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自立した「小農」の連帯求めて47年

【対談】FU島根・佐藤隆さん vs 生活クラブ連合会長・加藤好一さん

集落営農組織「ビゴル門田」の廣瀬安友さんと「やさか共同農場」顧問の佐藤隆さん(左)。写真中央:「俺たちの屋号はキョードータイ 村に楽しい農業と暮しを…」(自然食通信社)には、弥栄村(当時)入村当時の佐藤さんたちの奮闘ぶりがリアルに記録されている。写真下:「ビゴル門田」が耕す集落営農の水田

生活クラブ生協の消費材の「麦茶」や「あっぱれ育ちホウレンソウ」「あっぱれ育ち小松菜」をはじめ、消費材の原料となるタカノツメなどを生産するファーマーズ・ユニオン(FU)島根。その拠点である島根県浜田市(旧弥栄やさか村)の「やさか共同農場」は、新規就農を志す「Iターン」の若者を数多く受け入れ、地元集落の農業の担い手として育成してきた。同農場顧問で前代表の佐藤隆さんが目指すのは「小農連帯」による地域づくりだ。その思いに生活クラブ連合会の加藤好一会長が迫った。
大組織に依存服従しないことが唯一の重要ポイントだと僕は思っています。
さとう・たかし 1954年7月28日生まれ。広島県出身の65歳。2014年に「やさか共同農場」代表を退任し、広島県の世羅町で新農場設立に奔走中。
 
そこを真剣に考えないと日本に未来はないでしょう。
かとう・こういち 1957年7月28日生まれ。群馬県出身の61歳。2006年に生活クラブ連合会会長理事に就任。環太平洋連携協定(TPP)に一貫して反対している。

地域との「縁」を求めて

加藤 安倍政権は、環太平洋連携協定(TPP)に象徴されるような貿易関税の撤廃と規制緩和による「日本市場の開放」を進めています。この結果、畜肉類の輸入が急増し、全般的に農業の生産基盤の弱体化が進行してしまう懸念があります。次のターゲットはコメと酪農でしょう。佐藤さんたちの「協同農場」がある地域の状況はどうですか。
佐藤 弥栄やさかは1997年に地元農家が農事組合法人を結成し、農家が共同所有する農機具を組合が活用してコメづくりを担う「集落営農」に取り組み、集落で共同運営する日本酒や豆腐の農産加工場も設置しました。そのせいか、集落営農への補助金が削減されるにつれ、地域の活気も失われ、農家が守りに入った観があります。農事組合も設立から20年以上が過ぎ、組合長が交代したのも響きました。農家への基本姿勢や組合の根本理念は継承しなければあかんのに、そこが怪しくなりつつあります。

加藤
 どういうことですか。

佐藤
 前組合長は「集落こそが共同体」と捉え、その維持発展のための集落営農を担うのが農事組合だと考えていました。皆で食料を生産し、地域の文化を共有する「暮らしの場」が集落=共同体ということです。

その考えに僕も深く共感し、集積した地域の農地のどこにイネを植え、どこに大豆を作付けするかを話し合い、約15ヘクタールの水田を大豆に転作する「コメ単作」からの脱却を図りました。転作田で収穫した大豆は、僕ら共同農場が栽培する大豆にコメ、自家製米こうじを原料に1985年から始めた「みそづくり」に活用させてほしいと話しました。

こうして僕が入村して25年目の97年、門田集落が立ち上げたのが農事組合法人「ビゴル門田」です。ビゴルは活力があるというスペイン語です。それが集落の皆の「働く場」となる農産物の生産・加工事業のはじまりでした。

18歳でさらわれるように

佐藤 弥栄村(当時)に僕がやってきたのは72年、仲間4人と「弥栄之郷共同体」を立ち上げましたが、共同体とは名ばかりで、地域とは疎遠の組織でした。その後89年に「やさか共同農場」として再出発したのですが、依然として地域とのつながりは確立できず。「これではいかん!」ともがき続けた僕が、ビゴル門田との連携を通し、地域の一員としての一歩を踏み出せたのです。

しかし、最近では「いつまで共同農場の意見ばかり聞いているつもりか」「もっと行政よりにしてええ。それなら、いろんな補助金がもう少し入ってくるはずや」という意見が、組合のなかでくすぶるようになってきました。

加藤 「いまの日本社会」を象徴するかのような話ですね。

佐藤 僕たちがやって来たころ、すでに「過疎村」と呼ばれた弥栄村は、非常に排他的な集落でした。それでも「助け合い」の精神と「協同の仕組み」はしっかり残っていました。それが急速に衰退しつつあるというしかありません。

突然やってきて共同生活をはじめたジーパンにバンダナ姿の大酒食らいの若者を追い出すことなく、弥栄村は迎え入れてくれたのも「助け合い」の心の表れですよ。ただし、当時は連合赤軍の「浅間山荘事件」の余韻もあってか、地元警察には警戒され、監視小屋まで立ちました。

