遺族が希求する「予防のための子どもの死亡検証(CDR)」とは
シリーズ 子どもの「死」を検証する(下)フリーライター/益田美樹さん
不慮の事故や思いがけない理由で子どもを亡くした親の多くが「二度と同じ死を繰り返してほしくない」と口にする。ところが、現実には似たような原因で死亡する子どもたちが後を絶たない。ベランダからの落下、バスでの置き去り、何かをのどに詰まらせた窒息……。大人の注意や工夫で防げる死はまだまだたくさんある。こうした子どもの死を検証し、予防につなげようという制度が、「予防のための子どもの死亡検証(チャイルド・デス・レビュー、CDR)」だ。日本でもモデル事業が始まり、本格導入が目指されている。その日本型モデルに高い実効性が期待されるなか、これまで子どもの死の予防を強く訴えてきた遺族からは「気になる課題」を指摘する声も聞こえている。
こども家庭庁が所管 本格導入目指す
こども家庭庁が発足した2023年4月、愛知県碧南市在住の栗並えみさんは報道機関からの取材を受けた。CDRに関するものだった。
栗並さんは、2010年に長男の寛也くん(当時1歳)を保育園での事故で亡くした。カステラをのどに詰まらせたのが原因だった。しかし、園と市からの説明に疑問を持ち、独自に聞き取り調査などを進めたところ、園が保育室の使い方をはじめ、基準に違反した運用をしていた、など複数の要因があることがわかったという。栗並さんは死亡事故予防のためには<検証が欠かせない>と痛感し、それを求める取り組みをライフワークのようにして続けている。
栗並さんはCDRにも期待を寄せる。だからこそ、その取材にも協力したが、報じられた記事を読んでみると気になる内容も書かれていた。CDRを進めるには、他でもない「保護者」の同意がネックになっているという指摘だ。
「亡くなった子どもの情報をCDRに提供してもよいかを保護者に尋ねる際、病院は文書を郵送しています。でも、その返信がほとんど返ってこないというのです。返ってきてもすごく少ないし、承諾しないという答えが多いという話でした。そりゃそうだと思いました。保護者は(わが子の死にまつわる情報を)提供するかどうか、解剖に同意するか否かを聞かれても、判断のしようがないと思います」
子どもが亡くなったとき、生育情報のほか、解剖に付されていれば、結果の提供を求められる。しかし、提供に同意したとしても、それがどのように扱われ、何に役立つのか、自分たちの今後にどのような影響があるのかという点について、保護者には事前の説明がないのが現状という。
栗並さんは、2010年に長男の寛也くん(当時1歳)を保育園での事故で亡くした。カステラをのどに詰まらせたのが原因だった。しかし、園と市からの説明に疑問を持ち、独自に聞き取り調査などを進めたところ、園が保育室の使い方をはじめ、基準に違反した運用をしていた、など複数の要因があることがわかったという。栗並さんは死亡事故予防のためには<検証が欠かせない>と痛感し、それを求める取り組みをライフワークのようにして続けている。
栗並さんはCDRにも期待を寄せる。だからこそ、その取材にも協力したが、報じられた記事を読んでみると気になる内容も書かれていた。CDRを進めるには、他でもない「保護者」の同意がネックになっているという指摘だ。
「亡くなった子どもの情報をCDRに提供してもよいかを保護者に尋ねる際、病院は文書を郵送しています。でも、その返信がほとんど返ってこないというのです。返ってきてもすごく少ないし、承諾しないという答えが多いという話でした。そりゃそうだと思いました。保護者は(わが子の死にまつわる情報を)提供するかどうか、解剖に同意するか否かを聞かれても、判断のしようがないと思います」
子どもが亡くなったとき、生育情報のほか、解剖に付されていれば、結果の提供を求められる。しかし、提供に同意したとしても、それがどのように扱われ、何に役立つのか、自分たちの今後にどのような影響があるのかという点について、保護者には事前の説明がないのが現状という。
栗並えみさん。背後にある写真は長男寛也くんの遺影
CDRは、子どもに関係する複数の機関や専門家が、亡くなった子どもの情報を基に死因を明らかにする検証制度だ。「予防のための子どもの死亡検証」という和名が示す通り、あくまでも「予防」を目的とする。米国ではすでに40年以上の歴史があり、日本でも2018年成立の成育基本法などを受け、2020年度に厚生労働省の主導で都道府県レベルでのCDRモデル事業が始まった。同年度には「7」、21年度には「9」、22年度には「8」の地方公共団体が参加した。今後はこども家庭庁が本格導入を目指す。
予防のための検証が大前提 海外では専門家が活躍
