日々の「食卓」と「食」の生産現場をつなぐ ――手紙の遣り取りで知る産地のいま――
断続連載
2025年7月に実施された参議院選挙では「コメの安定確保」が争点の一つに上りました。とても大きな変化であり、歓迎できる動きだと思います。ただ、いささか残念だったのは中心的な論点が人の生命の持続可能性(サステナビリティ)を根本から支える食料の価値と、その生産供給を担う農林水産業を起点とした加工・流通、物流の現場における生産労働の重要性に多くの人びとが目を向けるような機会になり得なかった気がすることです。生活クラブ生協の組合員は「消費者」でも「生産者」でもなく「生活者」であろうと社会に呼びかけてきました。その意味を改めて問い直すときが来ているようです。消費生活協同組合が生産と「ともに」ある消費を構想する。そこに「生活」という日々の営みが生まれるという願いを込めた社会的な提案です。そのためにはまず、生産現場の「いま」を知ることから始めるのが肝要ではないでしょうか。そこで今回は岐阜県下呂市で後藤孵卵場(本社・各務原市)が開発する国産鶏種ゴトウもみじ600羽を飼育する「のびのび養鶏場」の中村建夫さんとの手紙の遣り取りを紹介します。

自然のリズムに沿う労働の喜びを知る人へ
前略 お久しぶりです。以前にお便りを頂戴し、自分が食べるものを自分でつくれる幸せと誇りを感じておられるご様子に、安堵するとともに大いに励まされました。この数年、鳥インフルエンザの世界的な感染拡大の影響で「エッグショック」と呼ばれる事態が頻繁に起こるなか、お連れ合いの祖父にあたる中島正さんが提唱された「自然卵養鶏」を取り組まれ、ご夫婦で600羽の国産鶏種「ゴトウもみじ」の飼育されている中村さんはどう過ごされておられるのだろうと案じていた次第です。
そのお便りのなかで、中村さんは「なぜ、自らの命と健康に直結する食料の大切さと食べることの意味に多くの人びとの目が向かないのでしょう」と疑問を投げかけ、あまりに工業が偏重される時代風潮のなかでカネがさらなるカネを生み出す社会構造が幅を利かせていることに虚しさと哀しみを感じていると書かれておられました。東京生まれの東京育ち、社会に出てからIT業界で働きながら都内で暮らしてきた中村さんの言葉だけに微かな驚きと強い説得力を感じながら、思い起こしたのは3人の先人の提言でした。
かつて解剖学者の養老孟司さんにお話を伺ったとき、養老さんは都市の暮らしを支える社会システムの脆さを「何事もああすればこうなる」という脳内シミュレーションに立脚しており、いつ起きても不思議のない人知を超えた出来事に遭遇しないかぎり、その虚構性に人びとは気がつかないとおっしゃいました。また、脚本家の倉本聰さんは「徴兵制」ならぬ「徴農制」の必要性に触れ、ぜい弱な日本の食料自給率を向上させなければ戦後の食料難が再来しかねないと訴えておられました。さらに2022年7月にご他界された農民作家の山下惣一さんは、都市化の進展とともにいつしか人が「自然と切り離され」たことで、「満腹の子にはしつけができない」社会になっていないかと話されていました。
お三方の言葉に通底しているのは、いかに人が「自然」と向き合うかが問われているということだと思います。2024年から25年にかけて起きた「平成のコメ騒動」も2023年の酷暑の影響が起点になりました。「エッグショック」もウイルスという自然の脅威に因るものです。今回のコメ騒動では生産規模の拡大による「増産」と生産コストの低減を求める方向が政府によって示されています。併せてAI(人工知能)を活用したIT化=スマート化を推進し、生産労働の軽減と新規就農者の増加を目指すとされました。これは養鶏の世界では既に来た道であり、装置産業化の弊害に目を向ける動きが出てきています。自然の摂理に限りなく沿いながら、自然のリズムに合った暮らしと労働の喜びを知る中村さんは、いま何を思われているのかが気になります。ご返信をお待ちしています。お連れ合いと娘さんによろしくお伝えください。
そのお便りのなかで、中村さんは「なぜ、自らの命と健康に直結する食料の大切さと食べることの意味に多くの人びとの目が向かないのでしょう」と疑問を投げかけ、あまりに工業が偏重される時代風潮のなかでカネがさらなるカネを生み出す社会構造が幅を利かせていることに虚しさと哀しみを感じていると書かれておられました。東京生まれの東京育ち、社会に出てからIT業界で働きながら都内で暮らしてきた中村さんの言葉だけに微かな驚きと強い説得力を感じながら、思い起こしたのは3人の先人の提言でした。
