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《練り物篇①》震災を乗り越え、国産原料を使った安全な練り製品をつくる

宮城県東松島市 株式会社 高橋徳治商店
高橋英雄さん(68歳) 高橋利彰さん(38歳) 高橋敏容さん(34歳)
▼動画(約5分51秒、音声・字幕つき)
宮城県・石巻市に本社を置いていた高橋徳治商店は、110年以上の長い歴史を持つ老舗の水産加工会社です。現在三代目となる高橋英雄さんを中心に、総務・製造を担当する長男・利彰(としあき)さんと、営業・製造を担当する次男・敏容(としやす)さんの二人の息子とともに、国産原料で不要な食品添加物を使わないさまざまな練り製品を製造しています。東日本大震災を機に故郷へと戻った敏容さんの話を中心に、練り製品への思いを伺いました。
(左から)高橋敏容さん(34歳)、高橋英雄さん(68歳)、高橋利彰さん(38歳)。

国産原料を使った安全な練り製品をつくる。その原点

石巻魚市場は、世界でも屈指の漁場として知られる三陸沖からの魚を中心に水揚げされる。
 
宮城県・石巻市の沖合は、世界でも屈指の漁場として古くから知られてきました。南からの黒潮と釧路沖からの親潮が重なること、そして沿岸に連なるリアス式海岸が魚の絶好の住処となるため、年間200種類ともいわれる多くの魚種が獲れる非常に恵まれた環境です。

原料のひとつであるオキギス。練り製品の品目によって魚を使い分ける。
 

石巻魚市場で早朝に行われる競り(せり)の様子。
英雄さんは高橋徳治商店二代目の長男として生まれました。家業を手伝うようになったのは、24歳の頃のことです。
 高橋徳治商店の代表取締役、高橋英雄さん。

当時は大手の練り製品メーカーの下請け工場として、数多くの製品を手がけていました。しかし、薄利多売で作らなければならない製品の品質に大きな疑問を抱くようになりました。

「大手メーカーの練り製品は、たとえばさつま揚げ100グラムあたり、魚のすり身の量は約40グラムで半分もない。残りは水や植物性たんぱくのような増量剤を足し、合成保存料や重合リン酸塩、弾力増強剤、アミノ酸など多くの食品添加物を使った製品でした」
 
 
現在の高橋徳治商店は、多数のオリジナル練り製品を生産している。

販路を開拓していた頃、工場で使用されている食品添加物の多くが人体に悪影響を及ぼすことを、英雄さんは知ります。そのことで真っ先に思い浮かべたのは、まだ小さかった長男の利彰さんがアレルギーとぜんそくに苦しむ姿です。そのとき英雄さんは「食と子どもの安全を基本にした仕事をしよう」と心に決め、殆ど先例のない国産原料を使った安全な練り製品の開発に邁進することになったのです。

生活クラブと出会う

食品添加物を使う目的は原料を増量し原価を下げ、しかもおいしそうに見せたり、日持ちさせ、風味のなさを補うものなので、「素材を生かす食品添加物無添加」の練り物を製造するには、自ずと原料選びが重要になります。高橋徳治商店では練り物のベースとなる材料は津波ですり身工場が崩壊し震災後は北海道産の「スケトウダラのすり身」で、保水性や弾力性を向上させるために使われる「リン酸塩」「ソルトビール」を加えていません。さらに石巻魚市場に水揚げされる近海の魚を目利きが朝5時起きして毎日入札し、すり身の原料にしています。同じ魚を使っても、季節によって身質も脂の乗りも異なります。それを見極めながら練り加工をする温度の調整をしていく手探りの日々です。
 
