映画『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』は問いかける
シリーズ 子どもの「死」を検証する(上)フリーライター/益田美樹さん
ドキュメンタリー映画『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』は全国で上映が続いている(©2022 PAO NETWORK INC.)
「こどもがまんなかの社会」を実現するため、縦割り行政の弊害解消を目指して発足した「こども家庭庁」が2023年4月に始動した。同庁の役割は多岐にわたるが、とりわけ子どもの生命を守る実行力が求められるのはいうまでもない。不慮の事故や家庭内での虐待、いじめなどに起因する子どもたちの「死」が後を絶たない社会にあって、同庁がその「予防」に資する仕組みを確立し、効果的な運用に努めるよう期待する関係者の声は着実に高まっている。
その仕組みの一つに、欧米で導入が進んでいる「チャイルド・デス・レビュー(頭文字をとってCDR)」と呼ばれる制度がある。厚生労働省が「予防のための子どもの死亡検証」と和訳しているとおり、子どもたちの「死」の予防が目的だ。そのために、あらゆる死亡事案を多機関が連携して検証し、予防策を考える。子どもの「死」の原因検証と聞き、「すでに日本でもされているはず」であり、その結果をもとに「社会的な予防措置も取られるようになっている」と考える人は多いだろう。確かに自動車のチャイルドシートのように、事故の検証の積み重ねから予防策として採用され、設置が義務化された例もある。だが、十分な検証が「されにくい」事例が多々存在することに改めて注意を向ける必要がある。
たとえば、検証を担う人たちと、責任を追及されかねない人たちが「同一または協力関係にある場合」がある。これにまさしく該当するのが、2011年3月11日に発生した東日本大震災による「大川小学校津波被災」の検証だ。この事例をもとに、日本における子どもの死亡検証の現状を追ってみた。(このシリーズは上中下の3回に分けて掲載する)
行政主導の検証では解き明かされない「なぜ」を追い続ける
宮城県石巻市立大川小学校では、東日本大震災の際に押し寄せた津波にのまれ、児童74人(うち4人は行方不明)、教職員10人が命を落とした。津波による死亡者が大多数を占めた被災地のなかで、大川小の惨事がひときわ高い関心を集めたのは、子どもの犠牲者数が突出していたことに加え、すぐ裏手に山がありながら、そこに避難しなかった不可解さが残ったからだ。
遺族はもとより、多くの人が「なぜ、こんなに多くの犠牲者が出たのか」「どうして、裏山に避難しなかったのか」という疑問を抱き、「しかるべき行政部署が、しかるべき検証を行い、再発防止に向けて納得のいく答えを出すだろう」と期待したのではないだろうか。そのプロセスと結果を記録し、一つの答えを提示したドキュメンタリー映画が2023年2月に公開された。大川小の子どもたちの「死」の真相究明に立ち上がった遺族らの姿を追った『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』だ。遺族自らが撮りためた被災当初からの資料映像が随所に挿入され、裁判終結までの経緯を当事者目線で追体験できる。「学校で子どもを亡くした親が直面する苦悩」が克明に描れ、「真相は待っているだけでは解明されない」という現実を浮き彫りにした。
遺族はもとより、多くの人が「なぜ、こんなに多くの犠牲者が出たのか」「どうして、裏山に避難しなかったのか」という疑問を抱き、「しかるべき行政部署が、しかるべき検証を行い、再発防止に向けて納得のいく答えを出すだろう」と期待したのではないだろうか。そのプロセスと結果を記録し、一つの答えを提示したドキュメンタリー映画が2023年2月に公開された。大川小の子どもたちの「死」の真相究明に立ち上がった遺族らの姿を追った『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』だ。遺族自らが撮りためた被災当初からの資料映像が随所に挿入され、裁判終結までの経緯を当事者目線で追体験できる。「学校で子どもを亡くした親が直面する苦悩」が克明に描れ、「真相は待っているだけでは解明されない」という現実を浮き彫りにした。
津波にのまれた大川小学校のグラウンド(©2022 PAO NETWORK INC.)
