大地の恵みを食卓に 持続可能な長野県産 加工用トマトをめざして【信州トマトジュース、他】

加工用トマトは果皮が厚く、果肉がしっかりしている。ベータカロテンやビタミンCは生食用トマトの約2倍、リコピンは約3倍
トマトジュースの原材料である加工用トマト。その畑をはじめて訪ねた人のほとんどが、地面を這(は)うように生育するトマトの姿に驚く。日陰のない酷暑の畑で契約農家が腰をかがめ手摘みした信州のトマトが、新鮮なまま搾汁され、100%のジュースになって食卓に届く。
完熟のうまみ、詰めました

長野興農長野工場長の市川公一さん(左から2番目)と職員のみなさん。運び込まれたトマトのコンテナの前で
JR長野駅から車で約15分、長野興農㈱長野工場の敷地内を進むと、トマトの匂いが風に運ばれてきた。長野県産の野菜や果実を加工する同社の工場は県北部に3カ所ある。その一つ、缶入り飲料の製造ラインを備える長野工場では、加工用トマトが旬を迎える8月、フル稼働でトマトジュースを製造する。このひと月の間、毎日のように大型トラックが工場内に入り、トマトが入ったコンテナをトラックヤードに積み上げていく。契約農家が地区ごとの集荷場に運んだ新鮮なトマトだ。
「おいしさの秘密は、なんといってもシーズンパックにあります」。雪印メグミルク㈱広域営業部の田角(たづの)英明さんはそう言い切る。生活クラブの提携生産者である同社は、信州トマトジュースをはじめとして野菜ジュース、りんごジュースなど長野興農が生産する飲料の流通販売を担う。シーズンパックとは、一年に一度、野菜や果物が一番おいしい季節に収穫し、果汁をしぼり、そのまま缶などの容器に充填(じゅうてん)する製法のこと。長野興農は、県内の畑で熟したトマトを収穫から最短で翌日、遅くとも4日以内に製品化する。そこにおいしさの秘密があるというわけだ。
工場長、市川公一さんの案内で製造工程をたどる。3段階の洗浄工程を経て、トマトの傷んだ部分を手作業で取り除き、ハンマークラッシャーで粉砕。遠心分離機とふるいでタネと皮を除去し、果汁を一旦タンクに入れて糖度や㏗(酸性、アルカリ性の程度)を測定する。品質検査で合格となったら短時間で高温殺菌し、缶に詰めていく。充填機の処理能力は1分間に平均850缶。底に賞味期限を印字し、ケースに納めれば製品の完成だ。
異物除去や金属除去、缶に規定量が充填されているかなど、品質管理は厳密だが、トマトをジュースにする工程そのものはシンプルで、手作りに近い。余計なものは足さない。素材そのものを味わうことができるトマトジュースだ。
JR長野駅から車で約15分、長野興農㈱長野工場の敷地内を進むと、トマトの匂いが風に運ばれてきた。長野県産の野菜や果実を加工する同社の工場は県北部に3カ所ある。その一つ、缶入り飲料の製造ラインを備える長野工場では、加工用トマトが旬を迎える8月、フル稼働でトマトジュースを製造する。このひと月の間、毎日のように大型トラックが工場内に入り、トマトが入ったコンテナをトラックヤードに積み上げていく。契約農家が地区ごとの集荷場に運んだ新鮮なトマトだ。
「おいしさの秘密は、なんといってもシーズンパックにあります」。雪印メグミルク㈱広域営業部の田角(たづの)英明さんはそう言い切る。生活クラブの提携生産者である同社は、信州トマトジュースをはじめとして野菜ジュース、りんごジュースなど長野興農が生産する飲料の流通販売を担う。シーズンパックとは、一年に一度、野菜や果物が一番おいしい季節に収穫し、果汁をしぼり、そのまま缶などの容器に充填(じゅうてん)する製法のこと。長野興農は、県内の畑で熟したトマトを収穫から最短で翌日、遅くとも4日以内に製品化する。そこにおいしさの秘密があるというわけだ。
工場長、市川公一さんの案内で製造工程をたどる。3段階の洗浄工程を経て、トマトの傷んだ部分を手作業で取り除き、ハンマークラッシャーで粉砕。遠心分離機とふるいでタネと皮を除去し、果汁を一旦タンクに入れて糖度や㏗(酸性、アルカリ性の程度)を測定する。品質検査で合格となったら短時間で高温殺菌し、缶に詰めていく。充填機の処理能力は1分間に平均850缶。底に賞味期限を印字し、ケースに納めれば製品の完成だ。
異物除去や金属除去、缶に規定量が充填されているかなど、品質管理は厳密だが、トマトをジュースにする工程そのものはシンプルで、手作りに近い。余計なものは足さない。素材そのものを味わうことができるトマトジュースだ。

