壮観すぎて泣けてくる。「くせに」と表裏の閣僚人事
【連載コラム】何気ない日々の向こうに――第9回 朝日新聞編集委員 高橋純子さん
推定4人の読者の皆様こんにちは。先月発足した、第2次岸田再改造内閣の顔ぶれをご覧になりましたか? ひな壇にずらり並んだ26人の副大臣と28人の政務官、計54人が全員男性の絵面はなんとも壮観でしたね。壮観すぎてあたしゃ泣けてきましたよ。これが2023年の光景とは信じられません。信じたくありません。
ホントニイッタイナニヲドウカンガエタラコンナジンジガデキルノダロウ?
頭に「?」がいっぱい詰まったまま、とあるテレビ番組に出演した私。男性しかいない絵面について「おぞましい」とコメントしたところ、SNS上で「男性差別だ!」などと吹き上がっている国会議員らがいたそうだ(私自身はSNSをやらないので知らなかった)。
なに寝言いってるんですかね? 差別とは「特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為を指す」(「ブリタニカ国際大百科事典」)のであり、マイノリティーはマジョリティーを嫌悪することはできても、差別することはできない。少数派がどうやって多数派に不利益を強制できるっていうんだよ(もちろん暴力を用いれば別だが、それは差別とは次元の異なる話だ)。だからもし仮に圧倒的な女性優位社会があったとして、そこで女性しか要職に起用されなかったら、私は当然「おぞましい」と指摘するわけだ。当たり前ではないか。
東証プライム上場企業の女性役員比率を2030年までに30パーセント以上にする目標を示し、「女性活躍社会の推進」の旗を振っている岸田首相が、副大臣・政務官54人全員を男性にする。すべてわかったうえでやっている。これを「おぞましい」と言わずして、何を「おぞましい」と言うのだろう。いや、そもそも吹き上がっているひとびとは、「おぞましい」の意味を正確に理解していないのかもしれない。
【おぞましい】ぞっとするほどいやな感じがするさま。(「明鏡国語辞典」)
そう。別に大したことを言ったわけではないのだ、私は。それともあれか?「いやだぁ。純子ぞっとしちゃうぅ」とでも言えば良かったのか?
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いかん、いかん。せっかく「生活クラブ」という上品な場を提供して頂いているのに、売られたケンカを買ってる場合じゃなかった。すみません。
だけどいまも時折、26人と28人の絵面がフラッシュバックすることがあるのだ。「女は添え物」「女は能力的に劣る」。そんなメッセージを感受して、どうにも気分が沈む。「被害妄想だ」なんて笑う向きがあるかもしれないが、それは違う。ユーミンに歌ってもらうまでもなく、「すべてのことはメッセージ」である。とりわけ政治の世界において人事は、為政者の最たるメッセージだ。首相もさすがにそこはわかっているから、閣僚人事では、過去最多タイとなる5人の女性を起用したのだろう。
ところが、である。「女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら仕事をしていただくことを期待したい」と記者会見で言ってしまった。すべて台なしになった。
「女性ならでは」。このカードの裏には「女のくせに」と書かれている。女性の「分」をわきまえて行動しているぶんには「よしよし」とかわいがってもらえるが、いざひとたび逸脱すればカードはひっくり返り、「女のくせに」とそしりを受けることになる。このカード、時に「切り札」として使えるので大事に握りしめている女性も少なくないが、思い切ってゴミ箱に入れない限り、女性の足には枷がはめられたままだ。マジョリティーたる男性が作った檻の中から抜け出すことはできない。
その意味で残念なのが、外相に抜擢された上川陽子氏である。氏が有能であることは、永田町を多少なりとも取材していれば漏れ伝わってくる。しかし、彼女は自ら「女性ならではの視点を、組織のあり方や、働き方改革にも生かしていきたい」と就任会見で語り、大いに失望させられた。閣僚経験も豊富で、現職の女性国会議員では先頭を走る彼女がどうして今だに「女性ならでは」をわざわざ強調するのか。後に続く女性たちのために道を「広げる」のが、先をいく女性の役割のはずだ。「外相としての仕事に、女性も男性も関係ありません」くらいのことがどうして言えないのだろうか。結局は「よしよし」されたい、後進のことよりも保身が先に立つということなのか……。ちなみに5人の女性閣僚のうち、上川、高市早苗両氏以外は世襲。なんともトホホな日本政治の現状である。
2020年に87歳で亡くなった米国の女性最高裁判事、ルース・ベーダー・ギンズバーグ(RBG)の名セリフを思い出す。
「特別扱いは求めません。男性の皆さん、私たちを踏みつけているその足をどけて」
(※冒頭の「推定4人の読者の皆様」は、敬愛するエッセイスト、故・高山真さんへのオマージュです)
撮影 魚本勝之
たかはし・じゅんこ
1971年福岡県生まれ。1993年に朝日新聞入社。鹿児島支局、西部本社社会部、月刊「論座」編集部(休刊)、オピニオン編集部、論説委員、政治部次長を経て編集委員。