備蓄米は「無制限に放出」、次に来るのはMA米の輸入枠拡大 コメ増産は大規模化とスマート化で可能の声もあるけれど――
残響 令和のコメ騒動
東京大学大学院 特任教授 鈴木宣弘さんに聞く
東京大学大学院 特任教授 鈴木宣弘さんに聞く

いつになく早い梅雨明けの声を聞いたと思ったら、「コメ騒動も参院選までとなりにけり」といえるような状況を呈しています。今年(2025年)5月までは「コメ価格は前年の2倍」「高い、買えない、いつまで続く」と大騒ぎをしていたマスメディアは、小泉進次郎農水大臣の備蓄米放出を機に「いくらに下がる、いつ下がる」と小売店の店頭価格の動向を連日のように追い続け、「とにかくコメがあればいい」「輸入すれば安くなっていいじゃない!?」といった論調が次第に支配的になっていきました。とはいえ「生産者の持続的な経営も考えねば……」の指摘も聞かれるようにはなったものの、抜本的な農政の見直しに踏み込んだ解決策を模索するメディアは少なかった気がします。そうしたなか、コメ農家からは「これまでコスト割れの低価格に長期間耐えてきたのに、生産現場の厳しい現実を伝える報道は無いに等しかった」という落胆の声とともに「どんな形であれ、社会の関心がコメに向いた意味は大きい」との意見も聞かれ、消費者からも世代を問わず「コメは大事な主食」との声が上がるようになりました。とはいえ、政治の流れは「抜本的な農政の見直し」に向かうような雰囲気こそあるものの、米国大統領の顔を立てるかの如く「いざとなったら輸入があるさ」という方向に向かいそうな様相を見せています。今回は「令和のコメ騒動」を振り返りながら、そこから見えてくる日本の「農」と「食」の課題について、東京大学大学院特任教授の鈴木宣弘さんにお話を伺いました。
コメ需要は毎年10万トンの減少。コメ離れは進行中なはずなのに
――今回の「コメ騒動」に関する一連の報道を見聞きしていて、とても気になったのが備蓄米の運用をめぐる政府の動きでした。すでに確保・保管済みであり、いつでも出庫できる政府管理下に置かれた備蓄米だから可能で、暫定的かつ限定的な措置であったにもかかわらず、もっぱらメディアの関心は価格引き下げに向かうばかりとなり、コメの持続生産を担保した農政の根本的な転換の必要性を訴える報道は限られました。また、玄米保管したコメを精米後に袋詰めし、小売事業者に出荷配送するには一定の時間と空間(精米施設の規模と数)が必要となるわけですが、そうした構造についての解説も十分とはいえなかったと思います。さらに不測の事態に備える食料安全保障の観点からも疑問が残りました。「無制限に出す」という農水大臣の意気込みは理解できないこともないのですが、それが単に「価格を下げるために出す」というのなら、食料安全保障の基本的な考え方とのずれを感じます。
政府がコメの安定確保と安定供給を担うという意味では、1995年に廃止された食料管理法に基づく政府による食料管理制度(食管制度)が想起されました。政府が公的資金を投入して生産農家からコメを高く買い入れ、消費者である国民に安く安定供給するための制度です。この仕組みは国庫からの持ち出しが増え、赤字構造となるとり理由から廃止に至ったと記憶しています。今回、小泉農水大臣が備蓄米放出の際に採用した「随意契約」は、1俵(60キログラム)1万2000円の公的資金を投じて政府が買い入れたコメを政府が設定した条件を満たした事業者にだけ売り渡すというものでした。95年以降、コメの小売価格は原則的に需給バランス(市場原理)で決まるとされてきたはずなのに、今回は政府が価格決定に踏み込んだ格好です。これまで何事も市場に委ねる政治が常態化してきたなかで、食料の安定確保と安定供給に政府が適切に介入する必要がある点が社会的に認識される格好の機会になったのは歓迎すべきでしょうが、妙に巻かれたようなモヤモヤした思いが残りました。
なるほど。私は食管制度との関係は意識しませんでしたが、確かに政府が持っていたコメを2000円台という価格ターゲットを公言して売り渡すわけですから、食管制度の手法に近いのは確かでしょう。とにかく市場の米価が高く、多くの消費者が困っているのだから、一気にコメの小売価格を引き下げようと備蓄米の放出によって消費者が2000円台で買えるコメを作り出し、「これだけ下げたぞ」と参院選対策にもなり得る劇場型政治が一気に展開されました。しかし、食管制度は農家の生産コストを踏まえ、将来的にも経営が持続可能な価格で政府が買い入れることを条件にしていた、農家の存続を支援しながら消費者には可能な限り安い価格で提供する仕組みを採用していたことを鑑みると、似て非なるものといえそうです。今回、放出された備蓄米は農家からは60キロ1万2000円ぐらいで買い入れたコメです。農家にしてみればコスト割れの値段というしかありません。
政府がコメの安定確保と安定供給を担うという意味では、1995年に廃止された食料管理法に基づく政府による食料管理制度(食管制度)が想起されました。政府が公的資金を投入して生産農家からコメを高く買い入れ、消費者である国民に安く安定供給するための制度です。この仕組みは国庫からの持ち出しが増え、赤字構造となるとり理由から廃止に至ったと記憶しています。今回、小泉農水大臣が備蓄米放出の際に採用した「随意契約」は、1俵(60キログラム)1万2000円の公的資金を投じて政府が買い入れたコメを政府が設定した条件を満たした事業者にだけ売り渡すというものでした。95年以降、コメの小売価格は原則的に需給バランス(市場原理)で決まるとされてきたはずなのに、今回は政府が価格決定に踏み込んだ格好です。これまで何事も市場に委ねる政治が常態化してきたなかで、食料の安定確保と安定供給に政府が適切に介入する必要がある点が社会的に認識される格好の機会になったのは歓迎すべきでしょうが、妙に巻かれたようなモヤモヤした思いが残りました。
