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木曽谷で生まれる、木の道具の物語 酒井産業【漆器・木竹生活用品】

長野県塩尻市に、全国の木竹生活用品を取り扱う酒井産業株式会社がある。
全国の120社ほどの工場と提携し、竹、ヒノキ、サワラなど、それぞれの性質に合わせて作る台所用品やおもちゃなどの木竹生活用品を販売する。

●木のぬくもり


酒井産業株式会社の代表取締役社長の酒井慶太郎さん(左)と営業本部課長の宮原正弘さん。背景は植樹した漆の木
「子どもが一番喜ぶおもちゃは人の手です。暑い時も寒い時も同じぬくもりがあり、安心して遊べるようです。そして、手のひらに一番近く安心感のあるおもちゃの素材は木です」。酒井産業株式会社の代表取締役社長、酒井慶太郎さんは、木には人の手と同じようなぬくもりが感じられるという。

大人が使う身の周りの道具類もそうだ。まな板の上で菜をトントンと刻む、箸を使ってご飯を食べる、木のスプーンでスープをすくう。日常の「食」の場面にも多くの木製品がある。「けれど、生活クラブの組合員との交流会などで尋ねると、たとえば木のまな板を使っている人は10人に一人ぐらいです」。プラスチック製のまな板を使ったり、まな板を使わず調理用はさみを使用する人もいるそうだ。「でも木の製品は、手入れをしながら使っているうちにつやも出て、愛着がわいてくるものですよ」

●歴史を語るひのき箸

酒井産業は、もともとは漆器を扱う「酒井漆器産業」だった。先代の時に天然素材の木製品も扱うようになり、現在は300ほどのアイテムがそろう。
社屋があるのは、木曽山脈と、飛騨山脈に続く御岳山などの山々にはさまれた「木曽谷」と呼ばれる深い渓谷の北の端。幅300メートルほどの間に、奈良井川、国道19号線、酒井産業の敷地、旧中山道、JR中央本線が並ぶ。「真冬は午前10時ごろから午後3時ごろまでしか日が当たりませんよ」と、営業本部課長の宮原正弘さん。面積のほぼ9割を森林が占める木曽谷は、日照時間も短く農作物があまり育たない土地が多い。

そのため、この地方は十分な食料が生産できず、1920年代後半には全国的な不況も発生し窮乏、広い土地での食料生産を求めて、30年代から相当数の人たちが満州開拓移民として中国北東部の旧満州に渡った。そこで終戦を迎え、残留生活を送った人たちは、木曽に戻ると自分で生活の手段を探さなければならなかった。

長野県は江戸時代よりヒノキをはじめ、サワラ、コウヤマキなど「木曽五木」が保護された歴史があり、森林資源が豊富だ。ヒノキを伐採した後放置されている高さが30センチぐらいの切り株に着目し作ったのが箸だ。

「切り株をナタで割り四角の棒にします。さらにナタを使い、箸先を整えたものがひのき箸の原型です。満州から帰った人が、ナタ1本で生計をたてていきました」。そういった満州開拓移民の苦労をつい最近知ったと酒井さん。「ナタ1本あればできる箸が作られた歴史が、戦後70年を経て、やっと語られるようになりました」

●人の手の代わりの機械



バネが人の手のように箸を押し出す


可児工芸が木製品を作り始めた頃の通行手形と楊枝ようじ入れ
その歴史を担ってきたのが、酒井産業と提携する可児かに工芸だ。今年87歳になる可児力一郎さんと息子の春吉さん、孫娘の3人で、ひのき箸を作る。多い時は月に3万膳を作っていた。

力一郎さんは小学校3年生の春、家族で満州開拓移民として旧満州に行った。気候も農作物の作り方も日本とは違い苦労はしたが、現地の人たちとは友好な関係を築くことができたという。しかし終戦を迎え、逃避行や避難所で生活しているうちに、多くの同郷の人たちが命を落としていくのを目の当たりにした。
13年間の残留生活後、中国から帰国し、南木曽町で営林署に勤めながら、身近にあった材木の端材を利用して、観光みやげ用の通行手形や楊枝ようじ入れなどの小物を作った。箸も作っていたが、1992年に酒井産業と出会い生産量が増えると手作業では間に合わず、11工程ある全作業を機械で行うようになった。

機械は全部、力一郎さんによる設計だ。「土台は木で模型を組み立て、それと同じに鉄鋼所で作ってもらい、箸を細工する細かい部分は自分で材料をそろえて取り付けました。手で作っていた時と同じに動くように、いつも微調整しています」。酒井さんは「力一郎さんの機械は、ボタン一つで自動的に動いてしまう『機械』ではなく、まさに人の手の延長として働く『道具』のようです」。すてきだなあと思うそうだ。

この機械を使うと、ひのき箸は1カ月に2万膳ほどできる。設計や機械の製作は残留時代に中国人に教えてもらった大工の技術が役立っている。力一郎さんは、つらいこともたくさんあったがそこで受けた恩は忘れないという。


可児工芸会長の可児力一郎さん。「箸を送る動力は地球の引力と空気の風圧を利用しています」


酒井産業が扱う木の器


可児工芸代表の可児春吉さん。1歳の時に満州から木曽に戻った。そろばんが得意で銀行に勤めたが、今は娘と力一郎さんとひのき箸を作っている

●ていねいな仕事

ひのき箸の木地に拭き漆を施しているのが、塩尻市木曽平沢にある小坂漆器店だ。塗師の小坂尚一さんは、「可児さんの箸の木地は漆を塗りやすいし、仕上がりが他のものとは全然ちがうよ」と言う。拭き漆は、木地に生漆を塗り、布などで拭き取り乾燥する作業を繰り返す。拭き取る分の漆は無駄になるが、薄い漆の層に包まれた木製品は丈夫で長持ちする。「きれいに磨いてあるから布で拭いてもけば立たないし、漆がむらにならない。ウチは全部手作業なんで、可児さんのていねいな仕事がよくわかりますよ」。可児工芸に大きな信頼を寄せる。

