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【東日本大震災 復興支援活動10年】共生地域創造財団の活動

祈りの中で――
共生地域創造財団の10年を振り返る

公益財団法人共生地域創造財団(以下、財団)は、東日本大震災の被災地支援を目的に、NPO 法人ホームレス支援全国ネットワーク、グリーンコープ共同体、生活クラブ連合会の3団体が母体となってつくった組織です。理事長の奥田知志さんは、日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会の牧師であり、長く北九州市を拠点にホームレス支援を行なってきた方で、同じく九州を拠点とするグリーンコープ共同体とともに震災前から連携して生活困窮者支援事業を行なっていました。震災後、いち早く支援に動き出したグリーンコープ共同体の仲介により三者による支援活動が始まりました。
公益財団法人共生地域創造財団 理事長 奥田知志さん

絶望と祈りの中から財団は生まれた

東日本大震災から10 年が過ぎようとしています。私たちはあの日、大自然の驚異と原発事故によって表出した人間の限界をまざまざと見せつけられました。当時、現地に入った私は、あまりの光景に絶句しました。言葉を失う――。
多くの人々がそんな経験をされました。沈黙は絶望の闇に私たちを引きずり込みます。同時に沈黙は私たちの中に祈りを生み出し、そして、祈りが希望をつなぎとめます。
祈りの中で財団は生まれました。生活クラブ連合会、グリーンコープ共同体、NPO 法人ホームレス支援全国ネットワーク、それぞれにつながる人々の祈りが形となったのです。石巻(いしのまき)、大船渡(おおふなと)、陸前高田、大槌(おおつち)に拠点を構え、スタッフは今日も伴走の日々を過ごしています。福島をはじめ、出会った方々との協働が積み上げられています。災害の中で誕生した財団だから、その後、発災のたびに全国の被災者へと駆けつけています。

財団がめざす「伴走型支援」と「共生」

絶句せざるをえないような闇の中で祈りは生まれます。財団がめざす伴走型支援は、たんなる「闇払い」ではありません。それほど事柄は「安易」ではないのです。闇の中にとどまらざるをえない人々が知る「闇の冷たさ」をわが事としたい。
同じにはなれませんが、一緒にいることはできます。何もできなくても、ただ闇の中で一緒にいる、再び立ち上がるその時を一緒に待つ。これが財団がめざす「伴走型支援」です。

「最も小さくされた人々に偏った支援を行う」。これが財団のミッションです。「偏った支援」は、公益財団法人にはふさわしくないといわれることがあります。そうかもしれません。しかし、私たちは「ひとりとの出会い」にこだわり、「ひとりにしない」ことをめざしました。「共生(財団)」は、それでよいと思っています。

震災後10年を前にしてコロナがやってきました。追い打ちをかけるように闇が深まっています。でも、私たちは恐れません。どんなに闇が深くても、そこに祈りが生まれ、祈りが友を結び、祈りが希望となることを私たちは知っているからです。財団の仕事は終わりません。旅の果てにどんな社会が生まれるのか、私たちは祈りつつそれに備えたいと思います。

10年間のご支援を心から感謝申し上げます。
2011年3月31日 仙台空港周辺の様子
2011年11月 岩手県大船渡市で物資の配布とお茶っこ会
2012年1月 冬物衣料や毛布などの物資を搬送

地域のさまざまな団体と伴走しながら
新たな地域の活動主体が育つようサポート

財団の支援活動は3団体が単独で行なうより、それぞれの団体の強みを生かして共同するほうがより力を発揮できるのではないかという意図により、情報・支援拠点・支援物資や資金を共有する共同事業体として発足しました。「伴走型」というスタンスで地域の自立再建を見守りつつ、緊急支援だけでなく息の長い支援を継続しています。
公益財団法人共生地域創造財団理事 生活クラブ連合会企画部 赤坂禎博