なるほど。私は食管制度との関係は意識しませんでしたが、確かに政府が持っていたコメを2000円台という価格ターゲットを公言して売り渡すわけですから、食管制度の手法に近いのは確かでしょう。とにかく市場の米価が高く、多くの消費者が困っているのだから、一気にコメの小売価格を引き下げようと備蓄米の放出によって消費者が2000円台で買えるコメを作り出し、「これだけ下げたぞ」と参院選対策にもなり得る劇場型政治が一気に展開されました。しかし、食管制度は農家の生産コストを踏まえ、将来的にも経営が持続可能な価格で政府が買い入れることを条件にしていた、農家の存続を支援しながら消費者には可能な限り安い価格で提供する仕組みを採用していたことを鑑みると、似て非なるものといえそうです。今回、放出された備蓄米は農家からは60キロ1万2000円ぐらいで買い入れたコメです。農家にしてみればコスト割れの値段というしかありません。

2025年3月30日に都内で行われた「令和の百姓一揆」と銘打ったデモ
その備蓄米をもっぱら小売価格の引き下げに焦点を当て、徹底放出を演出する手法で売りさばき、消費者の納得を得られる状態が生み出されたのです。そこに食管制度が持っていた農家をどう支えるかという視点があったかといえば。そこはあらかたぶっ飛んじゃったというしかない。一時的、暫定的な小売価格の引き下げを食管まがいの手法で実現し、少なからず消費者の支持を受けたにしても、それが根本的なコメ問題、持続的な食料の安定確保の実現にどう繋がるのかという肝心な視点が欠落したままなのが最大の問題です。生産者からすれば5キロ2000円台の小売価格への不安は募るばかりでしょうし、そんな米価が今後も続くとしたら、とてもやっていけるはずはないと考えますよ。おまけに輸入米も入れよう、輸入枠も増やそうという話になってきているわけですから、農家はたまったものではないはずです。スピード感を持って米価を下げたのはすごいことかもしれませんが、同様にスピード感を持って稲作ビジョン(持続可能な「食」への将来的な展望)も一緒に提案してもらわないといけません。
――そもそも論になりますが、政権与党内にはコメの「需給バランス」で見たときに供給量は不足していないとする意見と、不足とまではいえないが厳しい状況という意見があるようですが、実際はどうなのでしょうか。
需給をギリギリに調整しようとしすぎてバッフア(余裕)がなかったのは確かでしょうし、2023年は猛暑の影響で生産量が減り、白濁米や胴割れ(粒割れ)米が増え、一等米比率がかなり低下する事態にも見舞われました。にもかかわらず、需要が若干上振れしたため、あっという間に「これはいかん」という雰囲気ができたのです。それでも政府は「2024年産米がちゃんと獲れているから大丈夫」という見立てをしたわけですが。結局は大丈夫じゃなかった。2024年産米にたいする把握が甘かったというしかありません。当時、生産現場に出かけていって頻繁に私が耳にしたのは「農水省から101という作況指数が出たけれど、うちは90ぐらいだ」という農家の声でした。収穫量が平年より1割ぐらい少ないという意見が多かったのです。
さらに収穫はできたが高温障害で白濁米や粒割れが数多く出ているといいます。そうなると精米時の歩留まりが普通9割台のところが8割台まで減ってきます。当然、収穫は政府見込みを1割まではいかないにしても、仮に3パーセントであっても35万トン下回り、さらに精米歩留まり率が9割から8割台まで下がるとしたら、合わせて70万トンくらいの量が政府見込みを下回った可能性があります。つまり、絶対的に足りなかったはずなのです。流通段階でさまざまなことが起きたのは事実でしょうが、もともとコメが足りないという認識が拡散したから大騒ぎになったわけです。流通の目詰まりといいますが、なかには投機的な動きをした業者がいたにせよ、そのせいで価格が上がったから騒動になったのではなく、そもそもコメの供給量が足りないから流通が混乱したのです。この大元をしっかり押さえ、本末転倒な話に振り回されてはならないと思います。
――農水省の統計にはコメ離れが進み、コメ需要は律儀に年間10万トンずつ減っているという日本の「食」の現状が反映されています。この10万トンという数字はどのように算出されるものなのでしょうか。
いわば目安ないしは大枠での把握であり、机上の空論とまではいいませんが、現場を訪ね歩いて実際に見聞きしたフィールドワークで得たデータではなく、トレンド(流れ)を踏まえた数字です。「10万トンずつ減ってきているから、やっぱり10万トンだ」という見立てだと考えていいと思います。そこにきて、この数年は暑さの影響で思ったように獲れない。あるいは品質が悪くなる傾向が強いので「前年同様10万トン減らせ」となると減らし過ぎになってしまうわけです。そのことも全然考えてない。酷暑が当たり前になってきて、今年だって暑いじゃないですか。影響が出なければいいがと心配です。