事実の解明のためには、行政に法律上の責任を追及する道しか残されていなかった(© 飯 考行)
発災からおよそ1カ月後、保護者・遺族の求めに応じて石巻市教育委員会(市教委)が開いた説明会の場面では、押し黙る市教委職員や学校関係者に向けて、親たちの怒号が飛んだ。発災時に不在だった校長と、教員で唯一生還した教務主任が出席していたが「なぜこんなにも多くの犠牲が出たのか」という遺族らの問いに対する答えは一向に導き出されない。その後約3年にわたり、計10回の説明会が開催された。この結果、市教委側は「遺族の納得が得られた」としたが、スクリーンに映し出された遺族の表情は正反対に見える。
事実、遺族らは石巻市長と市教委に不信感を募らせていた。説明会で「自分の子どもが犠牲になっていたら、どう思うか」という遺族の問いに市長は「これが自然災害における宿命」と発言。さらに、学校長が市教委に「うそ」の報告をしていたことが発覚した。学校は災害時に児童を保護者へ引き渡すために「引き渡しカード」の作成とそれを使った訓練を課されていたが、校長は未実施だったにもかかわらず、それを実施したと市教委に報告していた。これが発覚したのが行政の調査ではなく、遺族が質問を重ねた結果だったことも映画は伝える。
2013年2月には文部科学省の主導による「大川小学校事故検証委員会」(第三者検証委)が始まった。<第三者による検証ならば>と希望をつないだ遺族らは、事情聴取や資料提供に全面的に協力した。ところが、同検証委が出した報告は遺族らによる独自調査を越える事実関係を示すものではなく、「死」の原因として避難の意思決定の遅れ、避難先の誤りを挙げるにとどまった。つまり、東日本大震災の発生は午後2時46分で津波到達は同3時37分。この約50分間、教員が児童を校庭にとどまらせていたから犠牲を生んだ。学校のすぐそばの裏山ではなく、北上川に近い三角地帯と呼ばれる場所を目指したから津波にのみ込まれた。そうした報告だった。ただ、遺族が真に知りたいと望んでいたのは、なぜ意思決定が遅れたのか、なぜ裏山に逃げなかったのかという二つの「なぜ」に対する答えだった。それが出てこない現実に翻弄され、深く失望する遺族の姿を映画は映し出す。
証拠は津波でほぼ流され、原告遺族は証拠を自ら積み上げるしかなかった。写真は、校庭から裏山に徒歩で逃げる時間を計測したシーン(©2022 PAO NETWORK INC.)
市教育委員会が開いた説明会(©2022 PAO NETWORK INC.)
弁護士からは「検証自体を検証する必要がある」との指摘も
ただ、遺族たちは第三者検証委の結果が通り一遍の内容になると想定できなかったわけではなかった。検証委が始まる前、遺族たちが意見を求めた専門家がそれを示唆していたからだ。専門家とは、滋賀県大津市のいじめ問題で第三者調査検証委員を務めていた教育評論家の尾木直樹さん。映画の中で、ある遺族は尾木さんから掛けられた次のような言葉を明かしている。「検証委員会は、やっぱり遺族が信頼できる委員が半分以上いないと、検証できないよ。東北で起きた事案であれば、東北ゆかりの大学関係者は一切入れない方がいいね」
結局、検証委員には東北の大学関係者が次々と選ばれ、事務局業務も東北大学教授の親族が所属する組織が受注した。「これじゃあ本当に検証できないだろうなと思ってはいたんですけど……」。そう話す遺族は映画に挿入されたインタビューの中で、それでも希望を捨ててはいなかった当時を振り返った。大川小の事例では検証委の議論が原則公開され、透明性を担保した形になっている。ただし、検証の角度(方向性)や深度(質)を左右する委員の選定については課題があるといえそうだ。
