「東日本大震災 被災地視察(福島コース)」に参加
丘の向こうに福島第二原発が見える海岸線。少し高台になっているが道路標識を超える高さの津波が到達した
10月6日~7日に東日本大震災の被災地である福島県を生活クラブ生協の組合員リーダーの4名が視察しました。東日本大震災から今年で12年。被災地で支援活動をする方の生の声を聴いてきました。
「ひまわりプロジェクト」と共生社会
福島を拠点に障がいを持つ方たちを支援する活動をおこなっている、NPO法人シャロームまちなか夢工房(※以下シャローム)にお伺いし、大竹理事長より同法人の目指す「共生社会」についてと、その中でひまわりプロジェクトの果たす役割についてお話しいただきました。
「シャロームの掲げる『共生社会』とは、読んで字のごとく『共に生きる社会』です。自己責任で競争する社会ではなく、皆で守りあい繋がりの中で生きていこうという考え方が心の復興を支えてきました。これを具現化したものの一つが、『ひまわりプロジェクト』です。子供からお年寄りまで誰もが関わりやすく、共通の作業をおこなう中で身近な人たちがつながる。福島から種を送り全国で育ててもらい採取した種を福島に送り返してもらうことで、一方通行の金銭的な支援ではなく心の繋がった双方向の活動となっています」
ひまわりプロジェクトとは
「シャロームの掲げる『共生社会』とは、読んで字のごとく『共に生きる社会』です。自己責任で競争する社会ではなく、皆で守りあい繋がりの中で生きていこうという考え方が心の復興を支えてきました。これを具現化したものの一つが、『ひまわりプロジェクト』です。子供からお年寄りまで誰もが関わりやすく、共通の作業をおこなう中で身近な人たちがつながる。福島から種を送り全国で育ててもらい採取した種を福島に送り返してもらうことで、一方通行の金銭的な支援ではなく心の繋がった双方向の活動となっています」
ひまわりプロジェクトとは
大竹理事長との懇談
一緒に働き、一緒に笑う
続いてシャロームの運営する就労継続支援B型施設、ベーシック憩に伺いました。各作業を通して働く機会をつくり障がい者が社会に出ていくステップとなるための施設です。「ひまわりプロジェクト」で集められた種からできた油やせんべいやクッキー等も、こちらの施設で包装や梱包をおこなっています。
主任生活支援員の杉山紀代さんにお話しいただきました。「私たち職員は支援・指導するというより一緒に働く同僚という意識で接しています。一緒に働き、苦労も喜びも分かち合う。その中で共同作業の難しさや社会のルールを肌で感じてもらい、社会に出ていくための手助けになればと思っています。」
利用者さんは皆さんとても明るく元気で、一つ一つの作業を丁寧におこなっている姿がとても印象的でした。
主任生活支援員の杉山紀代さんにお話しいただきました。「私たち職員は支援・指導するというより一緒に働く同僚という意識で接しています。一緒に働き、苦労も喜びも分かち合う。その中で共同作業の難しさや社会のルールを肌で感じてもらい、社会に出ていくための手助けになればと思っています。」
利用者さんは皆さんとても明るく元気で、一つ一つの作業を丁寧におこなっている姿がとても印象的でした。
ひまわり油「みんなの手」
地域の拠りどころ、心の拠りどころ
続いてNPO花見山を守る会に伺い、代表の高橋真一さんにお話しいただきました。
「私たちは、2005年より花卉農家や花見山周辺の方々に貢献することを目的に活動をおこなっており、定期的に花卉販売やバザーをおこなっています。普段から地域の人が自然に集まってきておしゃべりをして帰る、地域の拠りどころになっています。2011年の東日本大震災の後には支援物資を届ける活動をおこなっていましたが、届けた先で震災孤児がたくさんいることを知り、以降大学卒業までの資金や物資の支援をおこなっています。子供たちの多くは祖父母や親せきの家に引き取られ暮らしていますが、経済的な負担だけでも減らせるようにと、夏・冬・クリスマスに支援をおこなっています」