加藤 とにかく理想に燃えての入村だったわけですよね。

佐藤 とんでもない。僕は高校時代に生徒会活動をしていましてね、卒業するとき仲間に「1年間は敷かれた社会のレールに乗るな。社会勉強でもなんでもいいからやってみてから、地元に集まり、互いの経験を共有しよう」と言ってしまったのが運の尽きですわ。

加藤 何人ぐらいに、そう呼びかけたのですか。

佐藤 5、6人だったと思います。自分から「社会勉強」と言ってしまった以上、成田空港建設反対運動や人権問題をめぐる闘争の現場に進んで身を置こうと律義に考え実行したのですが、そんな高校卒業時の約束を忠実に守ったのは僕だけだったのです。

そうと聞いて腹が立ち、皆を訪ね歩いて回ると、それなりの大学に進学し、彼女と暮らしていたりもする。「もうええわ」と大阪から東京へと向かい、産直運動と出会って都市の生活運動への参加を考え、大阪の釜ヶ崎や東京の山谷での日雇い労働の現場に入っては、農村から出稼ぎに来ている人たちの支援運動に加わろうかと心底迷いました。

結局、釜ヶ崎や山谷で働く人たちが農村に戻れないなら、自分が過疎化していく村に入り、地域の人と一緒に村を再建しようと決めました。すると絶妙のタイミングで、島根県弥栄村で「農業を楽しむ暮らしを実践する」という人と出会ったのです。それが「弥栄之郷共同体」の元リーダー。人さらいに遭ったように、18歳の僕は弥栄に連れて来られたのです。

身をもって知った小農の価値

加藤 来てみて、どうでしたか。

佐藤 もう一面がカヤの海。借りた古民家もかやぶきでしたが、屋根はもうボロボロです。そこを自分たちで修繕し、鎌と鍬で開墾に励みながら、僕らが最初に取り組んだのが村の調査でした。村内や地元集落で、ちょっと知り合いになった人に電話をかけて「いまから話に行っていいですか。昔のことをいろいろ教えてください」とお願いするのです。それから車に乗り合わせ、手分けして家々を回りました。いわば情報収集にかこつけた関係づくりですが、夕飯に酒、翌日の朝飯までごちそうになったものです。

僕が当時から感じ続けてきたのが、いま国連がしきりに訴えている「家族農業」の価値。英語の「Small Holder Agriculture」(スモール・ホルダー・アグリカルチャー)を家族農業と訳したようですが、「小農」がぴったりきます。直訳すれば小自作農ですからね。

僕たちの共同農場も小自作農であり、弥栄で田畑を耕して暮らす小農の一員です。だから抜け駆け、一人勝ちを狙うような売名行為に走っては絶対あかんのです。

加藤 その小農に吹く風は、いまも昔も冷たい逆風ばかりです。

佐藤 そう。日本の現政権は現実を見ようとしていませんからね。農地の大規模集約と機械化で、日本農業の国際競争力を高めるといっても、大規模機械化が可能なのは北海道くらいですよ。特に西日本の農地は小さな田畑の集合体で、大規模化も機械化も企業化にも向きません。

そんなことに熱を入れるより、政府は農業する人間が着実に減ってきているという足元の問題の解決策をもっと出すべきです。一連の自由貿易協定(FTA)締結で浮かれているうちに、他産業も左前になり、都市部の失業率は右肩上がりで高まる恐れもあるわけです。この問題解決に尽力せずにどうするかと言いたいですね。

▲扇畑安志(おおぎはた)さんは就農歴7年だ

協同の意味を伝えるには

加藤 「自動車輸出の拡大で経済成長」と政府はいいますが、すでに日本の自動車産業は販売実績で他国のメーカーに抜かれ、情報通信技術(ICT)でも後塵を拝しています。ならば日本には何が残るかということになりますよね。

佐藤 小農が営み続けてきた農村の暮らしがあり、小農連帯によって誕生した集落営農組織や農産加工場という「働く場」があるじゃないですか。そこに多くの人に気づいてもらわんと。

加藤 そこを真剣に考えないと日本に未来はないでしょう。

佐藤 いまや都市と農村の分断は一層深刻となり、消費一辺倒の経済が勢いを増しています。生活クラブ生協には、農村を都市からつくり直すための「強い支え」になってもらいたいです。僕たちは今後も、先祖代々続いてきた弥栄の農家に、自分たちが汗する姿を意識的に見せていきます。

「共同農場の連中は資金的に余裕があるから、二人も三人も人を雇える。お金がない俺たちは自分でやるしかないが、一人のほうが効率は上がる」と集落の農家に思われた瞬間に、せっかく育ちつつあった協同の萌芽ほうがは枯れ、「一人親方志向」が復活してしまいます。そうではなくて、協同すれば一人より2倍にも3倍にも量と質が高まることを自らの労働で示すのが、僕ら共同農場の役割ですよ。