かつて解剖学者の養老孟司さんにお話を伺ったとき、養老さんは都市の暮らしを支える社会システムの脆さを「何事もああすればこうなる」という脳内シミュレーションに立脚しており、いつ起きても不思議のない人知を超えた出来事に遭遇しないかぎり、その虚構性に人びとは気がつかないとおっしゃいました。また、脚本家の倉本聰さんは「徴兵制」ならぬ「徴農制」の必要性に触れ、ぜい弱な日本の食料自給率を向上させなければ戦後の食料難が再来しかねないと訴えておられました。さらに2022年7月にご他界された農民作家の山下惣一さんは、都市化の進展とともにいつしか人が「自然と切り離され」たことで、「満腹の子にはしつけができない」社会になっていないかと話されていました。
お三方の言葉に通底しているのは、いかに人が「自然」と向き合うかが問われているということだと思います。2024年から25年にかけて起きた「平成のコメ騒動」も2023年の酷暑の影響が起点になりました。「エッグショック」もウイルスという自然の脅威に因るものです。今回のコメ騒動では生産規模の拡大による「増産」と生産コストの低減を求める方向が政府によって示されています。併せてAI(人工知能)を活用したIT化=スマート化を推進し、生産労働の軽減と新規就農者の増加を目指すとされました。これは養鶏の世界では既に来た道であり、装置産業化の弊害に目を向ける動きが出てきています。自然の摂理に限りなく沿いながら、自然のリズムに合った暮らしと労働の喜びを知る中村さんは、いま何を思われているのかが気になります。ご返信をお待ちしています。お連れ合いと娘さんによろしくお伝えください。
草々
のびのび養鶏場
中村建夫 様
中村建夫 様
生活クラブ連合会 山田衛

すべてが自給できているわけではありませんが――
拝復
ご無沙汰しております。私の一通の手紙から山田さんとのやり取りができ嬉しい限りです。また、私の様な小さな養鶏場に目を向けて下さりありがとうございます。
さて、今年も鳥インフルエンザの影響による「エッグショック」なる言葉が広まりました。マスメディアは鶏卵価格の上昇を報じ、多くの消費者が困惑するなか、養鶏農家は姿が見えず侵入経路も定かでないウイルスという自然の脅威に怯える日々を送ったはずです。一羽でも感染が確認されれば全部の鶏が殺処分となり、生業(なりわい)を失いかねない事態ですから、とても安閑としてはいられません。その気持ちは痛いほどわかります。
幸いなことに当養鶏場はいつも通り平穏な日常を過ごしています。なぜなら、鶏たちは健康を体現したかのように元気闊達で、そのお陰で毎日貴重な卵を得られているからです。人も鶏も健康が第一であることを痛感させられます。そうしたなか、今年は祖父の中島正が実践していた陸稲栽培にも初めて挑戦しました。ビニール製の黒マルチは使いたくなかったため、植物の根と共生して生育を促進してくれるマイコス菌を活用し、水田ではなく畑地で水稲が育つように創意工夫を重ねてきました。その成果は改めてお知らせしたく思っております。それにしても自然の摂理に追われ、振り回されるようにして日々の労働を進めるのは難しいものです。それは鶏の肥育や採卵、自家用野菜の栽培も同じです。どれ一つとして人の都合に合わせてくれるわけではなく、逆に人が自然のリズムや状態に沿うように動きながら仕事を進めなければなりません。
いま、政府は農業分野の情報技術(IT)化を掲げ、農業従事者の高齢化と後継者難の解消のためのスマート化(機械化・ロボット化)を推進し、生産労働の軽減化を図ろうとしています。なるほどと思いつつ、素朴な疑問が浮かんできます。仮にIT・スマート化を成し遂げ、生産労働が軽減した場合、それによって浮いた時間を人は何に使うというのでしょうか。買い物でしょうか。それともテーマパークや遊園地回りなどの観光でしょうか。いやいや、きっとお金を稼ぐためにもっと働くのかもしれません。AIやITというのは過酷な労働の軽減化を図る手助けをするために生まれてきた「道具」なはずです。あくまでも自身も自然の一部である人間が生身の身体を通して自然(地球環境)とつながり、自然に働きかけることで、その「恵み」を得る主体は人間であり、道具はその手助けをする道具に過ぎないのです。そこを見誤り、マシンを過信するようなことがあってはいけないと思います。
ご無沙汰しております。私の一通の手紙から山田さんとのやり取りができ嬉しい限りです。また、私の様な小さな養鶏場に目を向けて下さりありがとうございます。
さて、今年も鳥インフルエンザの影響による「エッグショック」なる言葉が広まりました。マスメディアは鶏卵価格の上昇を報じ、多くの消費者が困惑するなか、養鶏農家は姿が見えず侵入経路も定かでないウイルスという自然の脅威に怯える日々を送ったはずです。一羽でも感染が確認されれば全部の鶏が殺処分となり、生業(なりわい)を失いかねない事態ですから、とても安閑としてはいられません。その気持ちは痛いほどわかります。
