも復興がままならない地域が少なくない。「漁業再建どころか、町の基盤整備すら、ほとんど進んでいません」と伊藤さん。その大きな要因が行政の煮え切らない対応にあるという。

「過去に例がない未曽有の災害だと口ではいいながら、適用するのは平時につくられた法律ばかり。おまけに市は県の、県は国の顔色を伺うだけじゃあ、どうにも事は動きません。彼らがもっと臨機応変に判断し、機敏に行動していれば、被災地はもっと早く立ち直れたはずです。国には憲法改正と同じくらいの熱意をもって、被災地復興に臨んでくれと言いたいですね」

そうしたなか、着実に復興への歩みを進めてきた重茂だが、今後の漁業に深刻な影響を与えかねない不安材料もある。地震による地盤沈下や崖崩れにより、陸地から流れ出た泥による海の汚染だ。これにより海の透明度が下がり、アワビが漁獲可能な大きさまで成長しなくなっているという。

春先の海水温が5度以下に下がらず、海底の藻類が育たなくなる「磯焼け」も発生している。このため、藻類をえさにするアワビの稚貝が姿を消し、やはり藻類をえさにするウニは大量に生息しているが、えさ不足から身(卵巣)がほとんど入らない状態だ。漁協直営の定置網漁もサケの不漁が常態化し、回復の兆しすらない。

「どの問題も今後の推移を見守るしかないでしょうが、救いは被災を理由に、漁業の継続を断念した組合員がでなかったことです。高齢化や家庭の事情などを理由に、5人の組合員が重茂を離れましたが、こればかりはどうにもなりません」

「春いちばん」に未来を託す

重茂漁協加工部次長の後川良二さん

現在、重茂漁協には震災前の88%に当たる516人の組合員が加入している。国内漁業者の平均年齢が67.7歳と高齢化が進むなか、重茂の組合員の平均年齢は52.8歳と実に若い。だが、同漁協加工部次長の後川良二さん(59)は「とても安心してばかりはいられません」として、こう話す。

「新規就業者の確保が難しいうえに、若い組合員が一人前の漁業者に育つまでには最低でも5年はかかります。彼らの成長を待ちながら、養殖わかめの生産量を維持していくには、組合員の約24%を占める70歳以上の人たちに技能と経験を生かしてもらうしかありません。そこで私たちが、被災後にとりわけ力を入れているのが、しゃぶしゃぶに適した生わかめ『春いちばん』の普及促進です」

サッとお湯にくぐらせると新緑のような鮮やかな色になる「春いちばん」は、養殖わかめの新芽だけを初摘みしたもので、ボイルも塩蔵もしない生の状態で出荷される。その収穫期は毎年1月中旬から2月中旬で、引き揚げたわかめがすぐに凍りつくほどの寒さとの闘いだ。しかし、海中の養殖施設から切り取る1本のわかめの長さが60センチと、通常の養殖わかめの5分の1程度なため、漁業者の負担はかなり軽減されるという。

水揚げ後にはわかめの根と先端を切り取り、小エビの一種のワレカラなどわかめに付着した異物を丁寧に洗浄して取り除く作業が求められるが、「高齢になっても熟練した組合員なら1人で十分こなせます」と後川さん。重茂漁協では、出荷された初摘みわかめを、市場価格の約10倍の価格で買い入れる。

「1日1ケース(50キロ)出荷すれば2万円、これを30日続ければ60万円の収入になります。この利点が次第に組合員に浸透し、わかめ養殖に取り組む121世帯のうち60世帯が春いちばんの漁に出ています」



 

漁協への「春いちばん」の出荷風景と加工所での箱詰め作業。さっとお湯にくぐらせると鮮やかな緑色になる。 養殖わかめの新芽を初摘みし、塩蔵加工していない「生」わかめだ

震災直後の苦い思い出

入職1年目の山崎裕介さんと

後川さんが震災後に最も頭を悩ませたのが、加エセンターの従業員の確保だ。「震災前には126人いた従業員が50人に減ってしまいました。そこで漁協内で議論を重ね、導入したのが大手自動車メーカーの採用する生産現場の業務改善方法です」

その方法にならい、重茂漁協の加工場では従業員を習熟度別に配置し、ベルトコンベヤーをフル活用。同時に包材や備品の在庫管理の甘さを徹底的に見直したところ、加工場の稼働率が49%向上した。

震災後に従業員が一気に半分以下になった背景には、工場で1日8時間働いても6,000円だが、がれき撤去などの復興事業に出向けば3時間ほどの労働で1万2,600円になるとの事情があった。

津波で全養殖施設を失った重茂漁協では、当面は震災前と同水準の生産量確保は困難と考え、提携先の絞り込みを進めることを決めた。その交渉を担当した後川さんは「いやはや、まぁ忘れられない思い出がたくさんありますよ」と苦笑する。

被災直後から、生活クラブの組合員は各地から重茂に足を運び、津波を逃れた冷蔵庫にあった塩蔵わかめの袋詰めと出荷作業を支援した。この様子がテレビの全国ニュースで報じられると、ある大口取引先から「わかめがあるなら、当社にも何とか回してほしい」との電話が入った。