その備蓄米をもっぱら小売価格の引き下げに焦点を当て、徹底放出を演出する手法で売りさばき、消費者の納得を得られる状態が生み出されたのです。そこに食管制度が持っていた農家をどう支えるかという視点があったかといえば。そこはあらかたぶっ飛んじゃったというしかない。一時的、暫定的な小売価格の引き下げを食管まがいの手法で実現し、少なからず消費者の支持を受けたにしても、それが根本的なコメ問題、持続的な食料の安定確保の実現にどう繋がるのかという肝心な視点が欠落したままなのが最大の問題です。生産者からすれば5キロ2000円台の小売価格への不安は募るばかりでしょうし、そんな米価が今後も続くとしたら、とてもやっていけるはずはないと考えますよ。おまけに輸入米も入れよう、輸入枠も増やそうという話になってきているわけですから、農家はたまったものではないはずです。スピード感を持って米価を下げたのはすごいことかもしれませんが、同様にスピード感を持って稲作ビジョン(持続可能な「食」への将来的な展望)も一緒に提案してもらわないといけません。
――そもそも論になりますが、政権与党内にはコメの「需給バランス」で見たときに供給量は不足していないとする意見と、不足とまではいえないが厳しい状況という意見があるようですが、実際はどうなのでしょうか。
需給をギリギリに調整しようとしすぎてバッフア(余裕)がなかったのは確かでしょうし、2023年は猛暑の影響で生産量が減り、白濁米や胴割れ(粒割れ)米が増え、一等米比率がかなり低下する事態にも見舞われました。にもかかわらず、需要が若干上振れしたため、あっという間に「これはいかん」という雰囲気ができたのです。それでも政府は「2024年産米がちゃんと獲れているから大丈夫」という見立てをしたわけですが。結局は大丈夫じゃなかった。2024年産米にたいする把握が甘かったというしかありません。当時、生産現場に出かけていって頻繁に私が耳にしたのは「農水省から101という作況指数が出たけれど、うちは90ぐらいだ」という農家の声でした。収穫量が平年より1割ぐらい少ないという意見が多かったのです。
さらに収穫はできたが高温障害で白濁米や粒割れが数多く出ているといいます。そうなると精米時の歩留まりが普通9割台のところが8割台まで減ってきます。当然、収穫は政府見込みを1割まではいかないにしても、仮に3パーセントであっても35万トン下回り、さらに精米歩留まり率が9割から8割台まで下がるとしたら、合わせて70万トンくらいの量が政府見込みを下回った可能性があります。つまり、絶対的に足りなかったはずなのです。流通段階でさまざまなことが起きたのは事実でしょうが、もともとコメが足りないという認識が拡散したから大騒ぎになったわけです。流通の目詰まりといいますが、なかには投機的な動きをした業者がいたにせよ、そのせいで価格が上がったから騒動になったのではなく、そもそもコメの供給量が足りないから流通が混乱したのです。この大元をしっかり押さえ、本末転倒な話に振り回されてはならないと思います。
――農水省の統計にはコメ離れが進み、コメ需要は律儀に年間10万トンずつ減っているという日本の「食」の現状が反映されています。この10万トンという数字はどのように算出されるものなのでしょうか。
いわば目安ないしは大枠での把握であり、机上の空論とまではいいませんが、現場を訪ね歩いて実際に見聞きしたフィールドワークで得たデータではなく、トレンド(流れ)を踏まえた数字です。「10万トンずつ減ってきているから、やっぱり10万トンだ」という見立てだと考えていいと思います。そこにきて、この数年は暑さの影響で思ったように獲れない。あるいは品質が悪くなる傾向が強いので「前年同様10万トン減らせ」となると減らし過ぎになってしまうわけです。そのことも全然考えてない。酷暑が当たり前になってきて、今年だって暑いじゃないですか。影響が出なければいいがと心配です。

農家の我慢も限界を超え
低下するJAの集荷率。他業者は青田買いならぬ茶田買いで先行契約
――あくまで推測ですが、コメの集荷業者は情報収集をかなり的確にしていたような気がします。先ほど農家を周ると「どうも今年は作柄がよくない」との声が数多く聞かれたと伺いましたが、そうした生産現場の声に彼らは反応し「これはやっぱり集めなければといけない」と早い動きに出たのでしょうか。
こまめに産地を回っていれば肌感覚でも需給バランスがわかるでしょうね。そうすると確保を急がなければいけないとなる。だから、国内で一番早く開示される農協の概算金(仮払金)の1俵当たりの提示額を上回る価格で現地に入ったバイヤーがどんどん買っていくという事態が生じました。農家からのコメ1俵の買い入れ価格は国内496農協(2025年4月1日現在)の代表者が産地ごとに協議して決め、出荷量に応じて支払われます。これが概算金です。ただし、コメは一年をかけて保管販売されるため、農家へは概算金の支払い以降に発生した、その時々の価格変動を反映した販売額から経費を引いた金額がまとめて農協から入金されます。2024年秋産米については「2万円の概算金を組合員に提示したが、最終的には2.5万円までの幅を見ていた」とするJA関係者もいましたが、概算金の金額が開示された時点で「農協より3000円は高く買わせてもらう」という業者が農家を訪ねて回り、残念ながら買い負けたといいます。同様のケースが各産地で起きたのではないでしょうか。農協は慌てたはずです。ただでさえ、農協の集荷率は従来の4割近くまで減っていたのに、それが平均24パーセントから26パーセントにまで低下してしまっています。