震災3日後から活動を開始、小さな集落や在宅被災者への支援に集中

財団(当時は共同事業体)は、東日本大震災3日後から被災者支援活動を開始しています。とくに、震災前から困窮者支援活動を行なっていたNPO 法人ホームレス支援全国ネットワークのノウハウやネットワークにより、被災地での支援活動をスムーズに行なうことができました。支援にあたっては、なかなか支援の手が行き届かない小さな集落や在宅被災者への支援に集中し、必要な物資の提供やがれき撤去の応援などの支援を行ないました。
さらに、宮城県石巻市の小さな漁村、蛤浜(はまぐりはま)・折浜(おりのはま)や十三浜(じゅうさんはま)の漁業復興支援や宮城県亘理(わたり)町の農業復興支援など、被災地の産業復興の支援も行なってきました。大船渡(おおふなと)市をはじめとして、暮らしの再建がなかなかすすまない被災者の方々に対して「伴走型」の支援活動をすすめてきました。 

現在では、宮城県石巻(いちのまき)市・岩手県大船渡市・岩手県大槌(おおつち)町・岩手県陸前高田市の各事業所で、行政からの事業受託や地域のNPO 法人などと連携した事業を行なっています。
その運営・活動資金は、3団体を中心としたカンパ、行政からの業務委託費で成り立っています。

地域の団体を支援する「中間支援事業」

現在、財団が主として行なっている事業は、「中間支援事業」と「自主事業」に分けられます。
中間支援事業とは、被災地で活動する団体へ物資支援・助成支援・復興商品の販売支援などを行なうことです。活動は東日本大震災の被災地からはじまりましたが、今では全国で発生する災害に対する支援活動に広がっています。 

近年では、熊本地震、西日本豪雨、熊本豪雨などの被災地で支援活動に取り組んでいる地域のNPO 法人などにも支援を行なっています。発災直後の緊急支援はもちろんのこと、緊急支援が終了した後も継続してそれらの団体が再建・復興に取り組んでいけるよう、地域の団体をサポートするという視点で行なっています

事業所のある地域ごとの課題に応じて行なう「自主事業」 

自主事業では、地域ごとの課題に応じた取組みを行なっています。震災から10 年が経ち、ハード面の支援から、生活状況に応じた生活再建支援へとフェーズは変わりつつあります。このような現状をふまえ、自主事業では事業所のある地域ごとの課題に対応して、居住支援、困窮者支援、就労支援、自宅の再建支援、買物代行、また、コミュニティづくりや地域食堂などの取組みが中心になっています。

今後発生する災害に対しても支援を

今日では、毎年のようにいたるところで災害が発生します。被災地の状況はそれぞれに異なり、課題もそれぞれです。財団の支援活動の強みは、発災直後から継続した支援を行なうことにあります。地域のさまざまな団体と伴走しながら支援を行ない、災害後に地域に新しい社会資源と活動を担う主体が生まれ育つようにサポートしていくことが私たちの役割と考えています。財団はこれからも、東日本大震災への支援はもちろん、今後も発生するであろう災害に対しても支援活動に取り組んでいきます。

自主事業:4つの事業所の活動

財団の活動は、支援の手が届かない地域を訪ね、そこで出会った被災者への支援から始まりました。在宅被災世帯は公的支援の対象外であること、2013 年に生活困窮者自立支援法が施行されたこともあり、自治体からの受託による被災者の生活再建支援や生活困窮者支援を中心にすすめてきました。自治体が復興支援事業を終了しようとしているなかで、受託型からの脱却と、伴走型支援の継続が課題となっています。各事業所の現在の自主事業の活動について報告してもらいました。
◆石巻(いしのまき)事業所(宮城県)
石巻事業所 吉田菊恵さん

石巻事業所では、仮設住宅からの転居世帯、在宅被災世帯を合わせて3年間で約220世帯に訪問を行なってきました。この訪問をきっかけに、家族だけではどうしたらよいかわからず、悩みを抱えていた方々に出会いました。それぞれの悩みに対応する支援機関につなぎながら、支援機関とともに継続したかかわりを続けています。