「私たちは、2005年より花卉農家や花見山周辺の方々に貢献することを目的に活動をおこなっており、定期的に花卉販売やバザーをおこなっています。普段から地域の人が自然に集まってきておしゃべりをして帰る、地域の拠りどころになっています。2011年の東日本大震災の後には支援物資を届ける活動をおこなっていましたが、届けた先で震災孤児がたくさんいることを知り、以降大学卒業までの資金や物資の支援をおこなっています。子供たちの多くは祖父母や親せきの家に引き取られ暮らしていますが、経済的な負担だけでも減らせるようにと、夏・冬・クリスマスに支援をおこなっています」
花見山の見晴らし台にて集合写真
震災遺構:浪江町立請戸小学校を訪ねて
2日目は、震災後に村全体が避難区域に指定(現在は解除)された川内村で活動をする、NPO昭和横丁の志田篤さんのお話を聞きながら一緒に被災地域を視察しました。
最初に福島第一原発の北部に位置する、浪江町の請戸小学校を訪ねました。海岸から300mに位置する請戸小学校は震災当日、約15mの高さの津波に襲われました。幸いにも児童・教職員全員は無事に避難ができました。しかしその後の原子力発電所の爆発により、浪江町民はみんな町外へ避難しなければならなくなりました。校舎の中は剥がれ落ちた壁やひしゃげた鉄骨などがむき出しになっており、津波の恐ろしさを物語っています。年数がたった今、現地で実際に被災した方々の中には遺すべきだという人と、一方でもう忘れたいから解体してほしいという人も少なくないそうです。
最初に福島第一原発の北部に位置する、浪江町の請戸小学校を訪ねました。海岸から300mに位置する請戸小学校は震災当日、約15mの高さの津波に襲われました。幸いにも児童・教職員全員は無事に避難ができました。しかしその後の原子力発電所の爆発により、浪江町民はみんな町外へ避難しなければならなくなりました。校舎の中は剥がれ落ちた壁やひしゃげた鉄骨などがむき出しになっており、津波の恐ろしさを物語っています。年数がたった今、現地で実際に被災した方々の中には遺すべきだという人と、一方でもう忘れたいから解体してほしいという人も少なくないそうです。
津波の被害を受けた1階の教室内
何年経っても消えない爪痕
続けて浪江町から少し南下し、双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れました。映像やジオラマなどたくさんの展示物があり、事故が起きたときの状況や復興に向かっておこなわれてきたことなどがわかる展示になっています。きれいで立派な施設ができる一方で、双葉町も前述の浪江町も未だに多くの帰還困難区域が存在します。空間線量は落ち着いてきたとはいえ、山間に住んでいた方の多くは家の周辺が除染されていないため、家の前や道路にバリケードが張られ帰れない方がたくさんいます。
帰宅困難区域の住宅
視察を終えて
案内をしてくれたNPO昭和横丁の志田さんの「切ない」という言葉が何度も胸に響きました。 (生活クラブ愛知 土肥美穂さんの感想抜粋)
福島の現在を決して忘れてはならないと強く思った2日間の視察でした。(生活クラブ神奈川 戸田美智子さんの感想抜粋)
福島県の被災地では整備や建て直しで復興が進んでいる箇所もありますが、原発事故の影響で未だに2011年から時が止まったままのような地域もたくさんあります。生活クラブ生協は引き続き、被災した提携生産者や現地で復興活動を行なっている交流のある団体と協力し、今後どのような事ができるかを検討しながら活動をしていきます。
福島の現在を決して忘れてはならないと強く思った2日間の視察でした。(生活クラブ神奈川 戸田美智子さんの感想抜粋)
福島県の被災地では整備や建て直しで復興が進んでいる箇所もありますが、原発事故の影響で未だに2011年から時が止まったままのような地域もたくさんあります。生活クラブ生協は引き続き、被災した提携生産者や現地で復興活動を行なっている交流のある団体と協力し、今後どのような事ができるかを検討しながら活動をしていきます。
以上
【2023年10月27日掲載】
【2023年10月27日掲載】