――備蓄米の買い付けに「競争入札」で参加したJA全農が暗に批判されたような感がありますが、2万円以上の価格で落札した背景には、どうやらJAの集荷能力が大きく低下したという問題が潜んでいたようですね。もうひとつ気になるのが競争入札で高く買ったJA全農が批判の対象となり、おまけに卸への出荷から配送に時間がかかりすぎているとの報道です。一口に卸事業者といいますが、玄米保管されたコメを精米してから袋詰めして、おまけに袋の規格も出荷先ごとに違っていたり、ただでさえ困難になっている配送事業者の確保をしたりと、解決しなければならない課題があることを消費者に提示する姿勢を欠いた内容が目立ちました。それこそ競りの掛け声ではありませんが、いくぞ2000円台、それもう一息で石破総理が望む3000円台突入だと政府の意向に歩調を合わせたかのような印象を持ちました。確かに1俵1万2000円で政府が買い上げたコメに必要経費を乗せて2000円台には論拠があるといえばあるかもしれませんが、石破総理の3000円台が望ましいとする発言の根拠はどこにあるのでしょうか。
あの党首討論での発言は単なるアベレージ(中間点)を取っただけでしょう。4000円じゃ高すぎる、2000円じゃ低すぎるからもうちょっと歩み寄ったら3000円台でなんとか折り合い付けられるのではないか、生産者と消費者との折り合いを付けられる水準はそれぐらいだろうという漠たるイメージから出たものと推察します。恐らくそこまでは考えてなかったと思いますが、1キロ当たり341円の関税を払ってもカルローズ米などの輸入米は常に調達可能です。しかもだいたい3000円台で売れ、それがビジネスになります。そうなると国産米の小売価格も3500円前後に収斂(しゅうれん)してくるはずです。3500円になればカルローズ米は売れなくなる。そして日本のコメ市場は3500円前後に収まり、そこが均衡点になると考えた可能性がないとは言い切れません。
こまめに産地を回っていれば肌感覚でも需給バランスがわかるでしょうね。そうすると確保を急がなければいけないとなる。だから、国内で一番早く開示される農協の概算金(仮払金)の1俵当たりの提示額を上回る価格で現地に入ったバイヤーがどんどん買っていくという事態が生じました。農家からのコメ1俵の買い入れ価格は国内496農協(2025年4月1日現在)の代表者が産地ごとに協議して決め、出荷量に応じて支払われます。これが概算金です。ただし、コメは一年をかけて保管販売されるため、農家へは概算金の支払い以降に発生した、その時々の価格変動を反映した販売額から経費を引いた金額がまとめて農協から入金されます。2024年秋産米については「2万円の概算金を組合員に提示したが、最終的には2.5万円までの幅を見ていた」とするJA関係者もいましたが、概算金の金額が開示された時点で「農協より3000円は高く買わせてもらう」という業者が農家を訪ねて回り、残念ながら買い負けたといいます。同様のケースが各産地で起きたのではないでしょうか。農協は慌てたはずです。ただでさえ、農協の集荷率は従来の4割近くまで減っていたのに、それが平均24パーセントから26パーセントにまで低下してしまっています。
――備蓄米の買い付けに「競争入札」で参加したJA全農が暗に批判されたような感がありますが、2万円以上の価格で落札した背景には、どうやらJAの集荷能力が大きく低下したという問題が潜んでいたようですね。もうひとつ気になるのが競争入札で高く買ったJA全農が批判の対象となり、おまけに卸への出荷から配送に時間がかかりすぎているとの報道です。一口に卸事業者といいますが、玄米保管されたコメを精米してから袋詰めして、おまけに袋の規格も出荷先ごとに違っていたり、ただでさえ困難になっている配送事業者の確保をしたりと、解決しなければならない課題があることを消費者に提示する姿勢を欠いた内容が目立ちました。それこそ競りの掛け声ではありませんが、いくぞ2000円台、それもう一息で石破総理が望む3000円台突入だと政府の意向に歩調を合わせたかのような印象を持ちました。確かに1俵1万2000円で政府が買い上げたコメに必要経費を乗せて2000円台には論拠があるといえばあるかもしれませんが、石破総理の3000円台が望ましいとする発言の根拠はどこにあるのでしょうか。
あの党首討論での発言は単なるアベレージ(中間点)を取っただけでしょう。4000円じゃ高すぎる、2000円じゃ低すぎるからもうちょっと歩み寄ったら3000円台でなんとか折り合い付けられるのではないか、生産者と消費者との折り合いを付けられる水準はそれぐらいだろうという漠たるイメージから出たものと推察します。恐らくそこまでは考えてなかったと思いますが、1キロ当たり341円の関税を払ってもカルローズ米などの輸入米は常に調達可能です。しかもだいたい3000円台で売れ、それがビジネスになります。そうなると国産米の小売価格も3500円前後に収斂(しゅうれん)してくるはずです。3500円になればカルローズ米は売れなくなる。そして日本のコメ市場は3500円前後に収まり、そこが均衡点になると考えた可能性がないとは言い切れません。

