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提携から46年 常に逆風やまず。だが――【コーミ】


愛知県名古屋市の調味料メーカーのコーミは1974年に生活クラブと提携し、国産加工用トマト100パーセントのケチャップを生産し続けてきた。生活クラブの組合員の「おいしい!」の声に応えてきた歴史は、原料確保との闘いの記録でもある。その歩みを同社営業課長で生活クラブ担当の相馬英輔さん(56)に聞いた。

「グルソー抜き」という難題


生活クラブ担当の相馬英輔さん
――コーミに入社され、生活クラブ生協の担当になったのはいつですか。

「入社は1984年。すぐに営業部署に配属となり、製造現場は研修で行ったくらいで、ほとんど知りません。生活クラブ担当になったのは2004年です」

――トマトケチャップの開発は1974年からですが、どなたが生活クラブを担当されていたのですか。

「常務取締役の藤田幹夫(故人)です。生活クラブから求められていたのは、国産原料だけを使い、化学合成添加物とグルタミン酸ソーダ(グルソー)は一切不使用で、プラスチックではなく瓶容器に入ったケチャップの開発でした。それは当時の食品メーカーの進もうとする方向とは真逆の選択ですから、大きな決断と責任が伴います。やはり役員にしかできない仕事だったということでしょう」
――グルソーを抜くのには大きな苦労があったと聞いています。

「まだ加工用トマトの国内生産が盛んで、愛知県の生産量が日本一だった時代ですから、国産原料だけを使うという条件はクリアでき、容器には633ミリリットルのビール瓶を使うと決まりました。しかし、グルソー不使用には『味が落ちたらどうする』『それで本当に品質が安定するのか』という反対意見が社内には強かったようです。

だから最初はグルソー入りのケチャップから始めるしかなく、藤田は業界常識を覆すことになる生活クラブの選択の社会的な意味を社内に説いて回ることに腐心し、グルソー不使用という課題を克服しました。その後、注ぎ口の狭いビール瓶では中身が出しにくいという生活クラブの組合員からの意見に応え、広口瓶の導入も決めています。

そのとき1本の容量を380グラムにして、これを2本1組で共同購入してもらうことにしたのです。この規格変更により、生活クラブの利用本数は年間120万本と過去最高を記録しました。広口瓶を再使用可能なリターナル(R)瓶に変えたのは94年、その後2010年からは1本370グラム入りのユニバーサルデザインのR瓶を使用しています」

最初は1992年

――初めて加工用トマトが調達不能になったのはいつですか。

「1992年です。80年代前半まではカゴメとデルモンテの2大メーカーが農家に契約栽培を委託し、愛知県や栃木県、福島県などで収穫された加工用トマトを使っていました。しかし、トマト加工品の輸入自由化で、外国産トマトペーストの使用比率が高くなったのです。

次第に加工用トマトの国内生産量は減少していき、異常気象の影響もあって、92年には当社も国産加工用トマトが確保できず、チリ産トマトを原料とするケチャップを生活クラブに出荷せざるを得なくなりました。

その5年後の97年に生活クラブの担当になった当社の牧戸正博(現・コーミ顧問)は、生活クラブ連合会専務理事だった河野照明さんから「生活クラブの組合員と加工用トマト生産農家が互いに顔を合わせる機会を増やしてみてはどうか」と助言され、産地交流の強化に力を入れました。併せて愛知県内のJAや生活クラブと提携する各地の生産農家に出向き、加工用トマトの契約栽培をお願いして回ったのです。

しかし、たとえ生産農家が見つかっても、畑の近くに採れたてのトマトを搾汁できる工場が確保できなければお手上げです。愛知県内であれば当社の豊橋工場での搾汁が可能ですが、同様の対応ができる地域は限られてしまいます。この状況は、現在も変わっていません。

さらに地面を這(は)うように栽培される加工用トマトの収穫が7月下旬から8月中旬ということもあり、真夏の作業を敬遠する農家も多く、産地拡大は思うように進まなかったのです」

その後も原料がショート

――その後も国産加工用トマトの確保は困難な状況が続いています。

「毎年が綱渡りです。深刻な原料不足に陥った2006年は、米国産有機栽培トマトのペーストを使ったケチャップを生活クラブに出荷しました。牧戸は人一倍悔しかったのでしょう。加工用トマトの産地を求めて国内各地を奔走し、僕もよく付いて回りました。