相手は震災前に重茂産100%の表示での納品を拒否した担当者だった。その理由を確認すると「当社は他産地のわかめも扱っているが、そちらと同様の表示対応が求められないから」と言う。「耳を疑いましたね。生産履歴の確かさを追求するのが筋でしょうに、そこはあいまいで済ませたいわけです。にもかかわらず、震災でものがなくなれば、平然と重茂産がほしいといえる神経には恐れ入ります。わかめがないのは事実ですから、きっぱりと断りました」

その大口取引先をはじめ、「とにかく安く納品して」を決まり文句とする取引先との関係を見直すと震災前より出荷量は減ったが、事業収益が大幅に改善した。「生活クラブをはじめ、重茂のわかめの品質と価値を適正に評価してくれる取引先との関係の大切さを痛感しました」と後川さんは言う。

「偽装事件」に巻き込まれ

震災前年の10年におけるわかめの国内自給率は17%で、国内総供給量約35万トンのうち29万500トンが中国と韓国からの輸入品だった。この構造は現在も変わらないが、国内主要産地の岩手県と宮城県の沿岸部の産地が震災で壊滅的な被害を受けたため、現在の自給率は15%前後の水準にあるという。

そうしたなか、国内トップの生産量を誇り、高品質の重茂産わかめは「高級ブランド」ともいえる存在だ。その証しともいえる“珍事”が起きたのは13年。東北農政局を通じ、消費者庁から重茂漁協に「都内の高級食材専門スーパーで販売されていた重茂産わかめに中国産わかめが混入していた」との連絡が入った。

「当該スーパーの担当者にすぐに確認を取り、御社との取引は一切無いと抗議しました。結局、そこの納入業者が何らかの方法で調達した重茂産わかめに、中国産をかさ増ししていた事実が明らかになったのです」(後川さん)

重茂産なら中国産の10倍で販売できるとにらんでの偽装だった。その価格差は良質な原料わかめを育てる漁協組合員の技能の高さと漁協による徹底した品質管理から生まれる。さらに重茂漁協では、ボイルしたわかめを塩蔵する際には40%の塩分量を保持するとの法令を順守し、出荷の際には、あえて塩分量を30%以下までふるい落とす工程を堅持している。

「なかには塩が7割から8割という塩蔵わかめまであります。特に安売り対象品には輸入品に大量の塩を加えたものが少なくありません。もちろん、重茂産は7割以上がわかめです」

生活クラブの肉厚わかめは300グラムで税別645円。それが品質に十分見合った適正価格であることは、震災前が年間80トン超、震災後の12年度以降も年間60トンを下回らない生活クラブの組合員の利用実績が何より雄弁に物語っている。

撮影/魚本勝之  文/本紙・山田 衛

誇りをもって伝えられる歴史

2011年の大津波の到達点を示す碑

重茂半島の姉吉地区には、明治と昭和の大津波の到達点を示した石碑が建ち、「ここより下に住むべからず」という先人たちからの警句が刻まれている。その教えを守って暮らしてきたから、「自分たちは今回の津波の被害を免れた」と地元の人は心から無事を喜んだという。

今回、現地を訪ねて驚いたのは、明治と昭和の津波が、今回の津波より高い場所まで押し寄せていたことだ。7年前の津波の到達点を示す石碑が建立されたのは、曲がりくねった細い道をさらに海辺に下った場所だった重茂半島で記録された津波の最高到達点は40.5メートルにも達したというから姉吉の人びとは先人の知恵と天運の双方に守られたといえるだろう。 

改めて明治と昭和の大津波について調べてみた。気象庁と消防庁の記録によれば、明治の大津波は1896(明治29)年6月の明治三陸地震(マグニチュード8.5)の際い発生し、2万2,000人が落命する大惨事となった。昭和の大津波は1933(昭和8)年の昭和三陸地震(マグニチュード8.1)によるもので、死者 行方不明者合わせて3,064人の犠牲者が出た。

こうした歴史を踏まえ、重茂漁協では、本所を高台に建設した。「漁協があるのは海辺と決まっている。港から離れた土地に事務所を構えるとは何と物好きな」と嘲笑する周辺漁協の幹部も少なくなかったという。その「物好きな」決断が今回の災害では大きな救いとなり、復旧に向けての拠点確保に貢献する力ともなった。

そしていま、重茂漁協の人びとは後世に誇りをもって語り継げる歴史を手にした。それは「俺さえ、自分さえ良ければいいでは、復旧復興はままならない」という同漁協組合長の伊藤隆一さんの言葉に込められた相互扶助の精神のもと、地域の再建に取り組んだ人びとの貴重な足跡に他ならない。
*右写真:その面した道のさらに上に明治と昭和の大津波の到達点を示す碑が建つ






撮影/魚本勝之  文/本紙・山田 衛

『生活と自治』2018年4月号の記事を転載しました。

【2018年4月15日掲載】

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