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【東日本大震災 復興支援活動10年】被災地の生活クラブの活動(岩手・ふくしま)

生産者の支援に片道2時間通いました(岩手)
生活クラブの配送車に涙がこぼれました(ふくしま)

震災発生後、生活クラブでは被災地の会員単協や生産者、組合員の安否確認を行ないましたが、連絡がとれない方もあり心配を募らせていました。そんななか、いち早く被災地に向かった生活クラブ岩手の組合員たちは、津波を逃れ高台の神社に避難していた㈱高橋徳治商店社長の高橋英雄さんらと再会。この連絡を受けた提携生産者や関連会社なども加わり緊急物資を届けるなど、生活クラブの支援活動が始まりました。震源地や福島第一原発に近い東北エリアにある生活クラブ岩手・ふくしまの震災当時の様子を振り返ってもらいました。

震災1週間後に現地入り、いち早く支援活動を開始

生活クラブ岩手理事長 四戸美恵さん

生活クラブ岩手の組織エリアは内陸のため、当時、地震による大きな被害はありませんでしたが、ライフラインが止まり、スーパーマーケットには物がなくなる事態になりました。そのような状況でも、私たちの共同購入は滞ることなく配達を続けることができました。生活クラブグループの皆さんが、被害の大きい東北を優先して消費材や輸送ルートの確保などに不眠不休で対応してくれたのです。不便な生活がいつまで続くかわからないなか、変わらずに消費材が届いたことに驚きと感謝の気持ちでいっぱいでした。
地震から1週間後、組合員所有の空家を支援活動の拠点として、生活クラブグループの皆さんと一緒に、重茂漁協(岩手県宮古市)、㈱高橋徳治商店(宮城県石巻市、当時)、㈱丸壽阿部商店(宮城県南三陸町)の支援活動を始めました。
いちばん大切にしたのは「会話」です。そして、一方的な支援の押しつけにならないよう心がけました。

皆さんの安否もわからないまま悪路を走り、生産者の拠点のあった地をたずね、無事を確認することができました。そして、必要なものを聞き取り、各地の生活クラブや全国の生産者から届いた食料や生活用品、ストーブなどを届けました。この支援は1カ月間をめどとして行ないました。

生産設備の復旧のために、㈱高橋徳治商店では工場の泥出しや機械洗浄を、重茂漁協では津波の被害を免れた塩蔵わかめの芯抜きや袋詰めなどの作業を手伝いました。生産者が早く立ち上がり、前にすすんでくれることを思い、片道2時間以上かかる道のりを交代で通いました。

震災から10 年。被災地には大きな防潮堤ができ、区画整理がすすみ、街並みも見られるようになりましたが、一方で、気候変動による災害、漁獲量の減少や魚種の変化、さらに2020 年はコロナ禍で海産物の価格の下落など、生産現場には次から次へと問題が起きています。いつ何時もお互いの「糧」を支え合えるよう、私たちは3生産者の消費材を利用し、交流しながらつながりを深めていきたいと思います。
岩手単協の配送車が避難所に着くとすぐに行列が(2011年3月)
重茂漁協で肉厚わかめの袋詰めをする生活クラブ岩手の組合員(2011年6月)

震災直後の新地町に生活クラブの配達車がきてくれた

生活クラブふくしま相馬準備支部 新地町・横山みよしさん

震災より10年が過ぎ、以前のような日々を過ごしています。当時は避難所で他人と背中を合わせて寝ていて、不安と、これからのことを考えると眠れない日々でした。ある日、避難所のエントランスで組合員の目黒敏子さんと話をするでもなく外を見ていたとき、生活クラブの配達車が食材を届けにきてくれました。運転していた当時の生活クラブふくしま専務理事の土山雄司さんと皆で泣きました。その後の支援物資や心の支援は今思い出しても私の心の支えとなりました。
新しい家に入り、主人が地区長になり、私も舅の介護や民生委員として地区の方たちのお世話に忙しく、毎日を過ごしていました。そのなか、職員の佐藤慶介さん(震災時の生活クラブふくしまの支援職員)、舅と大切な人を亡くしました。

今ある穏やかな日々は彼らの支えや、たくさんの方たちの温かい支援のおかげと思います。今世界はコロナで自粛の毎日です。そのなか生活クラブの活動には本当に感謝です。これからも福島を忘れずによろしくお願いいたします。
 
緊急支援物資を積んだ生活クラブのトラック

毎土曜日のお楽しみだった仮設住宅の「青空市」

生活クラブふくしま相馬準備支部 相馬市・西村尚子さん

あの日から10年の月日が過ぎてしまいました。原発の放射能が飛び散るなか、死を覚悟で私たちの安否確認のために福島まで来てくださった職員さんに、驚くとともに、とても安心したことは今でも忘れられないことです。
新地町は買い物をする店が少なく遠いため、高齢者が家にこもらないようにと2011年7月に生活クラブふくしまが中心になって仮設住宅で「青空市」を始め、仮設から転居する人が増えたため役割は終えたとして終了した2014年6月まで開催しました。津波で家を流されて何もなくなった仮設の人々には買い物だけでなく、会話ができる楽しみな場所ともなり、1年で終了する予定が3年間も続きました。毎土曜日に各地の生活クラブから応援に来てお手伝いをしていただき、全国の組合員さんとつながることができ、とても感謝しています。

復興もだいぶすすんで、道路や建物がいっぱいできています。このコロナ禍が終わったら、今の福島をぜひ見てください。相馬の海で待っています。普通の生活が毎日続き、平和で安全な日々を命あるかぎり頑張りましょう。
「ふくしまは負けない・明日へ」

生活クラブ茨城や生産者も参加した2011年の青空市

支援りんごと生活クラブという「窓」を通してようやく日常に

生活クラブふくしま相馬準備支部 新地町・畠みつ子さん

人生を変えたあの日から10年が過ぎようとしています。震災直後の配達、その後の支援物資、生産再開のための除染生産継続のための私たちが営む畠農園の「支援りんご」*の取組み。生活クラブという「窓」を通して、多くの組合員・職員の皆さまに支えられ、ようやく日常が戻りました。
私たち農家の日常は季節とともに廻りゆきます。数年経って、「あれっ」と小さな変化に気づくことも少なくありません。そして、今は「支援りんご」を通してのつながりが日常に入っています。いつまで「支援」の言葉に甘えてよいのだろうと思うこともあります。でも、こうしてつながった窓をただ閉じるのは残念でなりません。支援という枠を超えてよりよいつながりを築いていけたらと、心から願っております。ビジネスと個人からもう一歩、人と人、生活者と生産者、そんな関係へ…。

新地町は津波の被害が最も大きかった地域のひとつです。畠農園のりんごは一般からの注文が大きく減りました。生活クラブふくしまの呼びかけに応じ、支援りんごとして販売協力を行なっています。
★パンフレット『東日本大震災 復興支援活動 10年のまとめ … つながる、つづける、ともにゆく』(2021年3月11日発行)の転載です。
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