コメは日本の主食であり、100パーセント近い自給率を維持しているとしながらも政府がコメの市場開放を一部受け入れる形でMA(ミニマムアクセス)米の輸入が開始されたのは1993年からです。ガット・ウルグアイラウンド交渉で求められた市場開放要求を受け入れ、コメの一部輸入自由化を認めた格好です。ただし、そこには「関税化はMAの枠外の輸入については禁止的な関税を課す」。つまり、関税化というのは海外から入ってこないくらいの関税を課してもいいから、とにかく輸入数量制限を止めて関税に置き換えろ。その代わりに一定量は無税で輸入する機会を作っておけというセット条件が付与されていました。禁止的関税としてしまうと、関税化が達成されても一切コメが海外から入ってこなくなる可能性が出てきます。そこで最低限の輸入機会を作ろうとMAと禁止的関税がセットになった措置を講じたものの、やはり日本は「関税化しない」と言った。関税化をしないのですから、その時点では輸入制限を残したことになります。その後、遅れて関税化することになったことにより、結局は代償措置としてMA枠を広げられてしまったのです。本来は3パーセントでいいはずのものを消費量の7から8パーセントまで枠を広げておこうとなりました。しばらく関税化を猶予してもらったものの、その代償で関税化した時点で77万トンもの受け入れを決めざるを得なかったということです。
当時、私はある程度の高い関税があれば国内のコメ農家も経営が持続可能となり、輸入をある程度受け入れても大丈夫ではないかという計算もしていました。関税を200パーセントに設定すると安い輸入米が一定数量は入ってきますが、国産米の価格がそれに引っ張られるにしても、その差額を政府が公的に補填する仕組みができないかとシミュレーションをしていたのです。輸入を受け入れるという意味では農家の不興は買うことになるでしょうが、200パーセントくらいの水準までなら、国内農家の被る損失を補填しても5000億円で済み、生産調整をやめることができるのではないかと考えていました。現時点でも341円の関税は実質200パーセントぐらいの水準に収まっています。米国のトランプ大統領は「日本は米国産のコメに700パーセントの関税を課している」「日本はコメが無いのに米国から輸入しようとしない」とお怒りのご様子ですが、まったく事実とは異なる物言いとしかいいようがありません。
――石破総理は7月の参院選前にコメ増産の方向性を提示しました。今回のコメ騒動を機にコメの作付面積を増やす農家が増えているとの報道もあります。こうした好ましい流れの陰で、せっかく増えてきつつあった飼料用米の作付けが減り、慣行栽培米の価格上昇に伴い、有機・減農薬・無農薬栽培を止める選択をした農家が少なからず出てきているという話も聞こえてきます。はて、2025年秋はどうなるのかと気になります。
すでに青田買いならぬ茶田買いと呼ばれる現象が起きていたようです。今年3月の時点で集荷業者が「足りない」と嗅覚を働かせ、10月に収穫予定のコメを1俵2万8000円から3万円の値段で買い取る動きが出ていると聞きました。3月といえば田植え前で、まだ地面しかない「茶田」の段階での売買ですから、天候次第の運任せであり、たぶんに賭けに近い取引というしかありません。JAも負けまいと概算金を保障価格として1俵2万3000円から5000円としたようですが、その上を行かれて難儀しているようです。それでまた価格が釣り上がるのですから、小売店頭(消費者)価格で5キロ4000円を超えるような値段になっても不思議はない状態にあるといえます。となれば、すでに備蓄米はないわけで、価格を下げるには輸入を一気に増やして「じゃぶじゃぶ」にするしかない事態に陥りかねないわけですが、それでもトランプ関税交渉で米国にお土産として差し出せるというメリットもあります。ただし、仮に今年は豊作となり、作付面積も増えていることを考慮すると40万トンぐらいの収量増となる可能性もあり得ます。バブル経済の崩壊ではありませんが、相当に需給が緩むとすれば一気に「これは大変だ」と投げ売り状態になる可能性も否定できません。そうした大きな変化が無ければ、恐らく単一産地と単一品種の銘柄米は5キロ4000円台になるでしょう。だれも原価割れ覚悟で値を下げて売りたくはないはずです。
用途別の助成制度を改め、直接支払いで経営支えての「増産」で
――備蓄米の買い戻しはどうなったのですか。
あれも変な話です。そもそも小泉米は買い戻しが無い。無いんですよ。いわゆる「小泉米」は買い戻し条件を外しています。つまり、無くなったらおしまい。江藤拓前大臣の「競争入札米」については「要望があれば買い戻す」と小泉大臣は言っていますが、戻すのにも輸送費がかかるわけですから「はい、そうですか」と言うわけにはいかないでしょう。そこに見え隠れするのが、自民党農林族に農水省、JAのトライアングルが今回のコメ騒動を招いた主犯といわんばかりの「魔女狩り」のような動きです。このトライアングルはすでに弱体化しつつあり、何事も市場の原理に委ねようという新自由主義にのみ込まれつつあるのに、そこに主たる責任があるかのような空気が着実に醸成された感があります。ネットでは「参院選対策米」と「郵政の二の米」というコメが出回っていると揶揄する声がありますが、確かに農協攻撃が激しくなってきています。農協悪玉論はメディアも特集のような扱いで報じ、農協OBを呼んで袋叩きにするような番組構成をするデレビ局もあります。かなり露骨な動きです。江藤前農水大臣が競争入札でJA全農に放出した備蓄米が、なぜ小売店に行き渡らないかという議論が多々ありましたが、各地のJAの集荷率が下がり、JA全農に集まらなかったコメが28万トンあり、それは大手の事業者と事前契約していたコメだった。それを何としても補充しなければならないと全農が備蓄米を落札したという事情があった、つまり約束を履行したのだという話を聞いています。