厚労省はこれまでのモデル事業の詳細を公表していないが、筆者が関わった取材でも「個人情報の取り扱いが検証のネックになっている」との指摘が多く聞かれた。遺族から個人情報提供の同意を得るのが難しい、という現場の声は少なくない。
ただ、「個人情報を出さない遺族に問題がある」と理解するのはミスリード(誤解を招く表現)だと栗並さんは訴える。栗並さん夫妻は、寛也くんが亡くなったとき、解剖はしないという選択をした。食事中の窒息で救急搬送され、40日近く意識不明の状態が続いていたため、たとえ解剖しても、新事実は出てこないだろうと考え抜いての決断だった。
当然、親として子どもの体にメスを入れることに大きな抵抗もあった。それでも、やはり解剖をした方が良かったのではないか、という思いに長いことさいなまれた。気持ちに整理がついたのは、関係機関による情報収集の精度が看過できないほど不十分だったからだ。例えば、保育士の子どもの見守り方を警察が具体的に調べていなかったことなどが分かったが、それらは栗並さんが独自調査をしてはじめて明らかになった。行政や警察への信頼は揺るがされた。
「解剖した後に、それ(不十分な調査結果)を知らされたとしたら、めちゃくちゃ後悔したと思います。親は解剖というつらい選択をしたのに、『捜査機関である警察はそんなことすら調べてなかったの』と憤っていたはずです。そういうことを踏まえて、あのとき解剖に承諾しなかったのは正しかったのだと、今は思っています」
亡くなった子どもの情報は検証には不可欠だ。しかし、遺族の心情からすれば、きちんとした検証が実施されるという信頼がない限り、解剖にも情報提供にも応じる気持ちは持てるはずはない。それが栗並さんの実感だ。
「ご家族の心情に配慮した形で、知識を持って制度を説明できる人材、そうした人を育てる仕組み作りが、制度の成否を握っていると思います」
そうした専門性を持つ人たちが実際に海外では活躍している。オーストラリア・ビクトリア州では、家族や近親者の死によって受けた心の痛みを緩和する「グリーフケア」の知見も踏まえて、法医看護師という専門職が遺族への説明にあたっている。当地での子どもの解剖率はほぼ100パーセントで、死因不明のケースはないと言われている。一方、日本ではこの法医看護師が実施するような説明を警察が一手に引き受けている。大人も含めた平均解剖率は10パーセント前後。他の先進国と比べて顕著に低いのが実状だ。
ただ、「個人情報を出さない遺族に問題がある」と理解するのはミスリード(誤解を招く表現)だと栗並さんは訴える。栗並さん夫妻は、寛也くんが亡くなったとき、解剖はしないという選択をした。食事中の窒息で救急搬送され、40日近く意識不明の状態が続いていたため、たとえ解剖しても、新事実は出てこないだろうと考え抜いての決断だった。
当然、親として子どもの体にメスを入れることに大きな抵抗もあった。それでも、やはり解剖をした方が良かったのではないか、という思いに長いことさいなまれた。気持ちに整理がついたのは、関係機関による情報収集の精度が看過できないほど不十分だったからだ。例えば、保育士の子どもの見守り方を警察が具体的に調べていなかったことなどが分かったが、それらは栗並さんが独自調査をしてはじめて明らかになった。行政や警察への信頼は揺るがされた。
「解剖した後に、それ(不十分な調査結果)を知らされたとしたら、めちゃくちゃ後悔したと思います。親は解剖というつらい選択をしたのに、『捜査機関である警察はそんなことすら調べてなかったの』と憤っていたはずです。そういうことを踏まえて、あのとき解剖に承諾しなかったのは正しかったのだと、今は思っています」
亡くなった子どもの情報は検証には不可欠だ。しかし、遺族の心情からすれば、きちんとした検証が実施されるという信頼がない限り、解剖にも情報提供にも応じる気持ちは持てるはずはない。それが栗並さんの実感だ。
「ご家族の心情に配慮した形で、知識を持って制度を説明できる人材、そうした人を育てる仕組み作りが、制度の成否を握っていると思います」
そうした専門性を持つ人たちが実際に海外では活躍している。オーストラリア・ビクトリア州では、家族や近親者の死によって受けた心の痛みを緩和する「グリーフケア」の知見も踏まえて、法医看護師という専門職が遺族への説明にあたっている。当地での子どもの解剖率はほぼ100パーセントで、死因不明のケースはないと言われている。一方、日本ではこの法医看護師が実施するような説明を警察が一手に引き受けている。大人も含めた平均解剖率は10パーセント前後。他の先進国と比べて顕著に低いのが実状だ。
厚生労働省が2022年12月に主催したCDRシンポジウムの告知文。主催者によるとオンラインで約200人が参加した
