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アイドル研究家の「生活クラブ観」――「動的」な強みに注目――

中森ゼミ第1回
 
アイドルグループの推し活では、メンバーごとに決まった色があり、ファンはその色で“好き”を表現する=写真は生活クラブ長野のイベントにて
 
好きなアーティストやキャラクターを「推し」と呼び、応援する「推し活」。そんな個々人の主体性に基づくムーブメントを新たな価値の創出と位置付け、その可能性を著書の『推す力』(集英社新書)で言及した中森明夫さん。思えば生活クラブ生協も歴史的に「推す力」を発揮してきたのではないかと、先年から意見を伺うようになりました。今回のテーマはアイドル研究家の「生活クラブ観」です。

「生活」見据え、言うは易く、行うは難しい課題に挑む姿に

――生活クラブ生協が設立されたのは1968年。政治の変革を求める動きが世界的に高まり、日本では「東大紛争」に代表される学生運動が激しさを増していった年でした。生活クラブの初代理事長となった岩根邦雄さん(故人)は「クラブ」という言葉に、生活を見つめ直すことを起点に社会を変えていく、そのための具体的なアプローチを積み重ねていく場をつくるという思いを込めたと話してくれたことがあります。
 
いいですね。政治真っ盛りの季節に「生活」と言い切ったのが、とにかく素晴らしい。その点を実に分かりやすく説いてみせた小説家が、吉本ばなな氏です。世界的な大ベストセラー小説『キッチン』で、私のいちばん好きな場所は台所と彼女は書いています。世界中の家庭に台所はある。そこで世界中の人々が毎日食事を作って食べている。ごくごく当たり前のことですが、よく考えたらそれは大変なことですよ。政治よりもよほどすごい。その生活の細部にこそ、いわばミクロの政治があって社会の姿があるわけです。そうした意識が希薄な時代に、個々の生活を変えるというテーマを掲げたのは生活クラブの先見の明でしょう。この間、生活と政治の関係が「令和のコメ騒動」で明らかになりましたね。ふだん何気なく食べているコメと国家が実は直結していたのだと多くの人びとが改めて気づきました。当たり前に買えたものが買えなくなる不安と怖さをリアルに感じたことでしょう。

そうしたなか、コメにまつわる報道は「価格動向」ばかりに焦点が当たり、「とても高くて買えない」という声だけが増幅された感があります。それを「消費者目線」と言い換えたりもするわけですが、そこに私は「ずれ」を感じます。そもそも生活という言葉は「生きる」と「活かす」で構成されていて、その2つがつながっているところがなかなかすごい。そこには生きる、生かされる、活かす、活かされるという相互関係が内包されているわけです。だから生産と消費の線引きを超えて、ともに生活者として対等な関係にある、という生活クラブの考え方に私は深く共感します。もちろん、コメに限らず、毎日食べるものは安いに越したことはないですよ。でも、それが持続的な安定生産を毀損するものなら、回り回って消費を困難にする選択になる。だからこそ生産者と消費者が意見交換を重ねて、打開策を見つけていかなければならない。この言うは易く、行うのが難しい課題の解決に生活クラブの皆さんは挑み続けてこられたのだ、と。生活クラブの歩みに関する資料を読み直して痛感しました。
 
3月30日に都内で行われたトラクターデモは、令和の米騒動とともに、コメづくりを支える農家の声を可視化する場となった

――以前、『広告批評』という雑誌の編集長だった天野祐吉さん(故人)に「消費の創造性」というテーマでお話しを伺ったことがあります。そのとき、天野さんは「消費が掘り起こす社会的価値」に触れられました。中森さんが注目されている「推す力」に通じるものを感じます。推しの原点は個々人の「好き」であり、その「好き」を人に勧める「推し」への共感が生まれ、その連鎖が一つの社会的価値を形成され、さらに推す対象に「推されて」輝く自分を発見する。そうした双方向的な関係性が生活クラブの取り組みには根ざしている気がしています。
 
その通りだと思いますし、天野さんの社会的価値の創造、あるいは掘り起こしとしての「消費」という視点には深く共感します。やまだ紫という漫画家の「性悪猫」という作品のなかで、母猫がこう言います。「わたしはね、子を生むとき、母親のわたしも一緒に生んだよ。子を育てつつ、母親のわたしも育てるよ」。つまり親子は相互関係なんですね。この母猫の思いは教える、学ぶという関係にも通じます。教師が生徒から学ぶことがある。推す・推されるもそう。互いが主体として同等の関係にあるわけです。いうまでもなく「食」はもちろん、まずは生産なくして消費なしですが、生産と消費のどちらが上でどちらが下ということはなく、突き詰めれば同等であり、実は常に双方向的な関係にあると私は思います。輝くも陰るも「ともに」ということになる。ところが、今回のコメ騒動では「消費者目線」に「生産者目線」と、「ともに」の関係性を意図的に分断するかのような語り口が前面に押し出されてきました。それは生活クラブの考え方とはまったく相容れないものでしょう。