「断面が四角いひのき箸はとても使い勝手がいいものです。小豆も上手につまめるし、麺類をすくってもぜんぜん滑りません」と酒井さん。「この箸が作られ続ける限り、戦争がなかったら木曽で一生を終えられたかもしれない満州開拓移民の人たちの歴史が語り継がれていくでしょう」。これは、ひのき箸のもう一つの役割かもしれない。


小坂漆器店の小坂尚一さん。木曽平沢で、木地に漆を塗る仕事をする

●森林資源を生かす


株式会社「勝野木材」、木工部工場長の今井武良さん。毎日500本の木を製材する。木の皮は焼却しないで粉砕し、園芸や堆肥などに利用する
日本の国土の約7割を森林が占める。60年代に、燃料がまきや炭から石油、ガスに代わり、木材の輸入が自由化されて林業家が減り、人の手が入らなくなった森林が増えていった。

しかし近年、森林は地球温暖化防止や生物多様性などに、重要な役割を果たしていることが注目されてきた。また、土砂災害を防ぎ、豊かな水資源の供給源にもなる。

南木曽町にある株式会社勝野木材も酒井産業の提携先だ。山から木を切り出し製材し、端材を使ってまな板やつみ木などの生活用品も作る。工場長の今井武良さんは、「南木曽町は愛知県長久手市と姉妹都市の提携を結んで、市が市民に提供する出産祝いに、つみ木や離乳食用のスプーンを使ってもらっています」。国産材の利用を進めると同時に、夏には長久手市民が森林を訪れ、水源地の整備を行うなど森林保全のための交流もある。

24年度からは森林環境税が施行される。地元自治体だけで支えてきた森林保全を全国で支援しようとの動きだが、税金の集め方や使い道にはまだ課題も指摘される。「間伐材の利用方法として木質バイオマス発電なども増えると思いますが、過剰な伐採が進むと再生には50年、60年かかります。森林資源を暮らしに取り入れながら、上手に循環させていけるような使い方を提案していきたいと思っています」と酒井さん。「木や漆の道具を使い、その価値を改めて見いだしてほしいですし、道具の使い方を伝える喜びもぜひ知ってほしいものです」

<贅沢な弁当箱>

「メンパ」という弁当箱がある。ふたが弁当箱と同じ高さで、ご飯が入る身の方をすっぽり包む。なんて贅沢ぜいたくに木を使った弁当箱なのだろうと思っていた。
酒井産業が提携しているメンパの生産者「曲物民芸製造小島木工所(小島曲物工房)」は、明治時代から約120年続く木製品の工房だ。塩尻市の木曽谷寄りにあり、そばのざる受けなどを作っていたが、現在、5代目の小島義人さん一家は、主にメンパを作っている。

メンパを作るには、まず、メンパの高さのひのきの薄い板を熱湯でやわらかくし、型に合わせて曲げて乾かす。年輪の筋が真っすぐ通った柾目まさめの板を使わないときれいに曲がらない。乾燥中に割れたりゆがんだりすることもある。メンパを作る板は、何百年も山で育った太いヒノキからしかくことができないという。

板を弁当箱の形にするために、板の合わせ目に溝をつけ、カンナで削り細く切った山桜の木の皮を通して止める。サワラで作った底板をはめこみ、塗師さんに渡す。義人さんは「百個作ってもひとつとして同じものはできません。ふたの合わせ具合や底板の大きさを、ひとつひとつ調整します。50年も同じことをやっていますよ」と言う。

粘りがあり丈夫な曲げ物に向くヒノキの木地と、やわらかく加工しやすいうえ、水分をよく吸い調湿効果があるサワラ。義人さんは、それぞれの木の性質を十分に承知したうえで加工に使い分ける。「でもサワラとヒノキ、森で並んで立っていると、どっちがどっちだかわからんの」

 
メンパは、山を越えた隣のまちの高山市から木曽に伝わり、木曽谷では小島曲物工房が最初に作り始めた。ヒノキの板を巻きつける型や、乾燥する時に合わせ目を留める木の道具などは、義人さんが全部自分で工夫して作った。作業場では木と木が当たる音がコンコンと耳に心地いい。

弁当箱でも、ふたが浅いものが「弁当箱」、ふたが身と同じ深さのあるものを「メンパ」という。義人さんの祖父の時代は、森へ仕事に行くとき、ふたにもご飯を詰めて倍の高さにして持って行った。力仕事をするので2回お弁当を食べたそうだ。メンパを枕に昼寝もした。「昔は、『仕事は中途ハンパでも飯はメンパ』とよく言っていましたよ」と、義人さんが愉快そうに笑う。

ひとつ、アウトドアに応用できるメンパの使い方がある。普通に弁当を作りキャンプなどに持っていき、ふたで沢の水を汲んで、みそや刻んだ野菜を加える。そこにたき火で熱くなった石を、直接板に当たらないように入れると、温かいみそ汁ができあがる。

職人の手が作り出すさまざまな道具が、木曽の美しい森林を守り伝えている。


小島曲物工房の小島義人さんは家族で作業をする。カンナが木地を挽く音と、木と木が触れ合う音のなかで、メンパが形作られていく
撮影/田嶋雅已 文/本紙・伊澤小枝子

『生活と自治』2019年2月号の記事を転載しました。

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