それが功を奏し、宮城県のJA加美よつばが栽培に取り組んでくれたのです。ところが、11年には福島第一原発事故の影響で原料の出荷が一部制限されました。まさにショート寸前でしたが、生活クラブにケース単位の購入を中止してもらい、何とか乗り切ることができたのです。その後、北海道沼田町や石川県のJA小松市が加工用トマトの契約栽培に取り組んでくれ、当社の原料確保に大きく貢献してくれました。

ところが、18年は度重なる台風の襲来で加工用トマトが大不作。生活クラブの組合員には大変申し訳なかったのですが、19年5月から20年1月までは米国産有機トマトペーストを主原料に使用し、生食用トマト果汁を3割加えたケチャップの共同購入をお願いしました。

「オンリーワン」の期待に

常に逆風やまずですが、いまも牧戸は産地拡大に尽力し、長野の農事組合法人が加工用トマトの栽培に乗り出しました。さらに生活クラブ連合会は農産物の共同購入で提携する茨城県の丸エビ倶楽部、日本デルモンテと当社との業務連携協定を20年2月に締結し、『生活クラブ加工用トマト振興協会(仮称)』を設立。生産者支援基金で加工用トマトの収穫機を購入し、丸エビ倶楽部へのリースも決めています」

関連記事:ゆずれない、国産原料100%(生活と自治2020年6月号「ものづくり最前線 いま、生産者は」)


――生活クラブ担当となって16年。現在の心境をお聞かせください。

「1本に約1キログラムの国産加工用トマト100パーセントで作っていますとどんなに強調しても、一般市場では数ある商品の一つに過ぎません。それを生活クラブの組合員はオンリーワンと認めてくれています。それは双方の徹底した情報開示に基づく関係性でしょう。その緊張関係が快感になってきました。

もうひとつあります。当社会長の川澄正美が社長時代の07年に愛知県の行政担当者やJA、同業他社に生協、学校給食関係者に呼びかけ、全国トマト工業会の協賛も得て『愛知県産加工用トマト拡大協議会』を立ち上げました。

そこには『地元愛知産のトマトで生産した加工品を生産農家自身に届け、生活クラブ以外の人にも広めたい』という強い願いが込められていました。この地産地消の精神を共有した現社長の川澄亮太も『県内での普及にもっと力を入れていこう』と話しています。これが生活クラブの主張する事業と運動の一体化かもしれないと思うようになりました」

愛知県豊橋市内の加工用トマト生産者
コーミ顧問 牧戸正博さん
寝ても覚めてもトマト、トマト
今も各地を回って加工用トマトの生産を呼びかける牧戸正博さん
三重県松阪市の農家に生まれ、高校を卒業した1969年、愛知県名古屋市のコーミに入社。新入社員時代には、広大なキャベツやブロッコリー畑に囲まれた豊橋工場の製造ラインに入っては「ケチャップを炊き、できたてのケチャップの瓶詰めに精を出したもの」と目を細める。

無類の負けず嫌いで根っから人好きな性分を初代社長の川澄鋼一さん(故人)に見込まれ、営業部営業部長を任されたのは41歳になった92年、翌年6月には取締役営業部長に就任した。その仕事ぶりを「さながらマグロ。常に動いていないと生きていけないんじゃないか」と評すのは、同期入社で家族ぐるみの付き合いを続けてきた同社現会長の川澄正美さんだ。

生活クラブの担当になったのは97年。ケチャップに使用する食酢にわずかに含まれるアルコールの原料をトウモロコシ由来からサトウキビ由来に切り替える遺伝子組み換え(GM)対策に取り組んだ。

その後、2005年にはコーミの常務取締役として、国産加工用トマトの産地拡大の陣頭に立った。以来「寝ても覚めてもトマト、トマト」と苦笑する。
そんなワーカホリックな日々がたたってか、大病を患うもすぐに職場に復帰。加工用トマトの生産者を求め続けてきた。とはいえ、さすがのタフガイも今年で70歳。「喜寿の声を聞くと弱気にもなるが、まだまだやらなければならないことがたくさんある」と前を向く。

連れ添って48年になる最愛の夫人と旅三昧(ざんまい)の暮らしを送るのが夢というが、その実現はしばらく先になりそうだ。

撮影/魚本勝之
文/生活クラブ連合会・山田衛

『生活と自治』2020年6月号「新連載 産地提携の半世紀」を転載しました。
【2020年6月20日掲載】

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