問屋(卸事業者)が5次まである、だから流通の目詰まりが生じると騒がれましたが、5次はほとんど無いのが実態なのに、たまたま大手ディスカウント店の取引で一例だけあったことが誇張されて伝えられたようです。一口に問屋といいますが、自分で倉庫を持っていて保管業務が担う事業者、精米、袋詰めと、さまざまな役割を果たしてくれている事業者が存在しています。「精米はどうする」「輸送どうする」「配送はどうする」という事業者間の協業・分業があるからこそ、小売店の店頭にコメが届けられるのです。存在するものにはそれなりの理由があるわけです。まぁ、大手スーパーや大手ディスカウント店は卸事業者を一気にすっ飛ばしてもらえば儲かる、利益が上がると考えるのかもしれませんが、それでは大店舗を核とするショッピングモールが商店街を潰したのと同じような論理になります。小さい事業者は非効率であり、一掃してしまえば効率的になるじゃないかという議論にも繋がる。その意味では新自由主義経済の流れと一致していると思います。中小規模の農家も要らなければ、流通業界も整理すればいいという話に陥りかねない危険な流れと捉えるべきではないでしょうか。
あれも変な話です。そもそも小泉米は買い戻しが無い。無いんですよ。いわゆる「小泉米」は買い戻し条件を外しています。つまり、無くなったらおしまい。江藤拓前大臣の「競争入札米」については「要望があれば買い戻す」と小泉大臣は言っていますが、戻すのにも輸送費がかかるわけですから「はい、そうですか」と言うわけにはいかないでしょう。そこに見え隠れするのが、自民党農林族に農水省、JAのトライアングルが今回のコメ騒動を招いた主犯といわんばかりの「魔女狩り」のような動きです。このトライアングルはすでに弱体化しつつあり、何事も市場の原理に委ねようという新自由主義にのみ込まれつつあるのに、そこに主たる責任があるかのような空気が着実に醸成された感があります。ネットでは「参院選対策米」と「郵政の二の米」というコメが出回っていると揶揄する声がありますが、確かに農協攻撃が激しくなってきています。農協悪玉論はメディアも特集のような扱いで報じ、農協OBを呼んで袋叩きにするような番組構成をするデレビ局もあります。かなり露骨な動きです。江藤前農水大臣が競争入札でJA全農に放出した備蓄米が、なぜ小売店に行き渡らないかという議論が多々ありましたが、各地のJAの集荷率が下がり、JA全農に集まらなかったコメが28万トンあり、それは大手の事業者と事前契約していたコメだった。それを何としても補充しなければならないと全農が備蓄米を落札したという事情があった、つまり約束を履行したのだという話を聞いています。
問屋(卸事業者)が5次まである、だから流通の目詰まりが生じると騒がれましたが、5次はほとんど無いのが実態なのに、たまたま大手ディスカウント店の取引で一例だけあったことが誇張されて伝えられたようです。一口に問屋といいますが、自分で倉庫を持っていて保管業務が担う事業者、精米、袋詰めと、さまざまな役割を果たしてくれている事業者が存在しています。「精米はどうする」「輸送どうする」「配送はどうする」という事業者間の協業・分業があるからこそ、小売店の店頭にコメが届けられるのです。存在するものにはそれなりの理由があるわけです。まぁ、大手スーパーや大手ディスカウント店は卸事業者を一気にすっ飛ばしてもらえば儲かる、利益が上がると考えるのかもしれませんが、それでは大店舗を核とするショッピングモールが商店街を潰したのと同じような論理になります。小さい事業者は非効率であり、一掃してしまえば効率的になるじゃないかという議論にも繋がる。その意味では新自由主義経済の流れと一致していると思います。中小規模の農家も要らなければ、流通業界も整理すればいいという話に陥りかねない危険な流れと捉えるべきではないでしょうか。

――飼料用米をめぐる法制度と今後の動向も気になります。主食用米と飼料用米は生産段階と流通段階で分別管理の徹底が要求され、飼料用米の主食転用は法律違反に問われるとした現行制度には理解はできても釈然としない思いが付いて回ります。人が食べても家畜が食べても同じという扱いにならないのはどうしてですか。
いま、私がいろいろな農家から話を聞いてみると、比較的規模の大きな農家でも1俵2万2000円ぐらいは必要。どんなにコスト削減に励んでも2万円が精いっぱいの努力目標だと言います。コメの増産を奨励する石破総理には、コメを生産する農家には出荷価格が2万円を割り込むようなら、政府が全部補てんするから安心して作ってもらいたいと言ってほしいものです。飼料用米だろうが加工用米だろうが、コメはコメだと言い切り、状況に応じて用途を考えればいいと腹をくくっていただきたいと思います。これまで、それがなぜできなかったかというと、補助金の額が違うから横流し防止のためです。それだけですよ。
地産地消で地域循環自給経済、「飢えるか、植えるか」運動で生産参加を
――2024年に見直された「食料・農業・農村基本法」の内容を見ると、農業の中心的な担い手は法人であり、農地集約による規模拡大と機械化(DX・IT化=スマート化)の推進により生産性と収益性の高い産業化を目指すという方向が打ち出されていますし、財政支援の対象も法人が中心となっているように読めます。それができる地域で、意思ある人たちが懸命に取り組んでいることに水を差す気は毛頭ありませんし、むしろ応援したいと思いますが、それがどこでも、だれにでもできるのかといえば、そう簡単なことではないはずです。にもかかわらず、今回のコメ騒動では大規模・スマート化こそ救世主のようなムードが意図的に作られ、あたかも中小規模の農家に退場を促すような主張が社会に浸透したような気がします。