さまざまな失敗を重ねながらも、「無添加」で味に自信が持てる練り製品の開発に成功。大手メーカーの下請けをやめ、新たに開発した練り製品を高橋徳治商店の名前で販売していこうと、販路の開拓に力を入れます。始発で東京に出て、朝から晩まで何ヵ所も回り深夜に帰宅、仮眠して魚市場に。しかし商談が成立しない日々が続きます。目の前で製品を試食もせずに右から左に捨てるような、大手量販店の横柄な担当者に遭遇したことも。そんな中、出会ったのが生活クラブでした。
 
「宿泊代を節約しようと泊めてもらった知人の家で、目に止まったのが『粉せっけん』でした。『粉せっけんは環境や人体に安心』だということを知っていましたから、すぐに『これを売っているのはどこか』と聞いたら、それが生活クラブだった。でも、すぐに仕事になったわけじゃない。笹かまぼこや焼きちくわなどを持って生活クラブの水産担当者のところへ初めて訪ねたのは1982年のこと。そのころ生活クラブは魚介類の扱いを優先していたため、最初の提携まで5年の歳月を要しました。」

生活クラブとの提携がはじまったのは、1987年のことです。それから30年以上にわたって、高橋徳治商店と生活クラブは提携関係にあります。毎年、数多くの生活クラブの交流会に呼ばれる生産者のひとりになっています。

長年、魚の仕入れを担当しているスタッフの梶谷隆さんに魚の見方について教えてもらう敏容さん(右)。
海が荒れた時化の日に製造できないでは困るので仕入れた魚はすぐに急速凍結。解凍して、手早く骨や頭、内臓を取り除き、さばき丁寧に身を取る、すり身にする前にその魚の発する情報を如何にとらえるかだ。たゆまぬ仮説と失敗と悩みと疑問の日々が製品に乗り移る・・・

東日本大震災の津波で、工場は一旦操業停止に

漁港としては東洋一ともいわれ、水揚げ量で全国3位の石巻魚市場。津波で全壊したが、4ヶ月後にテントで仮復旧。2015年9月に現在の魚市場が完成した。

2011年3月11日、東日本大震災が発生。マグニチュード9.0の地震が引き起こした津波は、石巻の町を覆い尽くし、人々も建物もすべてをなぎ倒していきました。高橋徳治商店の3つあった工場も被災してしまいました。高橋さん一家と従業員79人全員が無事だったのは不幸中の幸いでしたが、家族や親戚、友人を亡くした方が大勢いました。海には多数の瓦礫が流れ出し、街の交差点には係留されていた船も押し流されてきました。街はもちろん、豊かだった三陸の漁場も一瞬にして変わり果てた姿となってしまったのです。
震災をきっかけに、東京から戻ってきた次男の高橋敏容さん。

当時、次男の敏容さんは東京で不動産会社に勤めていましたが、急遽会社に長期休暇をもらい、石巻に帰ってきました。全壊した家や工場に入り込んでしまったヘドロや瓦礫の撤去を手伝いに来たのです。強烈な臭いを放つヘドロには重油などが混ざっており、重機もなく全て人手で掻き出さなければいけない状況でした。(本社工場内に入り込んだ津波堆積物は50トンを超えました)

「あんなに元気のない親父を見たのは生まれて初めて。家族がずいぶん落ち込んでいて心配になりました。少しだけ迷いましたが、東京を引き払って事業の再建のためにここに戻ろうと決意しました。その決意には、復興のお手伝いに来てくれていた生活クラブの方々の熱い想いに心打たれたこともあります。初めて生活クラブの方々にお会いしたんですが、みなさん元気で威勢がいい(笑)。そういう取引先の人たちが大勢いて、『高橋徳治商店の練り製品がないと困るんだ』『仲間なんだ』と言ってくれる。そこまで支援してくれる人たちの思いに応えるために会社を潰しちゃいけない、と思ったんです」

 
高橋徳治商店の敷地内には、震災で被災し2013年12月に解体された3工場の鉄骨を使ったモニュメント(右)、復興に使われた用具の一部をおさめた記念碑(中)などが「協働の力」という言葉とともに置かれている。(福祉クラブ生協のカンパを活用)
 

震災から7ヵ月、「おとうふ揚げ」ラインが再稼動!