2020年、石巻市に開設した総合相談窓口「福祉まるごと相談窓口」には財団の1名の職員が駐在しています。また、新型コロナウイルスの影響により相談件数が増えた居所確保支援を中心に、相談支援を継続しています。
2020年9月には宮城県から「居住支援法人」の認定を受けました。これまで地域における居住支援に関する相談先が明確に存在しなかったのですが、今後はこういった需要にも対応していけるように体制を整えていきたいと考えています。

そんななか、活動のなかで出会った相談者が他界しました。
彼は就労訓練の軽作業やサロン活動「出会ってほやほや」に参加してくれました。寡黙ななかに他人を気遣う優しさのある方で、他の参加者の気持ちをほぐしてくれました。彼のお母さんは一年のうちに旦那さんと息子さんを失うことになりました。
何にも手をつける気持ちにならないと話すお母さんの代わりに、彼が借りていたアパートの退去に関わる手配を手伝いながら、お母さんの様子も気にしながら訪問を続けております。

相談者のお母さんとアパートの退去に立ち会い
◆大船渡(おおふなと)事業所(岩手県)
大船渡事業所統括 佐々木敦子さん

大船渡事業所では、2013年の生活困窮者自立支援法成立を機に2014年6月に大船渡市でシンポジウムを開催。市の委託を受けた地域の見守り事業を中心に、支援対象者を支援員として養成するなどの活動も行なってきました。

震災から10年が経とうとしている今、私たちが訪問している世帯にも目に見えて大きな変化が生じ始めているという印象を強く感じます。建物の経年による引っ越し、死亡、入院、発病、施設への入所、介護保険の利用などが主ですが、高齢独居世帯や高齢世帯への訪問需要が増えています。これらの世帯を中心にアウトリーチを重ね、見え隠れする課題に留意しながら見守り体制を強化しています。
一方で、需要に応じて小規模のサロンづくりや外出支援なども各地で行なっています。少しずつサロンに参加する人を増やすことで人間関係のストレスをなくし、継続的に参加できるようにしたり、サロンとサロンをつないでその輪を広げ、参加者が他の人に働きかけられるような環境を整えながら、相互性のある活動に取り組み始めています。

現在は、被災者を対象にした支援が中心ですが、将来は生活相談や参加者が趣味を広げたり、お小遣いを稼いだり、簡単な食事ができるような、地域に根ざした、集う人たちが幸せを感じる居場所を創りたいと思っています。
*支援が必要なのに届いていない人に対して働きかけること。

サロン活動の様子
◆大槌(おおつち)事業所(岩手県)
大槌事業所統括 中居知子さん

私たちは2017年4月から2020年3月までの3カ年、岩手県大槌町において東日本大震災と津波で被災された方々の応急仮設住宅から恒久住宅への転居支援を行なってきました。想像をはるかに越える長い期間、応急仮設住宅で過ごすことになった方々は、当初に決意していた方法では再建できず、世帯状況や年齢、収入などに見合った再建プランを練り直す必要があるのが現状です。私たちは出逢った方々に寄り添い、ひとり一人に必要なプランを検討し、双方で目標を立て、2020年3月に応急仮設住宅からの完全転居を果たしました。
 
2020年4月からは、岩手県山田町船越地区において国際NGOジャパン・プラットフォームの助成を受け、2019年の台風19号豪雨災害で被災された方々の自宅・生活再建のサポートを行なっています。

船越地区は東日本大震災のときも津波・大火災により陸の孤島となった漁師町の半島です。交通の便も悪く、町の中心部まで買い物や通院に行くのに往復6,000円のタクシー代を捻出しなければなりません。度重なる災害に疲弊している心と二重債務などの経済的懸念の軽減を目的に、自宅再建支援だけでなく買い物代行支援も同時に行なっています。
また、漁師町という地域柄、住民は自立心がとても強く、自助が当たり前の風土が根づいています。しかし、高齢化がすすむなか、お互いがお互いを支え合う「共助」が可能な、新たな地域文化の創造が必要です。これを目標に、住民同士を結び付ける接着剤の役割を私たちは担っています。