傷んだ部分があれば手で取り除く

3段階でトマトを洗浄する

次々にジュースが充填(じゅうてん)されていく。ずっと同じ缶が回っているように見えるくらい高速だ
飲んで応援、つくって応援

生活クラブの計画的労働参加。組合員を中心に、JAながの、雪印メグミルク、長野興農の職員もボランティアで農作業をする
「生産農家との関係性をつくってきたことも信州トマトジュースの大きな特徴です」。長野興農営業推進部の原晋一郎さんはそう話す。社員が畑に出向いて農家と話し合い、農作業に関するさまざまな折り合いをつけていく。「できるだけ農家の希望を形にしたいと思いますが、難しいことも多いですね」と原さん。そうした中、関係づくりに一役買っているのが、消費者による農業労働への参加だという。
1960年代に盛んになった国内の加工用トマトの栽培は、需要の伸びに伴って70年代初頭まで増産が続いた。ところが72年、トマトケチャップの中間加工原料であるトマトペーストやピューレの輸入が自由化され、国内の加工メーカーは安価な輸入原料への切り替えを進めた。トマトの生産調整が行われ、全国の作付面積は減っていく。さらに、トマトジュースやケチャップなど最終製品の輸入自由化を懸念した加工メーカーは、生産農家との契約価格の値下げを断行した。
加工用トマトの栽培は、5月の苗の定植、8月の収穫と特定の時期に作業が集中し、家族経営の小規模農家にとっては負担が大きい。猛暑の中、機械も使えない収穫時の重労働は割に合わず、農家の加工用トマト離れに拍車がかかった。
国産加工用トマトが激減し、生活クラブのケチャップにも海外産原料を使わざるを得なくなったのは92年だ。危機感を抱いた生活クラブは95年、JAながの飯綱トマト部会、全農、雪印メグミルク、長野興農と連携し、組合員が農業労働に参加する「計画的労働参加」を始めた。開始から30年、のべ3200人以上の組合員が飯綱トマト部会の畑で汗を流してきた。現在、生活クラブ長野を中心に首都圏4単協がこの活動に取り組んでいる。
単なる援農ではないのが、この活動の特徴でもある。組合員は日当を受け取って定植と収穫に参加し、交通費や宿泊などは生産にかかる諸経費としてジュースの価格に加算される。それにより、実際に労働に参加できない組合員も、ジュースを飲むことで、加工用トマトの作付面積の維持を応援することになる仕組みだ。
計画的労働参加の実施期間、原さんは飯綱トマト部会の会員農家の畑を見て回る。畑の立地、土の質など農家ごとに条件は異なり、天候による影響も大きい。生育状況を確認しながら、どの畑に、いつ、何人くらいの人手が必要か、JAながのの職員と連絡を取り、調整する。「生産者を増やす直接的な対策を取るのは難しい」としながらも、「加工用トマトの作付面積をなんとか維持する努力は続けていきたい」と原さんは語る。