生活クラブ生協をメインに他にも青森から鹿児島までの取引先の方や民間ボランティア、のべ1,500名もの人たちが泊るところも電気も洗う水も飲み水さえない中、復旧の手助けにやってきました。そのかいあって、その年の10月1日にはかろうじて残った本社工場の使える部分をパネルの壁で仕切って、生産ライン1本を復旧することができたのです。 練りの機械など生産機械を生活クラブ岩手の水沢センターまで太陽食品販売(生活クラブの物流関連企業)の車で運び、おおぜいの組合員が機械をばらして石けんを使って丁寧に洗浄してくれたことで、一部を復活させることができました。

敏容さんは当時を振り返って「100%充実していましたね」と言います。「製造再開」というひとつの目標は、瓦礫とヘドロの撤去に一心に取り組む日々の中で、敏容さんは持ち前のポジティブな性格を発揮、再稼動に向けて大きな力となったのでしょう。

その裏には、従業員をいったん全員解雇せざるを得なかった父の苦悩、その父を支える母の思い、津波の被害・人がなくなる瞬間を目の当たりにしてしまった兄の精神的苦痛など、家族のさまざまな事情もありました。
瓦礫から救った“練り”の機械は、今でも現役で活躍中だ。

再開当初の「おとうふ揚げ」のパッケージ
「おとうふ揚げ」は高橋徳治商店の復旧の象徴です。震災後に初めて生産した「おとうふ揚げ」のパッケージには「3・11はまだ終わらない」と大きく掲げ、多くの人たちの支援を得て生産を再開することができたお礼の気持ちをメッセージにして書き込みました。英雄さんは再開時の組合員の反響を強く記憶しています。

「生活クラブ岩手の職員が背中を押ししてくれて、パッケージに『ヘドロの中から立ち上がった』というようなことを書きました。それを見た組合員の方からお手紙が届きました。また製品をつくることができて本当によかったね、と。小さな子どもたちもパッケージの表書きの話を聞いて、家族みんなで目に涙を浮かべて味わったと書いてありました。また、震災前につくっていた『おとうふ揚げ』を『もう二度と食べられないかもしれない』とずっと冷凍庫に入れたままにしていた組合員の方が、また食べられるようになって嬉しい、大切に取っておいた冷凍庫のものを流されたレシピの代わりにみなさんで召し上がってください、と送ってきました。「生産者・組合員」は「作る人・消費する人」じゃなくて、「仲間なんだね」っていうことを本当に感じました。今でもそれは続いています。」

三陸沖の漁場の復帰にも時間がかかりました。震災後4ヶ月を経てテントで仮復旧した石巻魚市場では水揚げを再開しましたが、「放射能の影響を受けていないと確認できるまでは原料として使用しない」という信念のもと、高橋徳治商店は生活クラブをはじめ外部機関での放射能検査を継続し、事態を見守ってきました。約3年間、一度も数値が基準値を超えないことを確認した上で、2014年から一部の近海の小魚の使用を解禁したそうです。

「いつまで検査を続ければ大丈夫なのか、事業上の焦りもありました。放射能検査も不十分なまま練製品を作る、他社の事業理念もない経営の姿勢を疑い、正直悔しかった。しかし現在売上は戻っていないが、今となっては、会社の信念が試され強くなったとそう考えています」

おとうふ揚げ

フンワリやわらかい練り製品
北海道産のタラのすり身と国産大豆の豆腐でつくった、フンワリやわらかな練り製品です。解凍して、そのままおやつやおつまみにしても、料理の素材としても大活躍。おでんや煮物に使うほか、チーズとあわせたり、焼いたり、炒めものに使ったり、揚げたりと、様々にアレンジして楽しむことができます。

「おとうふ揚げ」の紹介ページはこちら

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