加藤 でも、その考え方を次世代に伝えるのは大変でしょう。

佐藤 そりゃもう、目いっぱい煙たがられていますわ。でもね、若い世代に心に苦く耳には痛い助言をするのが、今年65歳になる自分の役目じゃないですか。

いま、僕らの農場にはベトナムで僕がスカウトした男子実習生のタン、アイン、クイの3人が来てくれています。全員農家の出身です。彼らに仕事の段取り力、地域との関係づくりのためのコミュニケーション力、経営判断を的確にするための情報収集能力を身に付けてもらい、ベトナムに帰ってもらうのが僕の務め、使命だと張り切っているところです。

僕らが参加する「西日本ファーマーズ・ユニオン(FU)」も、生活クラブと提携する小農連帯であり、事務局機能を協同で維持し、収支も情報公開する透明性の高い組織です。その西日本FUが弱体化し、適当にかき集めた農産物をただ出荷するだけの旧態依然とした「農家問屋」にならんようにするには、一番小さな事業単位で、直接農業を担う小農が精神的に自立し、大組織に依存服従しないことが唯一の重要ポイントだと僕は思っています。まさに自立なくして連帯なしです。

加藤 その話を生活クラブ組合員とする多くの機会をつくってください。私も佐藤さんたちの農業実践と理念に感銘し続けてきましたが、今日も実に心地の良い刺激をたくさんいただき、本当にありがとうございました。
▲就農歴9年の高橋伸幸さん(42)と妻の千寿江さん(40)
▲高橋さんが開設した野菜出荷施設にも若き研修生の姿がある。やさか共同農場と連携し、地元農業を支える「小松ファーム」。今年からはベトナムからの研修生も加わり、農業経営に必須の農業技術と情報収集能力、コミュニケーション力を高める熱心な指導を受けている

▲新規就農を志す若者を積極的に受け入れ、丁寧に指導して地元集落に送り出す
撮影/魚本勝之   取材・構成/本紙・山田 衛

14番目の月も捨てがたい


スポーツの世界を舞台にした劇画は「スポ根もの」と呼ばれる。その代表作といえば、梶原一騎原作の「巨人の星」だろう。

ごめんな、若ぇの。この「巨人」は残念ながら人は食わんし、進撃もしない。プロ野球読売ジャイアンツの星飛雄馬という左投げ投手と彼のライバルとの対決がドラマチックに描かれ、飛雄馬やライバルの瞳がそれこそメラメラ炎上したりするんだわ。

ライバルに勝つには忍の一字でひたすら努力、飛雄馬とライバルたちは互いに猛特訓を重ねるからスポーツ根性(スポ根)漫画といわれるわけ。おまけに巨人の星では、飛雄馬を猛特訓でプロ野球選手に育て上げた巨人軍OBで、実の父親の一徹が敵チームのコーチとして、息子の前に立ちはだかる。いやはや、まいったねぇ。実の父親がライバルだもん。
さて閑話休題。「やさか共同農場」の話をしよう。現代表の佐藤大輔さんは、前代表の佐藤隆さんの長男。でも、大輔さんは父親の隆さんを「佐藤さん」と姓で呼ぶ。この関係はともに共同農場で働くようになってからも、ずっと変わらないというから、まるで高校野球の強豪校で監督(父)と選手(息子)のようじゃない?

「息子だからという理由だけで、あいつを代表にしたと集落の人間に思われたら、情けない」と隆さん。ねっ、高校野球の監督も選手選びのとき同じような発言するよね。「だから、実力主義でいくと決めたんよ。僕が新規開拓中の広島の世羅農場と大輔の共同農場のどちらが、ようけぇしっかりした作物をこさえて出荷するかを競うとるわけ」と不敵に笑う隆さん。

そんな千本ノックならぬ批判の嵐を耐え忍び、黙々と日々の仕事に励む大輔さん。この光景は初めて弥栄やさかを訪ねた8年前から変わらず、彼が新代表となった2014年以降はさらに激しくなった。そんなとき、決まって胸にこみあげるのが〈これじゃあ、スポ根ならぬアグ根(アグリカルチャー根性)物語ではないか〉の思いだ。
 
平均年齢40歳の若き「共同農場」を切り盛りする佐藤大輔さん(38)
ひたすら人より働くことを目指し、その姿で地域の土地付農家に「協同農業」の価値と意味を訴えてきた父。その胸中を十分察しながらも、「いまにはいまの協同のあり方がある。それを自分は何としても見つけねば」と必死に道を探す息子。父には頼りなく見えるかもしれないが、大輔さんのアグ根は着実に強化され、共同農場の田畑を耕す若者たちの胸に静かな闘志をともす力となっているのに……。

そうひとりごち、夜空を見上げると14番目の月が浮かんでいた。そういえば、次の夜から欠ける満月より、この月が一番好きとユーミンが歌っていたっけ。そうだよ、大輔さん。「まだ自分は14番目の月。だから頑張れるんだ」と隆さんに言ってあげなよ。

 
撮影/魚本勝之   文/本紙・山田 衛

『生活と自治』2019年6月号「これに賭ける!」を転載しました。

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