住民同士で畑を耕し野菜の苗の植えつけ
◆陸前高田事業所(岩手県)
陸前高田事業所統括 石井優太さん

2019年6月に陸前高田市ユニバーサル就労支援センターを開所し、これまでに80件の相談がありました。年齢は10~70歳代と幅広く、抱える課題も引きこもり、鬱、自閉症、知的障害、アルコール依存などさまざまです。当センターの支援の特色は、面談やグループワークによる関係づくりです。支援員との関係や相談者同士の関係が深まることで居場所が生まれ、居場所のなかの安心や刺激が次のステップへすすむきっかけともなります。これまで有償/無償の就労体験に参加した方は30名、雇用に至った方は17名いらっしゃいます。
ところが、センターの支援スタイルが固まりつつあった初年度末、コロナ禍により相談者も地域も状況が大きく変わりました。新たな支援の形を創るためITを活用した活動を始めています。

Zoomを用いたオンラインコミュニケーションワークも試みのひとつで、人見知りの方も対面より口数が増えるなど、思わぬ効果がありました。プログラミングのワークも開始しており、地元の産直の業務を自動化するシステムの試作に取り組んでいる相談者もいます。めざすのは、地域のIT化促進と就労支援を組み合わせた新たなしくみづくりです。

震災からの復興とコロナ禍による社会変化。それらに取り残される人や地域が生じないように、引き続き共生する地域の創造に取り組みます。

オンラインコミュニケーションの様子

中間支援事業:支援団体の活動

震災直後は被害があまりにも甚大で広範囲にわたり、情報が乏しかったこともあり、支援の手が入らず孤立する被災者が数多く点在していました。すべての被災者にあまねく支援するのが難しいのも現実でした。生活クラブでは財団とともに支援物資や瓦礫撤去などを通して出会った方たちとのつながりを大切にし、産業復興・物資支援・ボランティアなどを行なってきました。その一部をご紹介します。


農事組合法人マイファーム亘理協同組合(宮城県亘理町)

仙台市の南に位置する亘理町(わたりちょう)。沿岸部は津波で壊滅的な状況でしたが、塩害を受けた田畑で農業を再開しようとしていました。マイファーム亘理(現在は㈱マイファーム)は加工用トマトを栽培する2つの農園が設立した団体です。
トマト栽培を再開すれば販売先は確保できそうだったため収穫のボランティアを募集。多くの組合員・職員が参加して農業復興を支援するとともに、収穫したトマトを原料にした「亘理の真赤なトマトケチャップ」「亘理の真赤なトマトジュース」の販売にも協力しました(2012~2015 年まで)。

加工用トマト栽培で農業再開の支援


十三浜(宮城県石巻市北上町)

㈱高橋徳治商店の高橋英雄社長と十三浜(じゅうさんはま)の佐藤清吾さんが旧知の仲だったことから支援が始まった地域です。大室地区に伝わる伝統芸能「大室南部神楽」は津波で道具など一切を流失。このままでは地域がなくなると復活に奔走する人たちの願いを知った生活クラブ東京が組立式舞台を造って寄贈。復活した神楽は2014年の「きたかみ春まつり」で上演され、まつりには生活クラブ岩手も参加・支援しました。また、佐藤さんが編纂し、泥の中に1冊だけ残った「十三浜方言集」の復刻にも協力しました。

きたかみ春まつりで上演された「大室南部神楽」


蛤浜・折浜(宮城県石巻市)

蛤浜(はまぐりはま)と折浜(おりのはま)は牡鹿(おしか)半島にある小さな漁村で、津波でかきの養殖いかだや剥むき場、漁船のすべてを流失。途方に暮れていたときに財団と出会い、かき養殖再開への意欲がわいたそうです。一緒に瓦礫撤去やかきの種付けを行ない、2012年5月に殻付きかきを出荷、12月には剥き場が完成し、他地域より早く復興にこぎつきました。また、財団の就労支援活動に協力して研修生を受入れ、就労訓練(かき剥き)の場を提供。
支援する側の役割も担っています。生活クラブはこの事業でできた「笑える牡蠣」の販売に協力しています。