結局、検証委員には東北の大学関係者が次々と選ばれ、事務局業務も東北大学教授の親族が所属する組織が受注した。「これじゃあ本当に検証できないだろうなと思ってはいたんですけど……」。そう話す遺族は映画に挿入されたインタビューの中で、それでも希望を捨ててはいなかった当時を振り返った。大川小の事例では検証委の議論が原則公開され、透明性を担保した形になっている。ただし、検証の角度(方向性)や深度(質)を左右する委員の選定については課題があるといえそうだ。
さらに「検証自体を検証する必要がある」と指摘するのは弁護士の吉岡和弘さんだ。大川小の遺族有志が起こした訴訟で原告代理人を務めた吉岡さんは、筆者とのインタビューで「大川小の検証委の運営には約5000万円の税金が投じられた。にもかかわらず、出てきた報告はすでに明らかにされた内容で結論も当たり障りのないものだった。これでは予防策を議論する具体的材料が見えてくるはずがない。必要なのはどうしてそうなったのかを明確に示し、問題を抜本的に是正するための検証だ。それは大川小に限ったことではない」と訴えた。
吉岡和弘弁護士
2021年4月、宮城県白石市立白石第一小学校で校庭の折れた木製ポールが男子児童2人を直撃し、うち1人が死亡、1人が重傷を負うという事故があった。この事例の行きつくところも大川小のケースと同様だ、と吉岡さん。「ポールの付け根が腐っていたのを学校が見逃してしまっていたという。ではなぜ、その状態でポールを放置していたのか。その点に文科省をはじめ、教育委員会がしっかりとメスを入れていかなければならないのに……」と声を落とし、こう続けた。
「検証という名のもとに実は(なれ合いの)『ごまかし』があり、一見検証しているようでいて、実は『官側』ないしは事故要因の除去に努めなければならなかった『加害側』の責任を曖昧なままにしてしまう事例が少なくない。そんなオブラートに包んだような検証がまかり通っているのが日本の現状ではないか」
「検証という名のもとに実は(なれ合いの)『ごまかし』があり、一見検証しているようでいて、実は『官側』ないしは事故要因の除去に努めなければならなかった『加害側』の責任を曖昧なままにしてしまう事例が少なくない。そんなオブラートに包んだような検証がまかり通っているのが日本の現状ではないか」
校舎を訪れ、亡くなったわが子のネームプレートをそっとなでる遺族(©2022 PAO NETWORK INC.)
訪れた人々に被災の実状を伝える遺族(©2022 PAO NETWORK INC.)
大川小の犠牲者遺族のうち19家族23人は真相究明への最後の望みをかけ、2014年3月10日、石巻市と宮城県に損害賠償を請求する国家賠償訴訟を仙台地裁で起こした。遺族自らが証拠を集めるという異例の努力もあり、2019年10月10日には最高裁で「平時からの組織的過失」を認めた仙台高裁判決が確定。画期的な勝訴と評された。ただ、代償も大きかった。提訴に際し子どもの命に値段をつけなければならないばかりか、誹謗中傷や脅迫にもさらされた。ストレスは大きく、遺族の一人は「何回も殺された気持ち」と映画の中で胸中を吐露した。
そしていまも「なぜ」という遺族の問いは解明されていない。津波が迫り来る直前、教務主任が裏山への避難を訴えたが、他の職員の賛同が得られなかったことが遺族らの調査で明らかになった。それでも現状の制度では、遺族の「なぜ」に答えを示すことはできず、予防への具体的な議論も深まらないままだ。
(次回は大川小とは別のケースで遺族となった母親2人の話から、死亡検証のあり方を考えてみたい)
ますだ・みき
ジャーナリスト。調査報道グループ「フロントラインプレス」メンバー。英国カーディフ大学大学院修士課程修了(ジャーナリズム・スタディーズ)。元読売新聞社会部記者。共著に『「わたし」と平成 激動の時代の片隅で』(フィルムアート社)、『チャイルド・デス・レビュー 子どもの命を守る「死亡検証」実現に挑む』(旬報社)、著書に『義肢装具士になるには』(ぺりかん社)など。