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《お米篇①》これからの米づくりを仲間とともに考え、より魅力あるものに。

山形県・遊佐町
三浦広和さん(37歳)
▼動画(約5分38秒、音声・字幕つき)
山形県・遊佐町の三浦広和さんは、お米中心の専業農家です。主に生活クラブと共同開発された「遊YOU米」を栽培しながら、飼料用米の栽培や新しく設立した農業法人の運営、同年代の仲間達と一緒にトライしている野菜のハウス栽培など、地域の農業後継者としてさまざまな試行錯誤を重ねています。

三浦広和さん(37歳)
●鳥海山の雪解け水に恵まれた、米どころ「遊佐町」
標高2000メートルを越える鳥海山に守られながら、日本海を望む山形県遊佐町(ゆざまち)。春には雪解け水が流れ込み、広々とした平野部を潤します。取材班が遊佐を訪れたのは9月のはじめ。神社や井戸など町のいたるところで鳥海山からの清水がこんこんと湧き出るのを見ることができました。

見渡す限り一面に田んぼが広がるのどかな遊佐の風景は、米どころとして名高い庄内平野の原風景ともいえます。


遊佐町内の名所、胴原の滝。町内外から湧水を汲みにやってくる人たちが後を絶たない。


田んぼからは鳥海山がよく見える。
広和さんは、兼業農家の長男として遊佐で生まれました。高校を卒業後、2年間だけ地元を離れて仙台の専門学校で工業・土木を学びましたが、卒業と同時に遊佐に戻り、すぐに農業にたずさわることに。子どもの頃から農作業を手伝っていた広和さんにとって抵抗はまったくなかったといいます。

「うちは周りの農家に比べてちょっと変わっていたのかもしれません。高校の頃にアルバイトをしたいなと言ったときも『外で働くくらいなら、うちで働きなさい』といって米づくりの手伝いをさせられて、外で働くのと同じか、それよりも高い日給をきちんと払ってくれました。だから、就農するにあたって不安はまったくありませんでした。自分のこだわりは『自立するため決まった額の給料がほしい』ということだけで、親父はその条件を提示し守ってくれました」(三浦広和さん)


父・澄雄さん(左)と広和さん。10代の頃からいろんなことを教わってきた。
広和さんの父・澄雄さんは地元の土木建築会社で働きながら、兼業農家として代々受け継いできた田畑を守ってきましたが、広和さんも就農当初は澄雄さんが勤めていた会社で一緒に働いた時期もありました。そして、ふたりで力を合わせて兼業農家を続け少しずつ田んぼを増やしていき、やがて専業で農業を営むようになります。この17年ほどで、三浦家が耕す土地は2倍ほどに増えたといいます。
とても順調に思える農業人生ですが、そのスタートではずいぶん勘違いもあったと広和さんは振り返ります。

「若い頃は、自分の定時を『8時〜17時』に勝手に設定してたんですね。早朝に仕事をすることに抵抗があったんです。親父には『サラリーマンじゃないんだ』とずいぶん怒られました。まだ暑くならない早朝から作業すれば、効率が良いことをよくわかっているんですが……最初の頃は言われたことしかしない息子に、親父はずいぶん我慢していたと思いますね」


収穫を間近に控えた稲穂。


早朝、鳥海山をのぞむ。若い頃はこの時間帯に起きることが難しかった。
広和さんに好きな農作業と苦手な農作業を聞いてみました。好きなのは結果が見える「収穫作業」、苦手なのは「草刈り」とのこと。面積が増えれば増えるほど草刈りの手間はかかるため、とにかく果てしない作業だといいます。


畦畔※の草刈りを行う広和さん。※畦畔(けいはん)=あぜ道
「伸びているところから順繰りに刈ってきて、戻ってきたらまた新しいのが生えていたりするので……本当にエンドレスです。旅先で畦畔(けいはん=あぜ道)が赤茶けた田んぼを見かけたことがありますが、それは除草剤をまいて草を枯らしています。(稲を植えない)畦畔で除草剤を使っても販売するお米の表示には載せなくていいので、気にせずに使用する農家はあるでしょう。その方が正直楽ですし。でも、我々の『遊YOU米』は除草剤を使わないのが生活クラブとの約束ですし畦畔であっても除草剤を撒くのは抵抗があります。まったく何も影響がないとは言い切れないと思います。」(三浦広和さん)
 
●遊佐の米づくりは、「共同開発米」とともに進化してきた

ここ遊佐町と生活クラブは、約50年にわたって提携関係を続けてきました。1968年に遊佐の生産者が生活クラブを訪問したのを皮切りに、1971年にお米の提携をスタート。1988年には旧遊佐町農協とともに「共同開発米」に取り組むことになります。
収穫されたお米は、管内の約半分が「カントリーエレベーター」に持ち込まれ、籾のまま適切な温度・湿度で貯蔵される。出荷に合わせて精米するので、つねに新鮮なお米が食卓に届く仕組みだ。(写真:遊佐中央カントリーエレベーター)
「共同開発米」とは、生産者と生活クラブが品種や栽培方法、お米の値段までも対面で話し合いながら決めていく、独自の成り立ちのお米のこと。みんなが望む、農薬や化学肥料をできるだけ減らした農法でつくられる一方、生活クラブは組合員が共同購入することで、あらかじめ「どれだけ食べるかを約束する」して生産を支えます。そうすることで生産者の収入は安定し、米を食べる側はみんなが望むお米を安心して手に入れることができるというわけです。

これは長年、生活クラブと生産者が「安全な食卓と産地をどう継続し、発展させていくか」を考え、模索しながら築き上げた結果、生まれたやり方です。現在、「共同開発米」は「遊YOU米」という名前で、多くの方々に愛されています。

澄雄さんも「共同開発米」の栽培に長年たずさわってきました。現在、息子の広和さんの水田では、主食用米の生産の8割は「遊YOU米」にあてられています。


太陽光発電の電力優先で稼働する「遊佐中央カントリーエレベーター」。


遊佐の「共同開発米」は、「遊YOU米」として生活クラブに供給されている。
「子どもの頃から生活クラブとの米づくりの話は親父から聞いていました。でも、最初は何のことだかさっぱりわかっていませんでしたね。知識もないので、他の農家と比べて『なんでうちはこの専用肥料じゃなきゃダメなの?』など、よく質問していました。就農して初めて“開発米とは何なのか”ということを知ることになったんです。だから、自分は開発米でお米の作り方を学びました」


広和さんにとって、農薬や化学肥料をできるだけ減らした安全な米づくりはごく当たり前のこと。だから、減農薬に取り組まない田んぼをよそで見かけると、その“なんでもアリ”なやり方に違和感を覚えているといい、また、国全体でお米の消費量が減っていることにも危機を感じるといいます。
 

収穫を見据え、稲穂の様子をチェックする三浦さん

収穫するまでは、田んぼの水管理は徹底的に行う。

遊YOU米

山形県庄内の北端に位置する遊佐町、鳥海山から流れ出る月光川からの清流が流れる環境で育ち、農薬や化学肥料を減らした農法でつくられた安心でおいしいお米です。

共同購入をするということは、「私はこれだけお米を買います」と生産者と約束をすること。生産者は食べてくれる人がいるから安心して、お米を作りを続けることができ、またそのことが環境保全型農業へのチャレンジにもつながっていきます。

生活クラブでは、生産調整により食用米が作れなくなった田んぼで、提携生産者が育てる豚の飼料用米を栽培するなど、さまざまな形で、循環型・環境保全型農業の実現にとりくんでいます。



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