検証内容と検証レベルの「検証」を望む遺族
現在、栗並さんは政府の「保育事故防止有識者会議」に委員として参加している。その立場から日本の子どもの死の検証を概観すると、寛也くんが亡くなって以降の状況は一部改善しているようにも見えるという。保育現場での事故に限っては、法的根拠は薄いものの行政が事故を検証し、担当省庁に報告する流れができているからだ。社会の目も変わってきた。
「保育事故に関しては、この10年余りの間に前向きな変化を感じています。以前は、ほとんど社会の関心を得られなかったのですが、今では、たくさん報道もされます。12年前は関係者が黙っていれば、(所管責任側が)なかったことにできたケースが、今はそうさせない状況になっています」
ただ、有識者会議の委員として、各地の検証結果に目を通しながら、検証のレベルや意識に差があることも痛感している。なかには「遺族の意向」を盾にして、検証をごく簡易に終わらせるなど、問題を小さく片付けようとする行政側の意図が見え隠れする場合もあるという。
「保育事故に関しては、この10年余りの間に前向きな変化を感じています。以前は、ほとんど社会の関心を得られなかったのですが、今では、たくさん報道もされます。12年前は関係者が黙っていれば、(所管責任側が)なかったことにできたケースが、今はそうさせない状況になっています」
ただ、有識者会議の委員として、各地の検証結果に目を通しながら、検証のレベルや意識に差があることも痛感している。なかには「遺族の意向」を盾にして、検証をごく簡易に終わらせるなど、問題を小さく片付けようとする行政側の意図が見え隠れする場合もあるという。
栗並さんが参加している「保育事故防止有識者会議」の名簿。遺族の視点から、積極的に発言している
栗並さんにも苦い経験がある。寛也くんが亡くなった際の検証だ。検証委員会が設置されることになったとき、保育園の監督責任者である県にも関わるよう栗並さんは強く要請。そのかいあって、検証は県と市が共同で行うことになったものの、県が、当事者(所管責任側)であるにもかかわらず、検証委員会の委員として職員を送り込んできた。「それでは第三者検証じゃないじゃないですか」と栗並さんが疑問を呈しても聞き入れられず、県側に都合のいい方向に議論をリードするような場面があったという。
こうした検証委員会自体へのチェックが、今は、ほとんど行われていない。第三者委員会として客観的な視点で判断されているか、十分な情報を基にして議論を行ったか、初動調査を確実に行って、精度の高い情報を集めているか――。それらが必ずしも担保できない状態になっていて、不備があっても批判を受けることはない。
栗並さんが参加している有識者会議でも、チェックはしているものの内容は公開してはならない決まりになっている。
「ただでさえ検証委員は精神的にも、時間的にも負担を強いられます。その発言に批判的な目が向けられるようになれば、検証に協力してくれる専門家がいなくなってしまう。その辺りの事情はわかります。それでも、やはり検証委員会のありようも検証される必要があるのではないでしょうか」と栗並さんは問いかける。
この連載で触れた大川小学校の津波被災で亡くなった児童たち、小森美登里さんの長女香澄さん、そして、桐田寿子さんの長女明日香さん。いずれの死亡ケースも検証はなされたものの、その「中身」には求められるべきレベルがあることを遺族たちは教えてくれた。「子どもの死を防ぐ」ために真に役立つ検証制度を作り上げられるかが問われている。形だけの検証になっていないか。中身は伴っているか。これらを、亡くなった全ての子どもたち、そして今を生きる子どもたちに問われたらどう答えたらいいのだろう。これから導入される日本版CDRが、真に子どもの死を予防できるものになるかは、いまだ未知数だ。まさしく大人の真剣度が試されている。
栗並さん(右下)が登壇した2023年1月に開かれたオンラインイベントの様子。連載第2回に登場した小森美登里(右上)さん、桐田寿子(左下)さんらと、子どもの死の予防について語り合った。同じ死を繰り返さないため、しっかりとした検証を求める意見で一致した。左上は、栗並さんと共に有識者会議に出席している山中龍宏医師(旬報社提供の写真を一部編集)
ますだ・みき
ジャーナリスト。調査報道グループ「フロントラインプレス」メンバー。英国カーディフ大学大学院修士課程修了(ジャーナリズム・スタディーズ)。元読売新聞社会部記者。共著に『「わたし」と平成 激動の時代の片隅で』(フィルムアート社)、『チャイルド・デス・レビュー 子どもの命を守る「死亡検証」実現に挑む』(旬報社)、著書に『義肢装具士になるには』(ぺりかん社)など。