右から、雪印メグミルクの田角英明さん、長野興農の原晋一郎さん。山田豊さん(左端)のトマト畑で
新規就農に希望をつないで

完熟トマトを手摘みしながら、腐れや日焼けがないか確認する
8月上旬、トマト畑に強い日差しが降り注ぐ。支柱仕立ての生食用のトマトとは違い、加工用トマトは地面を這うようにツルを伸ばし、房の先についた実から順番に熟れていく。ここ数年の酷暑、激暑だ。腰をかがめ、太陽の照り返しを受けて、一つ一つ手で摘み取る加工用トマトの収穫作業は年々過酷さを増している。
標高400~600メートルの飯綱地区は、リンゴ栽培と稲作中心の中山間地。95年に40戸あった加工用トマトの生産農家は2024年には10戸にまで減った。5月の定植後3カ月で収穫できる加工用トマトは、かつて短期間で現金収入になる作物だった。しかし今、品種や栽培方法の改良が進み安定的な収入を見込めるリンゴに比べ、必ずしも魅力ある農作物とはいえないのも事実だ。高齢化や後継者がいないことから、作付面積を減らす、やめる農家が増えるのも納得がいく。
飯綱トマト部会副部会長の上野豊さんも、徐々にリンゴ栽培へとシフトしてきた。なだらかな坂に広がっていた加工用トマトの畑は、現在集荷場に隣接する平地のみだ。「もう、リンゴだけにしたいんだよね」と冗談めかすが、トマトづくりへの思いは強い。加工用トマトの畑は雑草に覆いつくされることも珍しくないが、上野さんは丁寧に土づくりをし、畝と畝の間に新聞紙と稲わらを敷いて、雑草の繁殖を防ぐ。他にもこれまで培ったさまざまな工夫や知恵を、なんとか次世代に手渡せないかと心を砕いていることが伝わってくる。
上野さんの指導を受けながら、新規参入した若手がいる。長野県産農産物の流通を生業とする黒柳成子さんだ。黒柳さんにとっては、自分自身で農産物をつくることが仕事のプラスになるうえ、本業が落ち着く期間に栽培できることも決め手になり、加工用トマトの栽培にチャレンジしたという。上野さんからトマトの作付けをやめた農家を紹介され、背丈ほどの雑草が茂った畑を整備した。加工用トマトの栽培について、「一から十まで、何もかも上野さんに教えてもらっている」と話す。畑を所有する農家から必要な道具類も貸してもらえた。「人に恵まれました」と黒柳さんはほほえむ。
飯綱町では他にも、昨年、農業以外の仕事を持ちながら、新規に参入した若者がいる。定植から収穫までの期間が短いことを強みにして栽培に挑戦する次世代を、先輩農家が支援し関連組織や消費者が直接参加で応援することが、国産原料でつくるトマトジュースの持続可能性につながる。
8月上旬、トマト畑に強い日差しが降り注ぐ。支柱仕立ての生食用のトマトとは違い、加工用トマトは地面を這うようにツルを伸ばし、房の先についた実から順番に熟れていく。ここ数年の酷暑、激暑だ。腰をかがめ、太陽の照り返しを受けて、一つ一つ手で摘み取る加工用トマトの収穫作業は年々過酷さを増している。
標高400~600メートルの飯綱地区は、リンゴ栽培と稲作中心の中山間地。95年に40戸あった加工用トマトの生産農家は2024年には10戸にまで減った。5月の定植後3カ月で収穫できる加工用トマトは、かつて短期間で現金収入になる作物だった。しかし今、品種や栽培方法の改良が進み安定的な収入を見込めるリンゴに比べ、必ずしも魅力ある農作物とはいえないのも事実だ。高齢化や後継者がいないことから、作付面積を減らす、やめる農家が増えるのも納得がいく。
飯綱トマト部会副部会長の上野豊さんも、徐々にリンゴ栽培へとシフトしてきた。なだらかな坂に広がっていた加工用トマトの畑は、現在集荷場に隣接する平地のみだ。「もう、リンゴだけにしたいんだよね」と冗談めかすが、トマトづくりへの思いは強い。加工用トマトの畑は雑草に覆いつくされることも珍しくないが、上野さんは丁寧に土づくりをし、畝と畝の間に新聞紙と稲わらを敷いて、雑草の繁殖を防ぐ。他にもこれまで培ったさまざまな工夫や知恵を、なんとか次世代に手渡せないかと心を砕いていることが伝わってくる。
上野さんの指導を受けながら、新規参入した若手がいる。長野県産農産物の流通を生業とする黒柳成子さんだ。黒柳さんにとっては、自分自身で農産物をつくることが仕事のプラスになるうえ、本業が落ち着く期間に栽培できることも決め手になり、加工用トマトの栽培にチャレンジしたという。上野さんからトマトの作付けをやめた農家を紹介され、背丈ほどの雑草が茂った畑を整備した。加工用トマトの栽培について、「一から十まで、何もかも上野さんに教えてもらっている」と話す。畑を所有する農家から必要な道具類も貸してもらえた。「人に恵まれました」と黒柳さんはほほえむ。
飯綱町では他にも、昨年、農業以外の仕事を持ちながら、新規に参入した若者がいる。定植から収穫までの期間が短いことを強みにして栽培に挑戦する次世代を、先輩農家が支援し関連組織や消費者が直接参加で応援することが、国産原料でつくるトマトジュースの持続可能性につながる。

左から、上野豊さん、上野れい子さん、黒柳成子さん、相沢孝さん。上野さんのアドバイスと黒柳さんの努力で、きれいなトマトがたくさんなっていた
撮影/高木あつ子
文/本紙・元木知子
文/本紙・元木知子
『生活と自治』2025年10月号「連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
【2025年10月10日掲載】