いろんな担い手がいるコミュニティ(地域社会)が出来ていれば、みんなで計画を立てて水路の管理や掃除、畦の草刈りなどをやる機能が維持されますし、必然的に作物も少量多品種になっていくはずです。こういう話をすると「そんなことはきれい事に過ぎない」と反論する人もいますが、私はそうは思いません。問題は高齢化と後継者難、さらには長期にわたる農業所得の減少であり、東京一極集中という言葉に象徴されるような大都市圏を除く地方の人口減少でしょう。それは石破総理もわかっているはずです。減反廃止と直接所得保障はかねてからの実現目標ですからね。だからコメ問題の解消を目指す関係閣僚会議を再開し、14回開催したわけですが、結論は昔のモデルと同じでした。減反を緩和し、増産して直接支払いで対応すれば消費者も安く買えて生産者は大丈夫だと打ち出すはずだったのが、結局は対象を限定するということになりました。それも大規模で頑張っている人だけという話になってきたのです。
そうなると話が変わってきます。結局は一部の人だけを支えればあとはいいんだということです。所得保障の議論もそっちに絡めとられてしまっています。どこが適正価格かという議論は収斂(しゅうれん)しなくてもいいと思います。直接支払いをすればいいのです。当然、消費者の適正価格と生産者の適正価格はどうしてもギャップが出てきます。その差を政策で埋めるんだという整理ができるはずです。ところが、その対象を限定するという議論になってきた。生産現場を訪ねて回れば、あと5年でコメを作る人がいなくなると悲鳴を上げているのが現実であり、そこに速やかに応えなければならないのです。そもそも石破さんは「農政改革は2027年」と公言していますが、それでは間に合わない。スピード感を持ってやるべきは、稲作の総合的なビジョン(構想)策定です。小売(消費者)価格がこれぐらい下がったら生産者米価はどれぐらいで、その差をいかに補填(ほてん)するかというビジョンを出さなければいけないのに「27年だ」と言っていたら間に合わない。一方でもっぱら小売価格を下げることに傾倒し、輸入米頼みとも取れる議論をやっているわけですから、とても話になりません。このままではコメに限らず、日本の「農」と「食」は総崩れになりかねないと怒りと不安がこみあげてきます。おそらく8月は輸入米の枠の拡大でしのぐつもりでしょう。備蓄米が無くなったのだからMAに置き換えるという話まで真顔で検討されているようです。
――いつからでしょうか。食料はあって当然、いつでもどこでもカネさえ出せば手に入るという意識が社会に広くかつ深く浸透するようになりました。政治家も「都市型思考」が当たり前で、農林水産業が「いのちの源」という視点が希薄な国会議員が多数を占めているようです。そうした現状をどうしていくかは簡単に解決できない課題ですし、多くの時間を要するのは当然でしょう。だとすれば、自分が望ましいと思える政治の方向性を考えながら、身近なところから始められる小さな価値転換を進めていくのは大いに意味あることだと思います。鈴木先生は地産地消をモットーとする直売所や道の駅、地元産の食材中心のスーパーの利用、学校給食での有機減農薬・無農薬米や青果物の活用を通した持続的な地場生産支援と地域経済循環の仕組みの確立に言及されています。今後、ますます需要になる視点だと思いますし、そこから生産者との連帯が生まれ、身近な地域で生産労働体験や生産参画ができるようになればいいなと思います。
この間、私はリモートを含めて月に平均20回の講演をお引き受けしています。それを「飢えるか、植えるか運動」と名付けました。飢えないように、みんなで植えよう。地産地消も学校給食を核にした自給圏づくりを少しずつでも進めていきましょうと訴え続けています。そうしたなか、テレビ局からも数多くの出演依頼があり、可能なかぎり対応させてもらいました。デレビ朝日の大下容子のワイドスクランブルという番組では3回連続でコメンテーターをお引き受けしました際、生産者への直接支払いの話になった回があります。そのとき、カナダの農務省の担当者が「生産者に直接支払いするのは消費者が安く買えるようにするための制度であり、それは消費者補助金でもある」と明言してくれたのが実にうれしく励みになりました。「消費者を助けるための農家への支払いです。だから、皆さん理解してくださいとカナダでは国民に伝えています」と言うのです。その視点、その哲学、その考え方が大切なのです。それをよく理解している生活クラブをはじめとする生協陣営には、植えるかのコア(核)となり、生産者とともに持続的な「食」の生産を支える地域経済循環圏の創出に一層のご尽力をお願いしたいです。