かき養殖を復興した蛤浜の亀山秀雄さん


WATALIS(宮城県亘理町)

「WATALIS(わたりす)」は、亘理町の女性たちが手仕事による仕事づくりや、震災で散り散りになった住民の交流の場づくりを目的に結成したグループです。かつてこの地域ではお礼や贈り物をするとき、布製の袋に入れて手渡す習慣がありました。WATALISのメンバーは震災で閉店した呉服屋から譲り受けた着物を再利用して作り、「FUGURO(ふぐろ)」として販売。財団はその立ち上げ期に販売協力、メンバーが集まる場の提供、設備費用の助成などを行ないました。

代表の引地恵さん(後列左)とスタッフ。子育て中の女性は「FUGURO」で収入づくり、高齢者は指導役で孤立を防ぐ


丸子農園・斎藤農園(宮城県亘理町)

亘理町はいちごの産地として有名でしたが、津波でいちごハウスは跡形もない状態に。財団では丸子農園、斎藤農園など(いちご農家)の瓦礫撤去やハウスの再建などのボランティアを行なったほか、2012年には「いちご株券」を発行してカンパを集めて丸子農園を支援。斎藤農園の再開したハウスで収獲したいちごは「支援いちご」として販売協力しました。


再建したハウスでいちごを収穫する丸子農園の丸子忠志さん


NPO 法人昭和横丁(福島県川内村)

福島第一原発から20~30㎞圏内に位置する川内村(かわうちむら)は一時、全村避難を余儀なくされました。多くの村民は郡山市の仮設住宅に避難。2017年3月に仮設が閉鎖になり、村に帰還していますが、高齢の方が多く、経済的に苦しいのが実情です。仮設の自治会長だった志田篤さんは2014年から3年間、仮設で「横丁市場」を開き、買い物とコミュニティの場を運営。現在は川内村で再開してます。生活クラブは新鮮な野菜を提供、財団はキッチンカーを提供して温かいお惣菜を提供できるようにするなど、活動をサポートしています。


毎週日曜日に開かれる市。高齢者には送迎もある


NPO法人シャローム(福島県福島市)

シャロームは震災前から搾油用ひまわりを栽培し、食用油を製造・販売することで障がい者就労施設を支援している団体です。放射能汚染のため福島でひまわり栽培が不可能になり、県外の協力者に栽培を呼びかけ、採れた種を返送してもらう方法で活動を続けています。生活クラブでは各地の組合員がひまわりの栽培に協力。ひまわり油やひまわり油を使った「みんなのせんべい」の販売に協力しています。

「みんなの手」と名づけられたひまわり油


一般社団法人コミュニティスペースうみねこ(宮城県女川町)

代表の八木純子さんは、避難所で小さい子どものいるお母さんが苦労しているのを見て子どもの一時預かり支援を始めたのを手始めに、高齢者の居場所づくり、若者の働く場づくりへと活動を広げています。女性たちは拠点の「ゆめハウス」でカフェを、津波で仕事を失った男性たちは畑をつくっていちじくや唐辛子などを栽培、若者たちは「さんまなたい焼き」を販売するなど、地域の集いの場を築いています。生活クラブでは「いちじくの葉茶」「潮風とうがらし(赤・青)」などの販売に協力しています。


収穫したいちじくを手にした代表の八木さん(左端)とうみねこのスタッフ


ぽかぽかプロジェクト(福島県猪苗代町)

国際NGO団体であるFoE Japan が、福島の子どもたちに野外で思い切り遊んで、保養してもらうことと、お母さん方が不安や心配を共有できる場の提供を目的に実施している保養プロジェクトです。放射線量の低い福島県猪苗代(いなわしろ)のシェアハウスで年間8~10回開催し、毎年、多くの子どもたちが参加しています。生活クラブは消費材を食材として提供しています。


のびのびと林の中を駆けまわる子どもたち
★パンフレット『東日本大震災 復興支援活動 10年のまとめ … つながる、つづける、ともにゆく』(2021年3月11日発行)の転載です。
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