浜に吹く風――37歳漁師の胸中――②
【寄稿】福岡県宗像漁協 権田幸祐さん
福岡県宗像市の宗像漁協組合員で漁師歴20年の権田幸祐さんは、地元鐘崎地区の漁師仲間と乱獲を防ぐ「資源管理」に取り組みながら、プラスチックによる海洋汚染対策に力を注いでいます。さて、いまを見つめる権田さんの胸の内は――。
「急所」突く難問と低迷続ける「魚価」の狭間で
一度出漁すれば数十万から数百万円単位の経費がかかります。それを補ってあまりある漁獲量があればいいのですが、この何年も魚影は遠く、狙った魚が思うようにあがらない日が着実に増えてきました。運よく豊漁となって市場に運べば、期待外れの安値に肩を落とすことも少なくありません。そういうときは他の船の水揚げ量も多いからです。これが私たち漁業者の直面している現実です。背景には石油の国際価格の高騰をはじめ、資源管理の不徹底や気候危機による海洋資源の枯渇といった要因があります。どれも水産業の「急所」を突くような問題ですから、新規就業や後継者の確保が困難になるのはいうまでもなく、結果として漁業者の高齢化に拍車をかけることになります。
私は漁師になって20年になりますが、魚の浜値は年々下がり続けています。何をいまさらと思われるかもしれませんが、日本は周囲を海に囲まれた島国です。となれば、海の恵みである「海産物」を生きる糧にしてきたのは間違いなく、鮮度の高い魚介類を味わい、その「うま味」を活用して各地に固有の食文化を発達させてきたと考えるのは自然でしょう。しかし、社会の利便性が高まり、都市での暮らしが当たり前になるにつれて海は遠い存在となり、「海産物」の価値自体が顧みられなくなってしまいました。1970年代には世界で最も魚を食べていた日本。そこで暮らす人びとが「海とともにある暮らし」を手放そうとしているような気がしています。
私は漁師になって20年になりますが、魚の浜値は年々下がり続けています。何をいまさらと思われるかもしれませんが、日本は周囲を海に囲まれた島国です。となれば、海の恵みである「海産物」を生きる糧にしてきたのは間違いなく、鮮度の高い魚介類を味わい、その「うま味」を活用して各地に固有の食文化を発達させてきたと考えるのは自然でしょう。しかし、社会の利便性が高まり、都市での暮らしが当たり前になるにつれて海は遠い存在となり、「海産物」の価値自体が顧みられなくなってしまいました。1970年代には世界で最も魚を食べていた日本。そこで暮らす人びとが「海とともにある暮らし」を手放そうとしているような気がしています。
一方、諸外国の人たちが「海産物」の価値に大きく注目するようになってきました。健康志向にもとづく魚介類とコメを中心とする日本食への関心が高まっているようです。欧米では勤労者の年間平均所得が着実に上向いていて、海産物の需要も旺盛です。一方、日本の年間平均所得は伸び悩んだままで「より低価格なもの」を消費者が求めざるを得ない状況に立たされています。「時短」や「レンチン」という言葉に象徴されるように、食事に使う労力や手間を省かなければならない人も増えてきました。「肉より高い」といわれ、調理にいささか時間を要する魚は、いまや敬遠されがちの存在になってしまったのかもしれません。
自分たちだけではままならない「資源管理」に無力感も
こうしたなか、年々減少する魚の消費量が魚価の長期低迷を誘引し、輸入魚介類の増加とあいまって漁業者の所得も減少しています。それを「多獲」で補おうとすれば資源管理の不徹底という問題につながる恐れもあります。この間は新型コロナ禍とウクライナ紛争で世界的に物流が混乱し、原油価格の高騰により物流費が上昇したことで、輸入魚介類の調達も従来通りというわけにはいかなくなってきていますが、依然として私たち沿岸漁業者は厳しい状況に立たされたままです。
20年前は漁師として頑張れば努力は報われると思える環境がありました。「今日はだめでも明日がある」と励ましあいながら身近な目標を立て、皆で頑張ることができていたのです。次第に漁船の設備や積載した機器も進歩していき、現在では「より良い魚」を鮮度の高い状態でいち早く港へ持ち帰れるようになってきましたが、私たち宗像漁協の鐘崎地区では「乱獲」への危機感が強く、浜全体で力を合わせて大真面目に資源管理に取り組み、獲り過ぎを防いできました。それを誇りに思っているのはもちろんですが、同時に強い無力感にとらわれることがあります。
どんなに頑張っても私たちだけの力ではいかんともできないのが、地域も国も超えてつながる広大な海なのです。私たちの努力だけでは資源管理も効果が薄く、そのための費用も「持ち出し」続きとなって重い負担となりつつあります。このまま水揚げが減少するなかでの魚価低迷が続けば、漁協の経営基盤は大きく揺らぎ、資源管理のための資金を捻出する体力は着実に削られていくことでしょう。私が所属する巻き網漁とトラフグ漁も年間水揚げ高がかつての半分以下となりました。一方、漁具や漁労機器といった必要な設備の価格は倍以上に高騰し、燃油代を含めた漁に必要な経費も増大しています。この状況を見通せなかった自分自身に無性に腹がたちます。もっと自分にできることはなかったのかと歯噛(が)みするような気持ちになるのです。
先に申し上げたように漁業者にとって魚価低迷は死活問題ですが、消費者の視点に立ってスーパーの店頭に並んでいる魚の値段を見てみると「決して魚は安くない」と感じます。自分たちがとってきた魚の卸値を知っている分、余計に高く感じてしまうのかもしれません。それでも「質のよい魚」に出会うこともあり、その場合は迷わず買います。しかし、値段を見てあきらめ、魚以外の食材をカゴに入れてしまうことが少なくありません。その値段の向こうには加工流通に携わる人たちの苦労があり、そのコストが反映されているのはわかっています。わかっていますが、その起点となる漁業者の労働の価値が報われているとは残念ながら思えません。さて、どうすれば私たち漁業者が今後も海を守りながら、漁業を持続していけるのでしょうか。次回は具体的な提案をさせてもらいます。
写真提供:権田幸祐さん