いろんな担い手がいるコミュニティ(地域社会)が出来ていれば、みんなで計画を立てて水路の管理や掃除、畦の草刈りなどをやる機能が維持されますし、必然的に作物も少量多品種になっていくはずです。こういう話をすると「そんなことはきれい事に過ぎない」と反論する人もいますが、私はそうは思いません。問題は高齢化と後継者難、さらには長期にわたる農業所得の減少であり、東京一極集中という言葉に象徴されるような大都市圏を除く地方の人口減少でしょう。それは石破総理もわかっているはずです。減反廃止と直接所得保障はかねてからの実現目標ですからね。だからコメ問題の解消を目指す関係閣僚会議を再開し、14回開催したわけですが、結論は昔のモデルと同じでした。減反を緩和し、増産して直接支払いで対応すれば消費者も安く買えて生産者は大丈夫だと打ち出すはずだったのが、結局は対象を限定するということになりました。それも大規模で頑張っている人だけという話になってきたのです。
そうなると話が変わってきます。結局は一部の人だけを支えればあとはいいんだということです。所得保障の議論もそっちに絡めとられてしまっています。どこが適正価格かという議論は収斂(しゅうれん)しなくてもいいと思います。直接支払いをすればいいのです。当然、消費者の適正価格と生産者の適正価格はどうしてもギャップが出てきます。その差を政策で埋めるんだという整理ができるはずです。ところが、その対象を限定するという議論になってきた。生産現場を訪ねて回れば、あと5年でコメを作る人がいなくなると悲鳴を上げているのが現実であり、そこに速やかに応えなければならないのです。そもそも石破さんは「農政改革は2027年」と公言していますが、それでは間に合わない。スピード感を持ってやるべきは、稲作の総合的なビジョン(構想)策定です。小売(消費者)価格がこれぐらい下がったら生産者米価はどれぐらいで、その差をいかに補填(ほてん)するかというビジョンを出さなければいけないのに「27年だ」と言っていたら間に合わない。一方でもっぱら小売価格を下げることに傾倒し、輸入米頼みとも取れる議論をやっているわけですから、とても話になりません。このままではコメに限らず、日本の「農」と「食」は総崩れになりかねないと怒りと不安がこみあげてきます。おそらく8月は輸入米の枠の拡大でしのぐつもりでしょう。備蓄米が無くなったのだからMAに置き換えるという話まで真顔で検討されているようです。
――いつからでしょうか。食料はあって当然、いつでもどこでもカネさえ出せば手に入るという意識が社会に広くかつ深く浸透するようになりました。政治家も「都市型思考」が当たり前で、農林水産業が「いのちの源」という視点が希薄な国会議員が多数を占めているようです。そうした現状をどうしていくかは簡単に解決できない課題ですし、多くの時間を要するのは当然でしょう。だとすれば、自分が望ましいと思える政治の方向性を考えながら、身近なところから始められる小さな価値転換を進めていくのは大いに意味あることだと思います。鈴木先生は地産地消をモットーとする直売所や道の駅、地元産の食材中心のスーパーの利用、学校給食での有機減農薬・無農薬米や青果物の活用を通した持続的な地場生産支援と地域経済循環の仕組みの確立に言及されています。今後、ますます需要になる視点だと思いますし、そこから生産者との連帯が生まれ、身近な地域で生産労働体験や生産参画ができるようになればいいなと思います。
この間、私はリモートを含めて月に平均20回の講演をお引き受けしています。それを「飢えるか、植えるか運動」と名付けました。飢えないように、みんなで植えよう。地産地消も学校給食を核にした自給圏づくりを少しずつでも進めていきましょうと訴え続けています。そうしたなか、テレビ局からも数多くの出演依頼があり、可能なかぎり対応させてもらいました。デレビ朝日の大下容子のワイドスクランブルという番組では3回連続でコメンテーターをお引き受けしました際、生産者への直接支払いの話になった回があります。そのとき、カナダの農務省の担当者が「生産者に直接支払いするのは消費者が安く買えるようにするための制度であり、それは消費者補助金でもある」と明言してくれたのが実にうれしく励みになりました。「消費者を助けるための農家への支払いです。だから、皆さん理解してくださいとカナダでは国民に伝えています」と言うのです。その視点、その哲学、その考え方が大切なのです。それをよく理解している生活クラブをはじめとする生協陣営には、植えるかのコア(核)となり、生産者とともに持続的な「食」の生産を支える地域経済循環圏の創出に一層のご尽力をお願いしたいです。

近畿地方の水田 2025年7月撮影
撮影/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛
撮影/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛

すずき・のぶひろ
1982年、東京大学農学部農業経済学科を卒業し、同年、農林水産省に入省。 15年ほど主に貿易問題、国際交渉担当などを担った後に退職。 1998年、九州大学農学部助教授、大学院農学研究院教授を経て、2006年9月から東京大学大学院農学生命科学研究科教授(農学国際専攻)。 2024年から同特任教授。『農業消滅――農政の失敗がまねく国家存亡の危機』(平凡社新書) 『貧困緩和の処方箋――開発経済学の再考』(筑波書房ブックレット)『協同組合と農業経済――共生システムの経済理論』(東京大学出版会)『世界で最初に飢えるのは日本――食の安全保障をどう守るか』(講談社+α新書)『マンガでわかる 日本の食の危機――迫る飢餓・・・・・・「質」も「量」も崖っぷちの現実から大切な命を守るために』(方丈社『このままでは飢える!――食料危機への処方箋「野田モデル」が日本を救う』(日刊現代)『食の属国日本―命を守る農業再生』(三和書籍)など著書多数