私なりに、生活クラブの足跡をたどり直してみました。一人一人異なる組合員の個的具体的な要求・要請が持ち上がってきて、なかなか困難で収拾がつかないかのような話し合いが重ねられたことでしょう。その都度の修正をねばり強く重ねながら変わってきたものだと感じました。最初に理論(セオリー)やイデオロギー(主義)、一定のルールや既知の事実があって結論を導き出す「演繹的」な組織ではない。まったく逆に、個々の事実や事例から共通点を見出し、それをもとに結論を導き出す「帰納的」な組織である。しかも、その結論を絶対視しない、「動的」な強みを持つ組織こそが生活クラブではないかと思うのです。もう少し砕いていえば、頭でっかちではないという良さを持っている。何のために、だれのためにと大命題を机上で考えるだけではない。生活を具体的にファインチューニング(微調整)しながら変えていく。そうした実践との往復があるところがいい。

生活クラブが主体的に掘り起こす価値は「ご当地アイドル的」!?

――生活クラブの「食」の共同購入に地域福祉の仕組みの創造、再生可能エネルギーの普及を目指した事業は社会への「対案」の提示であり、現状の課題や問題点の克服を目指した実践です。それは広い意味での「推し活」であり、とりわけ食品は「この産地」「この生産者」「この製法」と、その提携先にしかない魅力や価値を組合員が主体的に掘り起こしてきた「ご当地アイドル」的な存在といえるでしょうし、その原点には「これが好き」という思いがあるはずです。
 
そうです。ただ、私は「好き」というより「愛」と言いたい。「愛する」の対義語は「憎む」ではなく、実は「無関心」だと言われます。愛は関心の源といってもいいでしょう。愛という日本語には正直、てらいを覚えます。だけど、愛は関係性を生み、それを育んでいく力でもあります。愛に基づく魅力と価値の掘り起こしという意味で、すぐに私が思い起こすのは新潟の「Negicco」というご当地アイドルです。最初は地元産のネギを応援するための宣伝グループでした。メンバーは女性3人で今では全員結婚して、お子さんがいる。そうして現在もアイドルとして活動しています。生活に根差したクリエイティブの発信がある。まさに生活クラブの考え方とも通ずるアイドルといえるのではないかと思います。かつて山形に「SHIP」というご当地アイドルグループがいました。「シャッター商店街」の活性化のために地元の商店街が主導して結成された。やがて彼女たちを目当てに大勢のファンが全国から山形にやってくるようになりました。カメラ小僧たちが山形に来て、帰りに商店に寄っておじちゃん、地元のおばちゃんとも仲良くなったりしていている。そんな様をNHKが特集番組として放送した。「SHIP」は5年間の活動後、2007年に解散しました。しかし、その後もかつてのファンたちが「おばさん来たよ」と商店街に訪ねてくるそうです。すでにアイドルは解散して存在していないのに。つまり、それは「土地の推し」に発展したのです。見知らぬ土地の見知らぬ人たち同士の「つながり」がアイドルへの愛から生まれたのです。

これは些細な、ほんのささやかな喜びかもしれません。しかし、こんな日常の中での小さいけれど、きらりと輝く光こそが、実は人に「生きていて良かった」「生きよう」と働きかける力になるのではないでしょうか。

太宰治の『晩年』(新潮文庫)は彼の最初の短編集です。その冒頭に収められた「葉」という作品は
 
撰ばれてあることの 
恍惚と不安と、
二つわれにあり
 
というヴエルレーヌの詩で始まります。「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った 」とある。うまいですね。そうしてラストは
 
生活。
よい仕事をしたあとで一杯のお茶をすする。
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が いくつもいくつも写っているのさ。
どうにかなる。
 
と締めています。「死のうと思った」で始まって、「どうにかなる」で終わる。今回のゼミに先立ち、この作品を思い起こしました。再読して、若い頃には気づかなかったことに思いあたった。たとえ絶望に陥ったとしても、最後は「どうにかなる」、生活の大いなる肯定の力が私たちを救済してくれるのだと。「生活」という言葉こそが、今後の社会にとってきわめて重要な意味を持つものと確信します。
 
何気ない景色を愛おしむことが、自分らしさを見つけるきっかけになるのかもしれない


撮影/越智貴雄
デザイン/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛
 
なかもり・あきお
作家・アイドル評論家。三重県生まれ。さまざまなメディアに執筆、出演。「おたく」という語の生みの親。『東京トンガリキッズ』『アイドルにっぽん』『午前32時の能年玲奈』『寂しさの力』『青い秋』など著書多数。小説『アナーキー・イン・ザ・JP』で三島由紀夫賞候補となる。

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