幸いなことに当養鶏場はいつも通り平穏な日常を過ごしています。なぜなら、鶏たちは健康を体現したかのように元気闊達で、そのお陰で毎日貴重な卵を得られているからです。人も鶏も健康が第一であることを痛感させられます。そうしたなか、今年は祖父の中島正が実践していた陸稲栽培にも初めて挑戦しました。ビニール製の黒マルチは使いたくなかったため、植物の根と共生して生育を促進してくれるマイコス菌を活用し、水田ではなく畑地で水稲が育つように創意工夫を重ねてきました。その成果は改めてお知らせしたく思っております。それにしても自然の摂理に追われ、振り回されるようにして日々の労働を進めるのは難しいものです。それは鶏の肥育や採卵、自家用野菜の栽培も同じです。どれ一つとして人の都合に合わせてくれるわけではなく、逆に人が自然のリズムや状態に沿うように動きながら仕事を進めなければなりません。
いま、政府は農業分野の情報技術(IT)化を掲げ、農業従事者の高齢化と後継者難の解消のためのスマート化(機械化・ロボット化)を推進し、生産労働の軽減化を図ろうとしています。なるほどと思いつつ、素朴な疑問が浮かんできます。仮にIT・スマート化を成し遂げ、生産労働が軽減した場合、それによって浮いた時間を人は何に使うというのでしょうか。買い物でしょうか。それともテーマパークや遊園地回りなどの観光でしょうか。いやいや、きっとお金を稼ぐためにもっと働くのかもしれません。AIやITというのは過酷な労働の軽減化を図る手助けをするために生まれてきた「道具」なはずです。あくまでも自身も自然の一部である人間が生身の身体を通して自然(地球環境)とつながり、自然に働きかけることで、その「恵み」を得る主体は人間であり、道具はその手助けをする道具に過ぎないのです。そこを見誤り、マシンを過信するようなことがあってはいけないと思います。

といって、科学技術の進歩を否定的に捉えているわけではなく、その可能性に期するとともに人知の限界性を意識する必要があると言いたいのです。昨今、世界中で自然災害が多発しています。その度に思い知らされるのが衣食住の大切さです。日本も1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、2024年の能登半島地震と自然の猛威に見舞われました。多くの方たちの命を奪い、住み慣れた家を破壊しつくす自然の力に残念ながら人は抗すべき術を持ちえないことを再認識しなくていいものかと思うのです。換言すれば、今日は昨日の続きで明日は今日の続きと思っている日常が、いつ劇的に変わってもしまうかもしれないものだと考えてみることも時には必要なのではないかということです。たとえば、今日食べた食料が明日もある保証はどこにあるというのでしょうか。
「保証はない」と思われるのであれば、少しずつでも原点回帰すべき時がきたということでしょう。令和のコメ騒動もそうですが、農業・漁業・林業の一次産業従事者の減少にしろ、日本の消費者が一丸となって食料自給に目を向け、何らかの方法で生産参画する道を模索していけば、次第に解決可能なはずです。しかし、それは現実的ではない、とてもできるはずがないと多くの人が考え、口を閉ざしてしまいがちなのが寂しくかつ残念です。現在、私は妻と娘の3人で岐阜県下呂市の金山町で暮らしていますが、自宅から市内に行こうと思うと車で最低40分は走らなければなりません。ということもあって、必然的に家族で食べるものは自分の手で作ろう、いや作りたいとゼロから畑仕事にも励むようになりました。やってみると、これが何とも心地良いのです。しかも実においしい。
私が家族で栽培しているのは多品種の野菜に梅干し、味噌、醤油、柿酢、シイタケ、ハブ茶……と.数えたらキリがない多くの恵みを得ています。あっ、肝心の卵と鶏肉を忘れていました。私たち家族が食べる程度の調味料や食料は、案外簡単に作れてしまうものだと我ながら驚いております。もちろん、全てが自給できているわけではありませんし。自分たちで作れないものなどは買いに出かけています。東京で生まれ育ち、岐阜の山村にやって来て、家族が生きていくために必要な食材は自分で作って暮らすようになったからこそ見えてきた世界です。都会で暮らすという選択とは別の選択が人生にはある、そのことを多くの人に気付いてほしい、そんな願いを込めて、思いの丈を綴ってみました。さらなるご返信とても楽しみにしております。
敬具
生活クラブ連合会 山田衛 様
中村 建夫
なかむら・たつお
1988年東京生まれの渋谷育ち。渋谷センター街を抜けた先にある神南小学校に通い、原宿の竹下通りそばの原宿外苑中学校から東京タワーの真下にある正則高校へ。東京理科大学卒業後、都内のIT企業に勤務。現在に至る。
撮影/魚本勝之